定岡正二

定岡正二

■定岡正二(さだおか しょうじ)

 

□肩書き

 プロ野球選手(85年引退)

 スポーツキャスター タレント

 

□所属チーム

 読売ジャイアンツ(75年〜85年)

 

□本名

 定岡正二

 

□愛称

 サダ

 

□生年

 1956(昭和31)11.29(射手座/O型)

 

□出身地

 鹿児島県鹿児島市

 

□出身校

 吉野小学校→大浦小学校

 吉野中学校

 鹿児島実業高校

 

□略歴

 75年(19歳)ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。

 82年(26歳)15勝6敗。

 86年(30歳)テレビ「JNNスポーツチャンネル」キャスター。

 ※通算成績:

  215試合、51勝42敗3S、防御率3.83、492奪三振、勝率.548

 ※他の主な出演:

  映画  「どっちもどっち」

  ドラマ「イヴは初恋のように」「欅の家」

  テレビ「生でダラダラいかせて!!」「マジカル頭脳パワー」「炎のチャレンジャー」

 

□趣味

 読書 ビデオ鑑賞 ベース演奏 庭いじり 美術館 コンサート 散歩 

 マウンテンバイク クルマ 釣り ゴルフ

 

□サイズ

 184㎝ 靴のサイズ27㎝


■定岡正二

 

□幼少時代〜

・3人兄弟の次男。

・5歳の頃、父親がキャッチャーやってくれてどんな球でも捕ってくれた。

 ※映画「フィールド・オブ・ドリームス」のような体験として記憶に残っている

・中学時代、野球の練習が嫌いだった。

 将来パン屋になりたいと思っていた。

・中3の時、兄のスカウトに来た人が札束をテーブルの上に出すのをこっそり見て、

   「野球は儲かるんだ」と思って少し本気で野球をやるようになった。

・高2の時、夏の甲子園に出場(1回戦敗退)。

・高2の秋から本格的に投手の練習をはじめた。

・高3の時、夏の甲子園に出場(鹿児島実業高校初のベスト4)。

 甲子園1勝が目標だったので準決勝まで進出して自分でもびっくりした。

 勝つにつれて宿の食事がどんどん良くなった。

 準々決勝の東海大相模戦、1年生の原辰徳に打たれて先制されたが、

   213球を投げて18奪三振で延長戦を制して勝利(試合終了の瞬間に無意識にガッツポーズ)。

 準決勝の防府商戦、走者としてホームにつっこんだ時に右腕を負傷して途中降番、

 リリーフした後輩の2塁牽制球が暴投になりセンターがトンネルしてサヨナラ負け。

 甲子園に出発する時の見送りは十数人だったが帰ってきた時の出迎えは3万人。

・甲子園以降、アイドル的な人気者になった。

 自宅の電話は24時間鳴りっぱなし、

 ファンレターが1日に4㎏来た(「九州地方 定岡様」という宛名で届いたらしい)。

 自宅が観光名所になって壁にたくさん落書きされた。

 町を歩くと知らない人がかき氷をおごってくれた。

 有名になったので成人映画館に入れなくなった。

・高校時代、学校の事務員の吉満勝子さん(当時23歳)に憧れていて、

 月謝を払うのが楽しみだった。


■定岡正二

 

□私生活

・好物…寿司。パン。魚。卵料理。

・嫌いな食べ物…かまぼこ(ラーメンのなるとも駄目)。

・ミネラルウォーターの利き水ができる。

・掃除が好き。

・クルマ雑誌を多数愛読。

・いきつけ…

 焼肉「牛まつ」(多摩プラーザ、ジャイアンツの選手御用達)。

 バー「タトゥー」(六本木)。

・マウンテンバイクを愛用。

 仕事場までマウンテンバイクで行く。

・ダーツの名人(自称)。

・1年に10日でいいから漁師をやりたいと思っている。

   屋久島のはるか南の島で魚釣りをしながら10日間過ごした事がある。

・ひとりで過ごすのが好き。

 選手時代からコンサートや美術館にひとりで行っていた。

・女性の手を握ると出身地と血液型が判る。※手を握る為のネタ?

・ゲイと噂された事がある。


■定岡正二

 

□人間関係

・角盈男…親友。

・長嶋一茂…友人。一茂が子供の頃から仲良し。サダキチと呼ばれる。

・川合俊一、モト冬樹、ヒロミ、神田うの…友人。遊び仲間。

・西本聖…ジャイアンツ同期入団(西本はドラフト外)。

・江川卓、原辰徳、中畑清…同時期にジャイアンツで活躍。

・長嶋茂雄…巨人の監督に就任して初めてのドラフトで定岡を1位指名。

・角不二夫、高橋慶彦…ドラフト同期。

・石橋貴明、デビット伊東…テレビ「生ダラ」で共演。

 石橋から「負け犬サダ」「言い訳サダ」と呼ばれて天然系の言動をいじられた。

 北海道ロケで一緒にキャバクラに行ってハメを外した。

 番組内企画でバイクチーム結成してCDをリリース。

・マルシア…テレビ「生ダラ」の企画でペアを組んでフラメンコに挑戦、

 スペインの大会に出場(=99年)。

・山口智充…遠い親戚らしい。

・定岡智秋(兄)、定岡徹久(弟)…プロ野球選手。「定岡3兄弟」と呼ばれた。

   3人兄弟が全員プロ野球選手になったのはプロ野球史上初。

・井森美幸、大河内奈々子…定岡のファン。

・鈴木京香…憧れている芸能人。

・浅野ゆう子…交際を噂された。

・江夏美江(モデル)…交際を噂された(=81年)。

・しもいきよみ(モデル)…交際を噂された(=86年)。

・国生さゆり…交際を噂された(=99年)。


■定岡正二

 

□エピソードなど

・プロ入りの契約金で母校にナイター設備を寄付。

・プロ入りの際、スポーツ新聞で「向こう3年間は絶対に性体験はしません」と宣言。

 実際に2年間我慢した(20歳の時に初体験)。

・新人時代、自主トレにファン2万人が来た。

・2軍時代はお金に苦労した。1年目の年俸は240万円。

 用具代(月約10万円)を出して親に仕送りもしていた。

 特に苦しかったのは後輩におごっていた3〜4年目。

・プロ5年目まで1軍で無勝利だった。

・鋭いライナー性の打球が額に直撃(=81.04.05中日戦)

 跳ね返った球が3塁ベンチ前かで転がった。

 医者に「もう少し横だったら死んでいた」と言われた。

・被安打1の準完全試合(=81.04.11阪神戦)。

・6年目から1軍に定着、8年目に15勝を挙げて先発ローテーション入り。

・決め球はスライダー。

・近鉄へのトレードを拒否して引退(=85年)。

・引退した翌年、長島監督の口ききでドジャースのスプリングキャンプに参加。 

 紅白戦に1回登板(2イニング無失点)。

 その時貰ったドジャースのジャンパーは宝物として大切に保存。

・シングル「ガラスの微笑み」をリリース(=82年)。

・バイクレースチーム「TEAM SADAOKA」を結成(=89年)。

・ホルルマラソンを完走。

・バラエティ番組に出ていると頭のてっぺんが痛くなる。

凡例:20.01現在=2020年1月現在