坂東玉三郎(5代目)

坂東玉三郎(5代目)


■坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)(5代目)

 

□肩書き

 歌舞伎俳優

 

□本名(旧姓)

 楡原伸一

 

□生年

 1950(昭和25)04.25(牡牛座/B型)

 

□出身地

 東京都

 

□出身校

 巣鴨小学校

 聖学院高校

 

□略歴(満年齢)

 57年(07歳)東横ホール「寺小屋」で初舞台。

 64年(14歳)5代目坂東玉三郎を襲名。

 91年(41歳)映画「外科室」監督(初監督作品)。

 ※他の主な出演:

  舞台 「マクベス」「オセロ」「黒蜥蜴」

  映画 「夜叉ヶ池」「帝都物語」「夢二」

  ドラマ「麒麟がくる」

  テレビ「誰だって波瀾爆笑」

 

□趣味

 音楽観賞 映画観賞 オペラ鑑賞 バレエ鑑賞 陶芸

 水泳 素潜り スキューバダイビング

 

□サイズ

 173㎝

 

□特記事項

・人間国宝

■坂東玉三郎


□幼少時代〜

・実家は代々料亭(東京・大塚)。

・両親はお互い子連れの再婚だった。

・年齢が離れた兄が4人いる。

・1歳の時、小児麻痺を患った。右足アキレス腱に麻痺が残った。

・3歳の頃、毎朝邦楽のレコードで起きて、母親の羽織や風呂敷を巻いて踊った。

 起きる時間に父親が邦楽のレコードをかけてくれた。

・家に出入りする芸者が身に付けている着物や帽子を親にねだった。

・4〜5歳の頃から歌舞伎座に通った。

・近所の子供とままごとをする時は自ら進んでお母さん役をやった。

・男の子から「女、女」とからかわれても平気だった。

・男女に分けられるのが嫌で1日で幼稚園をやめた。

・習いごと…日舞(5歳〜)。琴。

 ※小児麻痺後遺症のリハビリとして日舞をはじめたらしい

・毎年、夏休みと冬休みを真鶴の兄の所で過ごした。

 3番目の兄と4番目の兄が真鶴でダイビングセンターを経営していた。

・宇宙飛行士になりたかった。

・体育の授業をよくさぼった。

・国語と社会は苦手だった。

・右足アキレス腱の手術を2回受けた(15歳、20歳)。


■坂東玉三郎

 

□私生活

・好物…ヒレステーキ(毎朝150グラム食べる)。抹茶(毎朝飲む)。

・20年間肉を食べずに野菜中心の食生活を送っていた。

・酒を飲まない。

・美容法…麹パック。椿油。

・健康法…ストレッチ。ウォーキング。

・心身症を患った事がある。

・55歳の頃から60歳頃まで原因不明の不定愁訴に悩まされた。

 検査をしても異常は見つからなかった。

・左利き。

・昼寝が好き。

・女形を演じる為に上半身には筋肉をつけないようにしている。

・女性っぽい仕種が無意識に出てしまう。

・様々なジャンルの音楽を聴く。

・好きな映画…「ギルバート・グレイプ」。

・舞台に立つ事がストレス解消法。

・大阪に定宿にしているホテルがある(スイートルームに滞在)。

・いきつけ…日本料理「高台寺和久傳」(京都)。

・ディズニーランドが大好き。世界各地のディズニーランドに行った事がある。

・佐渡や山鹿の田舎で芝居をする時は部屋に籠って新聞やテレビを見ないで過ごす。

・海外で舞台を観るのが大好き。1日2本観る事がある。

・海が大好き。毎年どこかの海に行く。

・45歳までは殆ど休みを取らなかった。

・50歳でスキューバダイビングを始めた。素潜りが好き。

 ダイビング中にマンタやサメに遭遇した事がある。

・海に行く前に日焼けサロンでベースを作っておく。その方がシミにならない。

・パラセーリングをやった事がある。

・カラオケの十八番…玉置浩二。 


■坂東玉三郎

 

