橋本聖子

橋本聖子


■橋本聖子(はしもと せいこ)

 

□肩書き

 スピードスケート選手 自転車競技選手 政治家

 

□本名(旧姓)

 橋本聖子

 

□生年

 1964(昭和39)10.05(天秤座/B型)

 

□出身地

 北海道勇払郡早来町

 

□出身校

 早来町立早来中学校

 駒大苫小牧高校

 

□略歴(満年齢)

 84年(20歳)サラエボ五輪出場(→以降96年アトランタ五輪まで7大会連続出場)。

 92年(28歳)アルベールビル五輪銅メダル。バルセロナ五輪出場。

 01年(35歳)参院選初当選(自民党比例区)。

 ※主な役職:

  北海道開発総括政務次官

  自由民主党副幹事長

  外務副大臣

  五輪担当大臣兼女性活躍担当大臣

 

□趣味

 陶芸

 

□サイズ

 156㎝

 

□特記事項

・五輪7大会連続出場(冬季五輪4大会、夏季五輪3大会)


■橋本聖子

 

□幼少時代〜

・実家は競走馬や乳牛の牧場。

 名馬マルゼンスキーなどを輩出。

・4人きょうだいの末っ子。10歳年上の兄、姉がいる。

・東京五輪に感激した父親が「将来オリンピック選手になって欲しい」

   という願いを込めて「聖子」と命名した。

・父親にとても厳しく躾けられた。

 毎朝三つ指を付いて両親に挨拶した。

・父親に「体を鍛えろ」と言われて毎日裏山を2㎞走った。

・足腰を鍛える為に乗馬をした。

・バランス感覚を養う為に牧場の柵の上を歩いた。

・子供の頃、父親に言わるままに「大きくなったらオリンピックになる」と言っていたが、

 実際は8歳の時に札幌五輪を見るまではオリンピックが何かわかっていなかった。

・子供の頃から牧場の仕事を手伝った(小動物の世話、庭先の掃除)。

 仕事を終えるまでは朝食を食べさせて貰えなかった。

・小3の時、重い急性腎炎で長期入院。

 入院中に仲良くなった同年代の子供の死を目の当たりにした。

   退院後2年間はスポーツ禁止だった。

・中学時代、コーチの家に下宿してスケートを練習。

・中学時代、「バーベル女」「ごつい足を持つ女」と呼ばれて冷やかされた。

・高3の時、急性肝炎と呼吸筋不全症を併発して1週間死線をさまよった。

 医者にスポーツをやめるように言われたがスピードスケートはやめなかった。

 ※病気の後遺症で深呼吸ができない


■橋本聖子

 

□私生活

・好物…オートミール。納豆。

・現役時代の愛車はフェアレディZ(結構スピードを出していた)。

・アイルトン・セナが大好きだった。

・座右の銘…細心大胆。

・父親は老衰で他界(享年96=20年)。

・母親は胃がんで他界(享年74=03年)。

・18:00まで国会で仕事をして分娩室に入って2時間半で長女を出産した。

・長女をスケート選手か自転車競技選手にしてオリンピックに出場させたいと思っている。

 ほ乳瓶のミルクにプロテインを混ぜて飲ませた。

 1歳でスケートデビューさせた。

 スピードに慣れさせる為に1歳の頃から速いボールを投げた。

・夫に初めて会った時に筋肉に一目惚れした。


■橋本聖子

 

□人間関係

・田中将大…駒大苫小牧高校の後輩。

・高橋大輔…ソチ五輪閉会式後の打ち上げで橋本が高橋にキスを強要と報じられ、

 「大人同士でハメを外しすぎた。パワハラ、セクハラとは思っていない」

 と高橋が釈明(=14年)。

・吉葉山潤之輔(第43代横綱)…遠い親戚。

・高橋辰夫…義理の兄。政治家。中学時代から選挙応援した。

・石橋勝彦…警視庁勤務(元SP)。98.12.19札幌市内の神社で挙式。

   「生涯のSPをさせて欲しい」とプロポーズされた。※石橋の前妻は病没

・子供:

 長女…聖火(せいか)。00.04.12誕生。不妊治療で妊娠。

 長男…亘利翔(ぎりしゃ)。04年誕生。

 次男…朱李埜(とりの)。06年誕生。

 ※他に夫の連れ子が3人いる


■橋本聖子

 

□エピソードなど

・史上最年少で全日本ジュニア選手権を優勝(=79年)。

・高校生史上初の全日本スプリント&全日本選手権優勝(=82年)。

・高校卒業後、富士急行に所属。

・10㎏の重りを付けて200段の階段をうさぎ跳びで下半身を鍛えた。

・最大酸素摂取量を増やす為にサランラップを巻いて富士山の5合目で高地トレーニング。

・カルガリー五輪でスピードスケート全5種目出場して全種目日本新記録で入賞。

 最後の種目を滑り終えた後は力を使い果たして立つ事もできなかった(担架で退場)。 

・アルベールビル五輪でスピードスケート全5種目に出場、1500mで銅メダル。

・試合前日に裂傷した足首の傷を感覚がなくならないように麻酔なしで7針縫った事がある。

・参議院議員選挙に自民党比例区から立候補して当選(=95年)。

・長野五輪聖火ランナー(=98年)。

・国会議員の任期中に自転車競技でアトランタ五輪に出場。

 睡眠時間を削って練習と議員活動を両立させた。

 週末に福井県や富山県で選挙応援などがある時は練習の為に自転車で山越えをした。

 「練習してるから眠いんだろう」と言われないように国会では舌をかんで眠気をこらえた。

・五輪7大会連続出場(冬季五輪4大会、夏季五輪3大会)。

・参議院議員選挙に自民党比例区から立候補して8位で当選(=01年)。

・一番太かった時の太ももまわりは62㎝(当時は歩くだけで股ずれした)。

・現役時代の体脂肪率は10%以下。

・現役時代、ホルモンバランスが崩れて生理が年に1回しかなかった。

・裏表のある政治家の世界になじめず、ストレスで2年間で10㎏やせた。

・国会議員の出産は当時50年ぶり。出産を機に国会に対して産休制度を提案。

・スケート連盟会長。自転車競技連盟会長。JOC選手教科本部長。

・バンクーバー五輪、ソチ五輪、リオデジャネイロ五輪の日本選手団団長。

・スピードスケート日本代表の強化体制を改革(=14年)。

 所属ごとの強化体制を廃止してナショナルチームを確立。

 オランダからヨハン・デビットをコーチとして招聘。

・父親が残した負債がある、と報じられた。

・辞任した森喜朗の後任として東京五輪組織委員会会長に就任(=21.02.18)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在