向田邦子

向田邦子


■向田邦子(むこうだ くにこ)

 

□肩書き

 脚本家 小説家

 

□生年

 1929(昭和04)11.28(射手座)

 

□没年

 1981(昭和56)08.22(享年51)航空機墜落事故

 

□出身

 東京都世田谷区若林

 

□出身校

 東京都立目黒高等女学校

 実践女子専門学校国文科卒業(実践女子大学)

 

□略歴(満年齢)

 71年(42歳)ドラマ「時間ですよ」脚本。

 74年(45歳)ドラマ「寺内貫太郎一家」脚本。

 80年(51歳)「花の名前」他で第83回直木賞。

 ※他の主な仕事:

  脚本「だいこんの花」「阿修羅のごとく」「あ・うん」

  著書「父の詫び状」「眠る盃」「思い出トランプ」


■向田邦子

 

□幼少時代〜

・父親は保険会社の支店長。

・毋方の祖父は建具師。

・4人きょうだいの長女。2歳年下の弟、妹が2人いる。

・父親は大の読書家だった。

・父親に詩吟をやらされた。

・爪、定規、鉛筆のおしりを噛む癖があった。

 ※爪を噛む癖は大人になった後も治らない

・小3の時、肺門淋巴腺炎を患って約1年間休学。

・小5の時、夏目漱石「吾輩は猫である」で小説の面白さに目覚めた。

・10歳の頃、父親の転勤で鹿児島に住んでいた(2年間)。

・12歳の頃、父親の転勤で四国・高知に住んでいた(2年間)。

・東京大空襲の時に祐天寺のそばの自宅が燃えかけた。

 火がついた生垣を水に浸けた火叩きで叩きまわって消火した。

・盲腸の手術を受けた。

・人の世話をするのが好きだった。

・理数系の勉強は嫌いだった。

・女学校時代、学級委員。

・女学校時代、軍需工場に動員されて旋盤工として風船爆弾に部品を作った。

・女学校3年の時、栄養状態が悪かったせいか脚気を患った。

・学生時代、祖母の家に居候。

・学生時代、父親のワイシャツを仕立て直して着ていた。

・学生時代、母親の着物を使って水着を作って自分で染めた。

・学生時代、上野の図書館でよく勉強した。


■向田邦子

 

□私生活

・好物…鰻重。ネギ雑炊(風邪気味の時に食べる)。ラーメン。

 味醂干し。塩焼き卵。オムレツ(ソースをかけて食べる)。

 精進揚げ。水羊羹。

・得意料理…豚鍋。のり吸い。若竹椀。沢煮椀。

 にんにく玉子。らっきょう漬け。

・外食でおいしい料理を食べた時に精神集中して味を記憶、

 ちょっとしたコツを板前に聞いて自分で作ってみる。

・酒が好き。好きな酒はビール。

・40代半ばの頃に乳がんを患った。

・低血圧気味。くもりの日は頭の働きが鈍い。

・爪を噛む癖がある。

 子供の頃は足の爪も噛んで切っていた。

・食器が好き。気に行った品を直感で買う。

・若い頃は節約の為に自分で洋服を作っていた。

・猫科の動物が大好き。

 動物園に行くとライオン、トラ、チーターばかり見る。

・靴下が嫌い。年中裸足で過ごす。

・ペット…

 猫(コラット、牡、名前はマミオ)。

 猫(コラット、牝、名前はチッキィ)。

 猫(シャム猫、牝、名前は伽里伽)。

 ※コラットは夫婦、仔猫を20匹以上産んだ

・住んでいる所…東京・青山(南青山第一マンションズ508号室)。

・杉並に住んでいた(20代の頃)。

・いきつけ…

 日本料理「湖月」(青山、合鴨ロース)。

 洋食「津つ井」(赤坂、もやしサラダ)。

・帽子作り教室に週1回1年間通った(26歳の頃)。

・若い頃、夏は水泳、冬はスキーによく行った。

・仕事が忙しい時ほど旅行に行きたくなる。

・電車の旅が好き。

・乗車中のバスが京王電車と衝突した(20代前半の頃)。

・社員旅行で男女約20人で大広間で雑魚寝した事がある(20代の頃)。

・人に奢るのが好き。

・父親は心不全で他界(享年64=69年)。

・妹は火災保険会社勤務→五反田で喫茶店「水屋」経営。


■向田邦子

 

□人間関係

・黒柳徹子…友人。よく向田の自宅に遊びに来た。

・倉本聰、山田太一…友人。3人で一緒に飲む。

・早坂暁…友人。

・和田勉…飼っていた猫が産んだ仔猫を和田にあげた。

・太田光…向田のファン。文章を書く時に向田を意識する。

・川野黎子…友人。実践女子専門学校時代からの仲。

 「小説新潮」編集長。川野のすすめで小説を書き始めた。

 

□エピソードなど

・23歳から31歳まで日本橋の出版社・雄鶏社に勤務。

 洋画雑誌「映画ストーリー」の編集者として、試写室に通い、来日したスターを取材。

 スタッフの数が少なかったので、広告取り・割付・校正もやった。

・出版社の給料が薄給だったので遊ぶ金欲しさに放送作家の仕事をはじめた。

・フリーライター事務所・ガリーナクラブを設立(=60年)。

・最初の仕事はドラマ「ダイヤル110番」のネタ出し。

 ネタが採用されるとドラマに使われた。

・放送作家の最初の3年間は出版社勤務とかけもち。

 昼間は出版社の仕事、夕方から喫茶店「ブリッジ」で原稿を書いた。

・約10年間、ラジオの構成、週刊誌のライター、婦人雑誌の雑文書きなどをしていた。

・悪筆。判読困難な文字が意味不明な言葉で印刷される事がよくある。

・締切が近づくと手が込んだ料理を作りたくなる。

・いったん書き始めると1時間で400字原稿用紙10枚ペースで書く。

・人が死ぬシナリオを書くのが苦手。

・副業…小料理屋「ままや」(赤坂、妹と共同経営)。

・台湾旅行中の飛行機事故で他界。

主要参考媒体:

「眠る盃」講談社文庫 1982年発行

「親愛なる向田邦子さま」河出書房新社 2022年発行

凡例:20.01現在=2020年1月現在