陣内孝則

陣内孝則

■陣内孝則(じんない たかのり)

 

□肩書き

 俳優 ミュージシャン

 

□所属グループ

 ザ・ロッカーズ

 

□本名

 陣内孝則

 

□生年

 1958(昭和33)08.12(獅子座/B型)

 

□出身地

 福岡県大川市

 

□出身校

 佐賀大学附属中学校

 西南学院高校

 

□略歴

 80年(22歳)ザ・ロッカーズとして歌手デビュー。

 87年(29歳)映画「ちょうちん」主演。

 88年(30歳)ドラマ「君の瞳をタイホする!」主演。

 ※他の主な出演:

  舞台 「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」「バディホリー物語」

  映画 「爆裂都市」「時計」「演歌の花道」

  ドラマ「ライスカレー」「愛しあってるかい!」「菊次郎とさき」

  テレビ「うれしたのし大好き」「ハッピーバースデー!」「ダウンタウンなう」

  CM  「マクドナルド」「サークルK」「ライオン ミクロクリーン」

 

□趣味

 読書 競馬 麻雀 サッカー ジョギング

 

□特技

 ギター

 

□サイズ

 176㎝

 

□特記事項

・妻は陣内恵理子

■陣内孝則

 

□幼少時代〜

・実家は曾祖父の代から100年以上続いた町工場・陣内木工。

   ※福岡県大川市は家具と木工の町

・長男。4歳年下の弟、妹がいる。

 ※弟は家業を継いだ

・工場兼住居の大きな家に30人以上で同居していた。

 祖父母、父親の兄弟とその家族、住み込みの職人など。

 家の風呂は銭湯なみの大きさだった。

・祖父も父親も短気でワンマンで「寺内貫太郎一家」のような家庭だった。

・よく両親が激しい夫婦喧嘩をした。

・祖父の好みでごはんが軟らかめだったので家で出るカレーライスはおいしくなかった。

・小学校時代、目立ちたがり屋。

   クラスメイトの前でコミックソングを歌うのが好きだった。

・小2から小6まで学級委員をやった。

・小6の時、校内相撲大会でまわしが緩んで全校生徒に下半身を見られた。

・地元の中学校は丸刈りだったので越境して別の学校に行った。

・中学は地元で有名な進学校だったが落ちこぼれだった。

・中学時代、気に入らない奴をトイレの裏に連れて行って殴っていた。

・中学時代、生徒会長選挙の応援演説をよく頼まれた。

・中2の時、「音楽の授業に使う」と親をだましてエレキギターを買って貰ってバンドを結成。

 親はバンド活動に大反対で工場のかまどでエレキギターを2回燃やされた。

・1浪して高校に入学。「さん」づけで呼ばない「同級生」は殴った。

・高校は男子校。

・高校時代、ローリングストーンズを見てギターをやめてボーカルに転向。

 自分の思い通りに活動する為に後輩のバンドを乗っ取った。

・高校時代、フェナー先生にタバコを吸っているのを見つかって尻を100発殴られた。

 2回目は鞭、3回目は角材で殴られた。

・高校時代、夜寝ている間に母親にバリカンで長髪を刈られそうになった。

・高校時代、下宿していた。部屋は悪友の溜まり場になっていた(よく麻雀をした)。

・仮免中に母親のおつかいで運転して検問で捕まった(免許取得と同時に免停になった)。


■陣内孝則

 

