杉山清貴

杉山清貴


■杉山清貴(すぎやま きよたか)

 

□肩書き

 歌手 

 

□グループ

 杉山清貴&オメガトライブ(85年解散)

 

□本名

 杉山清貴

 

□生年

 1959(昭和34)07.17(蟹座/AB型)

 

□出身地

   神奈川県横浜市磯子区

 

□出身校

 横浜市立磯子小学校

 横浜市立岡村中学校

 横須賀学院高校

 

□略歴(満年齢)

 83年(24歳)杉山清貴&オメガトライブとして「サマー・サスピション」でデビュー。

 86年(27歳)「さよならオーシャン」でソロデビュー。

 ※杉山清貴&オメガトライブの他の主な楽曲:

  「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語」

 ※主な出演:

  テレビ「徹子の部屋」

 

□趣味

   サーフィン ボディボード

■杉山清貴

 

□幼少時代〜

・父親は警察官。

 仕事が多忙で殆ど家にいなかった。

 ノンキャリアから警視長まで昇進。

・母親は常磐津節の師匠。

 自宅で日舞、唄、三味線を教えていた。

 自宅に稽古場があった。

・3歳年下の妹がいる。

・自宅のすぐ裏に料亭があった。

・母方の祖父母が同居していた。

・おばあちゃん子だった。

・3歳の頃から母親に三味線や唄を仕込まれた。

・小児喘息を患った。

・逗子マリーナの広い駐車場で野球をして遊んだ。

・ボーイスカウトに入っていた。

・YMCAで絵を習っていた。

・小学校時代、将来漫画家になりたいと思っていた。

・小学校低学年の頃、怪獣が大好きだった。

 怪獣の声を収録したソノシート(雑誌「少年画報」の付録)をよく聴いた。

・小4の時、友人の影響でビートルズを聴いてロックに目覚めた。

 卒業までの2年間でビートルズのレコードを海賊版を含めて全部買った。

 ラジオのリクエスト番組にビートルズの曲をリクエストして採用された。

・中学時代、剣道部。

・中1の時、誕生日にエレキギターを買って貰った。

・中3の時、ロックバンドを結成。

・高校は海と米軍基地のそばにあった。

・高校時代、満員電車に乗るのが嫌だったので朝5:00に家を出で登校。

・高校時代、関内のライブハウス「横浜放送局」に入り浸っていた。

・高2の時、他のバンドから誘われてボーカルをやりはじめた。

・高校時代、他校の女子からファンレターを貰った。

■杉山清貴

 

□私生活

・好物…ラーメン。カキ(貝)。野菜(有機野菜を箱買い)。

 中華料理。

・1日2食。

・刺身を食べる時に醤油に米酢を入れる。

・クックパッドを見て冷蔵庫にある食材で料理をする。

 ティファールの蒸し器を愛用。

・酒が好き。好きな酒はビール、日本酒の地酒、ワイン、泡盛。

 琉球泡盛「月夜の浜」、泡盛用グラスをプロデュース(=08年)。

・健康法…発芽玄米。二十穀米。

・腱鞘炎になった事が2回ある(手首、左手親指の付け根)。

・インフルエンザの予防接種を受けた事がある。

・2:00〜3:00頃就寝、10:00頃起床が基本。

・何をしても眠くならなくて朝まで全く眠れない日が年に何日かある。

・ジョージ・ハリスンの大ファン。

   学生時代に自分で描いた肖像画を部屋に貼って毎朝拝んでいた。

   自分でチケットを買ってコンサートに行った。

・好きなマンガ…「湘南爆走族」(大ファン、全巻所有、作者と対談した事がある)。

・長女と一緒に「セーラームーン」を見ていて自分がハマった。

・モノ執着しない。

・宝物…ギター(フェンダーのストラトキャスター、65年製)。

・住んでいる所…神奈川県鎌倉市(賃貸=20.05現在)。

・住んでいた所;

