吉井和哉

吉井和哉

■吉井和哉(よしい かずや)

 

□肩書き

 歌手 

 

□所属グループ

 THE YELLOW MONKEY(88年結成、04年解散、16年再結成)

 

□別名

 YOSHII LOVINSON

 

□生年

 1966(昭和41)10.08(天秤座/A型)

 

□出身地

 東京都北区→静岡県

 

□略歴(満年齢)

   92年(26歳)THE YELLOW MONKEYとして「Romantist Taste」でデビュー。

   96年(30歳)THE YELLOW MONKEY「楽園」がヒット。

 03年(37歳)「TALI」でソロデビュー。

 ※THE YELLOW MONKEYの他の主な楽曲:

  「LOVE LOVE SHOW」「BURN」「SO YOUNG」

 ※主な出演:

  映画 「YOSHII CINEMAS」「パンドラ ザ・イエロー・モンキー」

  テレビ「僕らの音楽」「笑っていいとも!」「A-Studio」

  ラジオ「吉井和哉のオールナイトニッポン」

 

□趣味

 釣り

 

□資格・免許

 2級小型船舶

 

□サイズ

 183㎝ 靴のサイズ27㎝

 

□特記事項

・妻は眞鍋かをり

■吉井和哉


□幼少時代〜

・父親は旅芸人→鉄工所勤務。

・母方の先祖に歌を歌っている人がいた。

・3歳の頃、両親がセックスしている所を見た。

・小1の時、父親が屋根から落ちて他界(享年26)。

・父親の他界後、静岡(母親の出身地)に引っ越して祖母と同居。

・おばあちゃん子だった。

 ホステスをしていた母親が18時頃に出かけてからは祖母とふたりっきりだった。

   祖母の財布からしょっちゅうお金を盗んでいた。

・母親が16時頃に作っておいてくれた冷めた夕食を食べるのが嫌だったので、

 友人の家に食事時間に遊びに行って食べさせて貰ったり友人の家で自分で料理を作ったりした。

 母親が忙しい時は500円を渡されて近所の中華料理屋でひとりで350円のチキンライスを食べた。

 遅い時間によく夜食にラーメンを食べた。

・小学校時代、父親がいない事や母親の仕事の事でいじめられた。

・小学校時代、近所の駄菓子屋や古本屋のおじさんと世間話をするのが好きだった。

・小学校時代、友人と一緒に万引きして2回捕まった。

・小学校時代、夏休みにセミ捕りに熱中した。

・小学校時代、フィンガー5、ピンクレディー、演歌、ムード歌謡が好きだった。

 親戚の家に泊まりに行くと演歌やムード歌謡のレコードを延々聞いた。

 ムード歌謡独特のサックスが好きだった。

・小学校時代、ファルセットが奇麗に出るので合唱団にスカウトされたが断った。

・小学校時代、夜食の食べ過ぎで太っていた。運動が苦手だった。

・小学校時代、ラジオの深夜放送が好きだった。

・小5の時、釣りを始めた。

   日曜日の早朝にひとりで自転車で行ってルアーでブラックバスを釣った。

・小6の時、母親の財布から500円盗んだのがバレて何度も殴られた。

・小学校高学年から中2まで柔道をやっていた。

・中学時代、太っていた。

・中学時代、女の子にモテなかった。2回告白して2回ともフラれた。

・中3の時、クラスメイトとバンドを結成。

・成績はとても悪かった。オール1に近かった。

・ヘビメタをやっていた。

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□私生活①

・好物…カレーライス(大好物、利きカレーができるらしい)。

・嫌いな食べ物…豆。納豆。

・禁煙に失敗した事がある。

・健康法…水(毎日2ℓ飲む)。

・アレルギー性鼻炎の治療の為にレーザー手術を受けた。

・レコーディングのミックス(最終段階)でよく胸が痛くなって呼吸が苦しくなる。

・ヒゲ・体毛が薄い。

 胸の真ん中から金髪の宝毛が生えてくる(生えている時はツキがある)。

・「筋肉がつきにくい体質」と診断された。

・好きなアーティスト…あがた森魚(曲作りの影響を受けた)。デビッド・ボウイ。

・子供の頃からムード歌謡が好き。

 20歳の頃にラブホテルで一緒にいた女の子そっちのけで有線を聞き続けてドン引きされた。

 クールファイブのベストをヘビーローテションで聞いた時期がある。

・高級オーデォオマニア。

・アナログレコードを集めている。

・インディアンに興味がある。

・住んでいる所…東京都、山梨県(=07年現在)。