□私生活①

・好物…ハンバーグカレー。一口餃子。カニ。エビ。

 蒲鉾。ガリガリ君。甘いもの。

・嫌いな食べ物…鶏肉(子供の頃に台所に吊るされていたのを見たトラウマ)。

・得意料理…カレーライス(毎年大晦日に大きな寸胴鍋で作る)。

・タバコを吸う(=14.12現在)。

・健康法…散歩(1日3回犬の散歩)。ジョギング(雨の日に走るのが好き)。

・太りやすい体質。

 二枚目役を演じる時は食事を制限して走って体重を落とす。

 断食道場とワークアウトと中国鍼で2ヵ月で24㎏ダイエット(=06年)。

・腹膜炎で倒れて救急車で運ばれて手術を受けて40日間入院(=04年)。

 高熱と胃けいれんを点滴でごまかして仕事を続けていて撮影中に倒れた。

・猫が大好きだが猫アレルギー。

・白髪を染めている。

・視力は0.1。度付きのサングラスを愛用していた。

・家事は一切しない。

・94000円のお掃除ロボットを持っている。

・自分が出演したドラマをよく見返す。

・原稿や企画を手書きで書く。モンブランの万年筆を愛用。

・嫌いな人の名前をノートに書いているらしい。

・ブリーフ派。

・好きなブランド…

 クロムハーツ(150万円のクッション、150万円の腕時計、46万円のライターを所有)。

・ゴールドのアクセサリーを多数所有。

・金属製のバッグが大好き。

・収集…皮ジャン。メガネ。馬をモチーフにしたアクセサリー。

・ペット…

 犬(イングリッシュコッカースパニエル、名前はレノン、0歳=15.05現在)。

 犬(イングリッシュコッカースパニエル、名前はスパンキー、牡2歳=15.05現在)。

 ※スパンキーは芸ができる

・住んでいる所…東京都渋谷区大山町(3LDK=16.11現在)。


■陣内孝則

 

□私生活②

・いきつけ…

 ラーメン「うま馬」(博多、高校時代の同級生の店、一口餃子がおいしい)。

 そば「ひさや」(博多、高校時代の同級生の実家、冷や麦がおいしい)。

・競走馬を多数所有。

 1/2馬主になった馬が約2億円稼いだ。

 初の単独馬主になったパブリックイメージが18戦3勝。

 キクジロウが3歳未勝利戦で初勝利(=08年)。

・万馬券を取った事がある。

・メールをやらない。

・芸能人サッカーチーム・ミイラの一員。

・芸人の後輩と一緒に毎年海外旅行に行く(番組企画)。

・福岡出身の芸能人が集まる「福岡会」を3ヵ月に1回ペースで主宰。

・ホームパーティーが大好き。多い時は延べ60人が集まる。

 職人を呼んで家で寿司を握って貰う。

・父親が脳梗塞で倒れたが後遺症なしに快復した。

・弟は家業を継いだ。

・長男がアイスホッケー東京選抜に選ばれた(地方まで試合の応援に行った)。

・子供を放任主義で育てた。

・子供によくウソをつく。

・妻がモデルをしていた富士銀行のポスターを見てひとめぼれした。

・永島敏行の紹介で知り合ってコンサートに招待した。

・交際3ヵ月で同棲した。

・交際当初、当時売れっ子モデルだった妻の収入は自分の3倍だった。

・妻は7人組のアイドルグループ・シャワーの一員だった(82年にシングルをリリース)。

・妻はスポーツが得意。馬術の全日本大会に出場経験がある。

 芸能人水泳大会の男女混合種目で郷ひろみに次いで2位になった。

・結婚前に妻とのツーショットを撮られた時、

   妻が「撮られた時にちゃんとメイクしていたか」を気にして、

 その場に居合わせた倉本聰が講談社の編集部に電話して確認してくれた。

・妻の誕生日に毎年年齢の数のバラの花束とケーキをプレゼントして写真を撮る。

・妻が毎年誕生日に女性タレントの写真集など変わったプレゼントをくれる。

・映画のラブシーンで普段の癖を妻に指摘された事がある。

・妻を「えりちゃん」と呼ぶ。


■陣内孝則

 

