尾崎紀世彦

尾崎紀世彦


■尾崎紀世彦(おざき きよひこ)

 

□肩書き

 歌手

 

□本名

 尾崎紀世彦

 

□生年

 1943(昭和20)01.01(山羊座/O型) 

 

□没年

 2012(平成24)05.30(享年69)胃がん

 

□出身地

 神奈川県茅ヶ崎市

 

□出身校

 YMCA国際ホテル学校

 

□略歴

 70年(25歳)「別れの夜明け」でソロデビュー。

 71年(26歳)「また逢う日まで」で日本レコード大賞&日本歌謡大賞。

 87年(42歳)「Summer Love」がヒット。

 ※主な出演:

  映画 「ハウス」「星くず兄弟の伝説」「釣りバカ日誌16」

  テレビ「THE夜もヒッパレ」

 ※他の主なシングル:

  「さよならをもう一度」「愛する人はひとり」

 

□趣味

 お祭り 乗馬 バイク 素潜り サーフィン スキューバダイビング ヨット

 

□特技

 銀細工 アクセサリー作り ギター ウクレレ 指笛

 

□免許・資格

 大型二輪免許

 

□サイズ

 170㎝ 54㎏

 

□特記事項

・日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞(史上初)

■尾崎紀世彦

 

□幼少時代〜

・子供の頃からラジオから流れてくる洋楽を口ずさんでいた。

・子供の頃、湘南の海でよく遊んだ。

 水泳、貝採り、洗濯板をボードにして波乗り、など。

・中学〜高校時代、水泳部。毎日3万m泳いだ。

・高校時代、友人と一緒にサーフボードを自作。

・15歳の頃にハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」を結成。

 神奈川県内のライブハウスやホテルでセミプロとして活動。

 初任給が1万円台の時代に6万円のギャラを貰い、

 豪華な食事を食べて芸者遊びをしていた。


■尾崎紀世彦

 

□私生活

・好物…納豆。しょぼろ納豆漬け。

・得意料理…づけ丼。魚の干物(自分でで釣った魚を自宅で天日干しにする)。

・好きな酒は泡盛の古酒。

・バイク事故で右足を複雑骨折(=95年)。

 「この年齢なら回復までに1年はかかる」と診断されたが3ヵ月で治った。

・ソロデビュー直後に多重衝突の交通事故に巻き込まれて4ヵ月入院。

・肺活量は6000cc。

・ブレスレット、チョーカーなどのアクセサリーを作る。

・銀と皮を加工してナイフベルト、ギターストラップなどを作る。

・原宿で若者が着るような服を買う。

・スキューバダイビングがなによりのストレス解消法。

・海が大好き。波の音を聞かないと寝つきが悪い。

・千葉県鴨川市にサーフィンのためのアパートを借りていた。

・外食する時に自分で作ったマイ箸(竹製とくろもじ製)を持参。

・ハーレーダッビドソンが大好き。

・お祭りでみこしをかつぐのが大好き。 

・年寄りと話したくないので同窓会に出ない。

■尾崎紀世彦

 

□人間関係

・大林宣彦…家族ぐるみのつきあい。乗馬友達。

・ジャイアント吉田…友人。サーフィン仲間。

・錦野旦、野村将希、松崎しげる、吉田拓郎…同時期に歌手デビュー。

・尾崎紀世彦、西郷輝彦、清水アキラ、錦野旦、幸夫、布施明、三田明、

 小川知子、金沢明子、今陽子、ジュディ・オング、黛ジュン、山本リンダ

 …阪神大震災の被災者救済のチャリティーコンサートを開催(発起人は橋幸夫)。

・半田健人…尾崎のファン。

・元妻…ハワイ生まれの日米ハーフ。73年結婚、?年離婚。

・妻…?年結婚。※離婚係争中(=06.02現在)

 ※最初の妻との間に2児、2番目の妻との間に1児がいる


■尾崎紀世彦

 

□エピソードなど

・ジミー時田のバンド・マウンテンプレーボーイズにセカンドボーカルとして参加、

 全国各地のジャズ喫茶で歌った。

・ザ・ワンダーズの一員として活動(67年結成、69年脱退)。

・「また逢う日まで」で日本歌謡大賞受賞後の記者会見で

 「いま一番何をしたいですか?」と訊かれて「何か食いたい」と答えた。

・若い頃は思った事をそのまま口にしていたので誤解される事が多かった。

・声域は2オクターブ。

・「ゴッド・ファーザー 愛のテーマ」をカバー(=72年)。

・ディナーショーの人気は絶大だった。「ディナーショーの王者」と呼ばれた。

・ライブでハワイアンをゆっくり歌ったら客席で泣いていた赤ちゃんがいつの間にか寝ていた。

・約20年ぶりのコンサートを開催(=95年)。

 往年の自分の曲をアレンジを変えてテンポアップ。

 ミスチルやTUBの曲を歌った。

・エッセイ集「ベーコン野外術」を出版(=00年)。

・アニメ映画「きかんしゃトーマス」声優(=00年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在