大島康徳

大島康徳


■大島康徳(おおしま やすのり)

 

□肩書き

 野球選手(94年引退)

 野球解説者

 

□所属

 中日ドラゴンズ(69年〜87年)

 日本ハムファイターズ(88年〜94年)

 

□生年

 1950(昭和25)10.16(天秤座)

 

□没年

 2021(令和03)06.30(享年70)  

 

□出身地

 大分県中津市

 

□出身校

 今津中学校

 大分県立中津工業高校

 

□略歴(満年齢)

 69年(19歳)ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。

   88年(38歳)トレードで日本ハムファイターズに移籍。

 90年(40歳)通算2000安打。

 ※入団、移籍は野球シーズン年度

 ※通算成績:

  26380試合、2204安打、.272、382本、1234打点、88盗塁

  ※主なタイトル・表彰:

  本塁打王1回、最多安打1回

 

□サイズ

 182㎝ 85㎏


■大島康徳

 

□幼少時代〜

・父親は国鉄職員。

・姉と兄がいる。

・父親は満州からの引揚者で無口な人だった。

・2DKの風呂なしの市営住宅に住んでいた。

・子供の頃、引っ込み思案で人前が苦手だった。

 ひとりで山で野鳥を追いかけて遊んだ。

・中2の時、東京五輪の金メダルに感激してバレーボール部に入部。

 エースアタッカーとして活躍。

・中3の時、身長が大きかったので様々な運動部に助っ人として参加(175㎝)。

 地元の相撲大会で個人優勝。

・野球部の監督から何度も勧誘されてその都度断っていたが、

 監督がくれたグローブの革の匂いに惹かれて野球を始めた。

・高校入学後に本格的に野球を始めた。

 最初はキャッチボールもうまくできなかった。

・高校時代のポジションは投手・内野手・外野手。

・高校時代、野球の練習は嫌いだった。

・高3の時、公式戦で場外ホームラン。

 その試合をドラゴンズスカウトが見ていたらしい。


■大島康徳

 

□私生活

・がん発症後、酒は控えたがタバコはやめずに続けた。

・ステージ4の大腸がんの手術を受けた事をブログで発表(=17年2月)。

・住んでいる所…東京都(一軒家、4LDK=93年現在)。

・父親は膵臓がんで他界。

・兄は白血病で他界(享年28)。


■大島康徳

 

□人間関係

・小笠原道大…打撃の弟子。小笠原の引退後も交流がある。

・高橋周平、田島慎二、ビシエド、大野雄大、平田良介、

 吉見一起、松坂大輔、福留孝介、荒木雅博、川上憲伸、

 井端弘和、岩瀬仁紀、和田一浩、谷繁元信、立浪和義、

 山﨑武司、与田剛、山本昌、小松辰雄、田尾安志、

 落合博満、大島康徳、谷沢健一、星野仙一、高木守道、

 板東英二、権藤博、杉下茂

 …中日ドラゴンズ所属(移籍・引退・監督を含む)。

・加藤晴彦、小沢一敬、井戸田潤、近藤芳正、升毅、峰竜太

 …中日ドラゴンズのファン。

・保奈美…87.01.11結婚。10歳年下。

・子供:

 長男。

 次男…大島雅斗。89.12.04誕生。芸人。 



■大島康徳

 

□エピソードなど

・右投右打。

・投手として入団。

・入団3年目の1軍デビュー戦でバックスクリーン直撃のホームラン。

・若い頃、よく門限を破って夜遊びして寮長に怒られた。

・1年おきに好成績を残す事が多かった。「隔年の大島」と呼ばれた。

・代打本塁打通算20本。※歴代2位(19年12月現在)

・76年に記録したシーズン代打本塁打7本は現在も日本記録(=21.07)。

・39歳10ヵ月で2000安打は当時の最年長記録。

・第1回WBC打撃コーチ(=06年)。

・テレビ「爆報! THEフライデー」で事実と異なるを放送された事をブログで抗議(=20年)。

 ※大島の自宅が欠陥住宅と判明(19年3月放送)

凡例:20.01現在=2020年1月現在