□人間関係

・椎名桔平…親友。よく自宅に遊びに来て一緒に朝までモノポリーをした。

 若い頃によく椎名のクルマで遊びに行った。映画「時計」で共演。

・柳葉敏郎…親友。ドラマ「君の瞳をタイホする!」で共演。

 柳葉の影響で競馬好きになった。

・鮎川誠…友人。若い頃からの仲。

・神田正輝…友人。飲み友達。

・堺正章…友人。尊敬している先輩。

・袴田吉彦…友人。陣内家に来て子供と遊んだ事がある。

・池谷幸雄、真田広之、時任三郎、中井貴一、モト冬樹

 …友人。自宅に遊びに来る。

・武田修宏、本宮泰風…友人。

・浅野ゆう子…友人。よく妻と一緒に浅野の舞台を観に行く。

 自宅に遊びに来た事がある。陣内の妻と結婚前からの知り合い。

・陣内孝則、竹山隆範、タモリ、藤井フミヤ、博多大吉、博多華丸、黒木瞳

 …福岡会の主要メンバー。※陣内は創立メンバー

・倉本聰…仲人。ドラマ「ライスカレー」の脚本家、映画「時計」の脚本&監督。

・黒田勇樹…黒田の母親は陣内の親友。ドラマ「明智小五郎シリーズ」で共演。

 黒田は陣内主演の「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」を見て芝居に目覚めた。

・武豊…所有する競馬馬に騎乗して貰った事がある。

・清原和博、東山紀之…同じスポーツジム。

・哀川翔、浜田雅功、薬丸裕英、渡辺徹…子供が同じ小学校だった。

・滝沢秀明…テレビ「やったるJ」で共演。

・塚本高史…陣内が監督した映画「ロッカーズ」に出演。

 ドラマ「鉄板少女アカネ」で共演。

 ギター、クロムハーツのブーツなどをプレゼントした(総額100万円以上)。

・中村俊介…テレビ「S-FIELD」の司会で共演。

・沢尻エリカ…ドラマ「1リットルの涙」で親子役で共演。

・室井滋…ドラマ「菊次郎とさき」で夫婦役で共演。

・穴井仁吉…ロッカーズのメンバー。

・コージー冨田…陣内のモノマネをする。

・金子貴俊…陣内のファン。

・竹野内豊…妻が竹野内のファン。

・明石家さんま…陣内の妻をナンパした事がある。

・鈴木浩介、松重豊、スマイリー原口(音楽プロデューサー)…高校の後輩。

・古川康(佐賀県知事、国会議員)…中学校の同級生。

・陣内恵理子…元モデル。87年結婚。5歳年下。

・子供:

 長男…29歳(=18.01現在)。フジテレビのディレクター。

 次男…26歳(=18.01現在)。


■陣内孝則

 

□エピソードなど

・高校卒業後、ロックバンド「ザ・ロッカーズ」を結成。

 毒々しい衣装で次々に曲を繰り出して30分間で20数曲歌う型破りのバンドだった。

・博多のライブハウス「照和」に長渕剛とローテーションで出演。

 初出演した日は客が1人もいなかった。

 ※「照和」はチューリップ、井上陽水、甲斐バンド、海援隊を出した伝説的ライブハウス

・20歳の時、「22歳までに芽が出なかったら家を継ぐ」と父親に約束して上京した。

・上京に際して家族・親戚から「麻薬と離婚だけはするな」と釘を刺された。

・ヤマハのロックコンテストに優勝(=80年)。

・上京当時、立川の3LDKの米軍ハウスでバンドメンバーと共同生活。

 給料は月5万円。生活の為に遺跡発掘のアルバイトをした。

 料金滞納で電話、ガス、水道を止められた。

 事務所に給料アップを訴えると「女のヒモになれ」と言われた。

・ロッカーズのライブで女性客がはいていたパンティーを脱いでステージに投げて来た。

・ロッカーズは約2年で解散。

・小林旭の「自動車ショー歌」のリバイバルをリリース。

・俳優の仕事を始めた当初、時代劇の斬られ役や死体役を多数演じた。

・舞台「リトル・ショップ・オブ・ホラー」の演技が好評を得て俳優として自信を得た。

・貧乏性。仕事をしてないと落ちつかない。

・映画「ちょうちん」で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。

・ドラマ「出会った頃の君でいて」の撮影中に減量しすぎて顔がつながらなかった。

 最初に撮った海外分と後に撮った国内分で顔が違う。

・バブル時代に約10億円借金(自宅と事務所を購入、実家の借金を肩代わり)。

・「うれしたのし大好き」でバラエティのMCに初挑戦(=92年)。

・ミュージカル「バディホリー物語」でギターで18曲を演奏。

・半自伝的小説「アメイジング・グレース」を出版(=98年)。

・オムニバス映画「東京ざんす」の1本を予算300万円で監督(=01年)。

・自伝的映画「ロッカーズ」を監督(長編映画初監督=03年)。

・映画「スマイル 聖夜の奇跡」を監督(=07年)。

・内田裕也、田村正和のモノマネができる。

・「笑っていいとも!」のテレフォンショッキング出演回数1位(19回=10.09現在)。

・AKB48「GIVE ME FIVE」のPVに教師役で出演(=12年)。

・番組出演用の衣装は自前。

・ザ・ロッカーズ再結成ライヴを開催(=16年)。

・ザ・ロッカーズの38年ぶりのニューアルバム「Rock'n Roll」をリリース(=19年)。

※凡例 20.01現在=2020年1月現在