 アメリカ・ハワイ州オアフ島(1年の半分をハワイで過ごしていた)。

 横浜市港北区(分譲マンション、86年頃購入)。

 横浜・綱島(2LDKのマンション、新婚時代)。

 横浜・菊名(家賃4万円)。

 横浜・中華街(ワンルーム、家賃5万円、20歳の頃)。

 横浜・鶴見駅前(開かずの踏切のすぐそば、家賃1万円、

 風呂なし・トイレ共同の木造アパート、高校卒業後約半年間)。

・アメリカ永住権(グリーンカード)を所有。

・自然、海が好き。

・夏が大好き。

・ハワイのホテルで5匹のゴキブリに同時に襲われた事がある。

・短気な性格。

 知人となかなか連絡が取れなくて携帯を壊した事がある。

・楽観的な性格。


■杉山清貴

 

□人間関係

・榎木孝明…杉山の友人が榎木のマネージャー。

 お互いのライブ、舞台を見る。

・南佳孝…アルバムを共作、ライブで共演。

・大橋純子…デュエット曲「LOVER  LUCK」をリリース(=97年)。

・林哲治(作曲家)…作曲の師匠。

・大島孝夫(ベース)、高島信二(ギター)、西原俊次(キーボード)、

 廣石恵一(ドラムス)、吉田健二(ギター)

 …杉山清貴&オメガトライブのメンバー。

・カルロス・トシキ、新井正人、三上哲…杉山以降のオメガトライブのボーカル。

・岩沢厚治(ゆず)、北川悠仁(ゆず)…中学校の後輩。

・片山右京、クリス松村、生稲晃子…杉山のファン。

・美空ひばり…母親が美空と親交があった。

・妻…85.06.26結婚。

・子供:

 長女…真浦。86年9月誕生。


■杉山清貴

 

□エピソードなど

・アルバイト歴…

 ライブハウス(運営全般を任された)。

 パブ。

 横浜の洋食屋(今でも時々食事に行く=08.03現在)。

 吉野家(デビュー後もしばらく続けていた)。

・アマチュア時代、オメガトライブの前身バンド・きゅうてぃぱんちょすで活動。

 バイトしていたライブハウスでメンバーと知り合った。

 第19回ヤマハ・ポプコン入賞(=80年)。

 第12回東京音楽祭グランプリ(=82年)。

 ビクターオリジナルソングコンテストグランプリ(=82年)。

・ソウルフルな声が出る喉を作る為にバーボンを一気飲みしてガラガラ声で歌ったが、

 一晩寝ると元の声に戻っていた。

・杉山清貴&オメガトライブ時代、白いスーツとサングラスがトレードマーク。

・杉山清貴&オメガトライブとしてデビューした当初のギャラは5万円。

・敷かれたレールの上を走るだけでやりたい音楽ができなかったので、

 ツアー中にバンドのメンバーだけで相談してオメガトライブ解散を決めた。

・リーダーとして集団を引っ張るのが苦手。

・エッセイ集「ANOTHER STORY」出版(CBSソニー出版=87年)。

・映画「アイドルを探せ」「Let's豪徳寺!」に出演(=87年)。

・ラジオ「杉山清貴のオールナイトニッポン」パーソナリティー(=86年)。

・髪の毛やヒゲを伸ばした事があったが音楽性とあわないのでやめた。

・ハワイのホテルで年越しライブを開催(=01年)。

・デビュー当時から殆ど声質が変わっていない(=01年現在)。

・杉山清貴&オメガトライブを19年ぶりに再結成してコンサートを開催(=04年)。

・初の洋楽カバーアルバム「Favorite Eternal Numbers」をリリース(=07年)。

・コンサートで新日本フィルハーモニーと共演(=08年)。

・テレビ番組出演の際にファンデーションを塗らない。

・東京・日比谷野外音楽堂で毎年夏にライブを開催。

凡例:20.01現在=2020年1月現在