市川団十郎(12代目)

市川団十郎(12代目)


■市川団十郎(いちかわ だんじゅうろう)(12代目)

 

□肩書き

 歌舞伎俳優

 

□本名

 堀越夏雄

 

□旧芸名

 市川夏雄 

   市川新之助(6代目) 

 市川海老蔵(10代目)

 

□屋号

 成田屋

 

□生年

 1946(昭和21)08.06(獅子座)

 

□没年

 2013(平成25)02.03(享年66)

 

□出身地

 東京都

 

□出身校

   青山学院高等部 

 日本大学芸術学部

 

□略歴

 73年(27歳)舞台「春の雪」主演。

 75年(29歳)ドラマ「宮本武蔵」主演。

 94年(48歳)大河ドラマ「花の乱」出演。

 ※他の主な出演:

  映画「利休にたずねよ」

  ドラマ「若さま侍捕物帖」「遠山の金さん」「午後の恋人」

 

□趣味

 料理 絵画 囲碁 将棋 俳句 天文学 ゴルフ

 

□特技

 パソコン

 

□資格・免許

  日舞市川流宗家

 

□サイズ

 170㎝

 

□特筆事項

・長男は11代目市川海老蔵

・長女は4代目市川翠扇


■市川団十郎

 

□幼少時代〜

・父親は歌舞伎俳優の11代目市川団十郎。

・元気に育つように夏雄と名づけられた。

・妹がいる。

・自分から進んでお稽古事をやり始めた。

・中学時代、歌舞伎でやっていけるか不安に思い、サラリーマンになる事を考えた。

・父親が学業優先を望んだ為、子供時代の舞台経験は同世代の歌舞伎俳優に比べて少なかった。

・父親は教える時に言葉で表現することが苦手だった。

 やらせてみては「違う、バカ野郎」の繰り返し、そのうち手が出て物が飛んで来た。

・19歳の時、父親ががんで56歳の若さで他界。

・大学時代、大学紛争でロックアウト続きだった為、舞台と学業を両立できた。

・ボクシングをやっていた。


■市川団十郎

 

□私生活

・好物…寿司。そば。マグロ。

・嫌いな食べ物…マカダミアナッツ。

・得意料理…寿司(自分でさばいて握る)。

・タバコが好き。

・健康法…野菜ジュース(毎朝飲む)。

・白血病の治療の為に妹(市川紅梅)から同種末梢血幹細胞移植を受けた(=08年)。

 血液型がA型からO型に変わった。

・左きき。左きき用のマイ包丁を所有。

・好きな映画…「ベン・ハー」。

・パソコンが好き。

 マイコンと呼ばれている時代に始めて自分でプログラムを組んだ。

・ネットで囲碁、将棋をする。

・星を見るのが好き。

・普段は浴衣やジーパンをよく着る。

・住んでいる所…東京都目黒区青葉台(=02.05現在)。

   自宅の屋上から目黒川沿いの桜が見える(=12.09現在)。

 自宅に約40畳のけいこ場がある。

・いきつけ…

   「ソロピッザ 箱根店」(=12.09現在)。

   そば屋「砂場」(東京・赤坂)。

・よく夫婦喧嘩をする。


■市川団十郎

 

□人間関係

・市川新之助(6代目)、尾上菊之助(4代目)、尾上辰之助(初代)、

 …若い頃に「三之助」と呼ばれた。

・坂東玉三郎…「海老玉コンビ」として人気を博した。

・常磐津一巴太夫…常磐津の師匠。

・波乃久里子…団十郎のファン。

 「団十郎です」という携帯の着ボイスを使用。

・松本幸四郎…従兄弟。

・市川紅梅…妹。舞踊家。

・希実子…?年結婚。

・子供:

 長男…市川海老蔵(11代目)。77.12.06誕生。

 長女…市川翠扇(4代目)。日本舞踊市川流の舞踊家。


■市川団十郎

 

□エピソードなど

・初代団十郎は「暫(しばらく)」「鳴神(なるかみ)」などの荒事の創始者。

・5代目団十郎は江戸末期の名優。

   5代目の着物の格子縞(こうしじま)は庶民に流行。 

 「勧進帳」を作らせて市川家の代表作を「歌舞伎十八番」と定めた。

・9代目団十郎は明治歌舞伎の代表的役者。

 能の様式を取り入れた「松羽目物(まつばめもの)」を開拓。

・11代目団十郎は戦後の大スター。

 戦争で壊滅的になった歌舞伎の復興を支えて爽然と麗しい芸達者で「海老さま」と呼ばれた。

・歌舞伎座「大徳寺」の三法師で初舞台(=53年)。

・歌舞伎座「風薫鞍馬彩」の牛若丸で6代目市川新之助を襲名(=58年)。

・歌舞伎座「助六由縁江戸桜」の弁慶、「勧進帳」の冨樫で10代目市川海老蔵を襲名(=69年)。

・父親の他界後、後ろ楯がなくなった事で周囲の扱いが一変した。

・「家の芸」で父手ずから教えられたのは「勧進帳」の弁慶と「寺子屋」の松王丸だけだった。

・海老蔵時代、一門を率いるだけの収入を得る為に積極的にテレビ出演。

 歌舞伎の昼夜公演の後で深夜からテレビ番組の収録というスケジュールをこなした。

・海老蔵時代、歌舞伎をやめようと思った事が何度かあった。

・若い頃、役者仲間から「とっつきにくい」とよく言われた。

・口跡(せりふ術や発声)の訓練の為に常磐津を習った。

・出番の合間に楽屋で趣味の絵を描く。

・文化庁の文化審議会メンバーを務めた。

・アメリカ歌舞伎公演に参加(=85年)。

・初代団十郎が作・主演した「成田山分身不動」を290年ぶりに上演(=92年)。

・著書「歌舞伎十八番」出版(=02年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在