□人間関係

・真田広之…友人。

・12代目市川団十郎…多数の舞台で相手役を務めて「海老玉コンビ」として人気を博した。

・15代目片岡仁左衛門(片岡孝夫)…多数の舞台で相手役を務めて「孝玉コンビ」として人気を博した。

・黒田勇樹…玉三郎が主宰する東京コンセルヴァトリーの特別聴講生(9歳〜12歳)。

 玉三郎の付き人を1ヵ月間務めた。俳優として玉三郎を尊敬している。

・東山紀之…玉三郎が演出した舞台「なよたけ」に出演。

 発声、セリフ回しなどを東山に教えてあげた。

・川平滋英…玉三郎が演出した舞台「ロミオとジュリエット」に出演。

・川崎麻世…玉三郎が演出した舞台「ガラスの仮面」に出演。

・中島朋子…玉三郎が演出した舞台「ロミオとジュリエット」に出演。

・佐藤しのぶ…玉三郎を尊敬している。

・永井美奈子…玉三郎のファン。

・8代目松本幸四郎…幸四郎に引き立てて貰った。※故人

・14代目守田勘弥…養父。6歳の6月6日に弟子入りした。※故人

・藤間勘紫恵…養母。踊りの師匠。


■坂東玉三郎

 

□エピソードなど

・ものごころついた頃、歌舞伎の女形に憧れて、その意志を親に伝えた。

・初名は坂東喜の字。

・屋号は大和屋。

・舞台「椿説弓張月」(作・演出 三島由紀夫)で白縫姫を演じて話題になった。

・「妹背山」で芸術選奨新人賞を受賞(=70年)。

・変声期が約10年続いた。

・化粧がしやすいように襟を大きくくったシャツを自ら考案した。

・女形としては身長が高い。

 小柄な立役の相手を務める為に脚を折って腰をかがめて美しく見える形を研究した。

・自分の舞台のビデオを見返すのは基本的に好きではない。

・「桜姫東文章」の桜姫は一代の当り役と言われている。

・歌舞伎界を代表する立女形。

・無名から大立者へと自力でのし上がった役者は戦後は玉三郎のみ。

・30歳までは化粧をして衣裳を着ければそのまま女形として舞台に上がれた。

・初めてバレエを見た日から開脚の練習を始めて3ヵ月で習得した。

・主な歌舞伎の出演作品…「桜姫東文章」「義経千本櫻」「鷺娘」。

・歌舞伎にとどまらず、新派、翻訳物、現代劇の舞台にも多数出演。

・ニューヨーク、パリ、ロンドンで海外公演を行った事がある。

・自らの公演は、台本、衣裳、照明、装置を自分が納得いくまで手直しさせる。

・メトロポリタンオペラハウス100周年記念公演で「鷲娘」を踊った(=84年)。

・舞台「ロミオとジュリエット」を演出(=86年)。

・ヨーヨー・マなどの演奏によるラヴェル「ピアノ三重奏曲」で創作舞踊を上演(=88年)。

・モーリス・ベジャールが振付けた舞踏でジョルジュ・ドンと共演(=88年)。

・若手演劇人養成の為の私塾・東京コンセルヴァトリーを設立(=90年)。

・世界バレエフェスティバルで自ら振り付けた「紫陽花」を踊った(=91年)。

・映画「外科室」を監督(初監督作品=91年)。

・フランス芸術文化勲章シュバリエ章を授章(=91年)。

・シャンソン中心の初アルバム「一寸おたずねします」をリリース(=95年)。

・横浜21世紀座の舞台監督に就任(=00年)。

・乗り物に乗っている時が一番集中して台詞覚えができる。

・豪華写真集「五代目坂東玉三郎 特別愛蔵版」を出版(全4巻、50万円=07年)。

・日中合同制作の昆劇「牡丹亭」に主演(=08年〜)。

 約2年かけて蘇州語の台詞と歌を覚えた。

 ※蘇州語の独特な発音は中国人でも難しいと言われている

・衣装の重さは10〜20㎏。

・鼓童・太鼓パフォーマンス「打男 DADAN」を演出(=09年)。

・元日に帝国劇場で「坂東玉三郎特別公演」を開催

 (帝国劇場の元日の歌舞伎公演は65年ぶり=11年)。

・シャンソンのアルバム「邂逅 越路吹雪を歌う」をリリース(=17年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在