 山梨の一軒家(04年落成)と東京のマンション(築約40年)をいったりきたりしている。

   山梨の一軒家は地下にスタジオがある。


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□私生活②

・釣り用のボートを持っている。

・店で冷めた料理を出されるととても腹が立つ

 (子供の頃に母親が作ってくれた冷めた夕食を食べていたトラウマ)。

・子供の頃に住んでいた町(東京都北区十条)に2年1回程度のペースで行く。

・ロンドンのお気に入りのカフェに入り浸って歌詞をたくさん書いた。

・食事をする時にメニュー選ぶのが早い。

・よくウソをつくらしい。

・THE YELLOW MONKEYのメンバーとグループLINEをやっている(=16.10現在)。

 打ち上げの後で各々が部屋に戻った後で朝までLINEする事がある(話題はほぼ下ネタ)。

・子供(特に幼児)が好き。

・子供の運動会に全て出席した(競技に参加)。

・40歳頃まで母親との関係がしっくりいっていなかった。

 大ゲンカしてお互いに言いたい事を言い合って関係修復した。

・大の女好きを自認。女性と一緒でないと生きていけない。

・女性のおっぱいが大好き。

・18歳でバンドを始めると突然女性にモテはじめた。

 心を病んでいる感じの女性と仲良くなる事が多かった。

・若い頃に彼女の友人とセックスした。

・20代前半の頃、女性モノの服を着て化粧をして当時同棲していた彼女に写真を撮って貰った。

・精神を病んだ妻をツアーに数ヶ月同行させてステージ以外で常につきそった(=98年)。

・山梨県に家を建てた数ヶ月後に家を出た。

 東京で浮気相手と一緒に住んで週末だけ子供に会いに帰る生活を約1年間続けた。

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□人間関係

・斉藤和義…友人。飲み友達。毎日LINEで頻繁に会話する。同い年。

・堂珍嘉邦(CHEMISTRY)…友人。一緒にカラオケに行く。

・奥田民生、研ナオコ…友人。

・菊地英昭、廣瀬洋一、菊地英二、吉井和哉

 …THE YELLOW MONKEYのメンバー。

・布袋寅泰…コラボ曲「Dangerous feat.吉井和哉」をリリース(=20年)。

・山田孝之…シングル「ビルマニア」のPVに出演。

・ジョー・バレシ…アルバム「VOLT」のエンジニア兼共同プロデューサー。

 厳しい言葉でダメ出ししてくれる。

・椎名林檎…吉井のファン(吉井にファンレターを出した)。

・西野亮廣…THE YELLOW MONKEYのファン。カラオケで歌う。

・徳光和夫、いとうあいこ、研ナオコ、東海林のり子

 …THE YELLOW MONKEYのファン。

・ウエンツ瑛士、中富雄也(風味堂)…吉井のファン。

・ダチョウ倶楽部…好きなお笑いタレント。

・榊原郁恵…子供の頃、榊原のファンだった。

・美輪明宏…憧れている芸能人。美輪の著書「紫の履歴書」が愛読書。

 美輪のコンサートと舞台によく行く。

・石橋正次…憧れている芸能人。

・? (小5小6の担任)…静岡でライブをやると観に来てくれる。

・元妻…メジャーデビューした頃に結婚、?年離婚。

 THE YELLOW MONKEYの衣装を作っていた。

・眞鍋かをり…15.06.26結婚発表。できちゃった結婚。

・子供:

 長女…94年誕生。出産に24時間立ち会った。

 次女…小5(=07年現在)。

 三女。

 長男…6歳(=07年現在)。

 四女…15.10誕生(日付不詳)。※母親は眞鍋かをり


■吉井和哉

 

□エピソードなど

・アルバイト歴…

 静岡の喫茶店「地中海」(中学卒業後1年半)。

 ハンバーガ屋「ロッテリア」(サブマネージャーになった)

 荻窪のカラオケバー(自分からすすんで練習の為に歌謡曲や演歌を歌った)。

 TBS(テープ管理)。

・16歳の頃、ブリティッシュロック好きの友人(ヒラノ君)の影響でロックに本格的に目覚めた。

   ヒラノ君の家でデビッド・ボウイを聞きながら化粧をした。

・アーグ・ポリスにベーシストとして参加(=84年)。

 参加に際してジョギングとリンゴ中心の食事で1ヵ月で10㎏減量

 (10㎏減量がリーダーから課せられた参加条件だった)。

・アーグ・ポリスで全国ツアーに出る時で所持金5000円で家出した。

・21歳の時にTHE YELLOW MONKEYを結成。

 当初はベースを担当していたが廣瀬の加入でギターに転向、

 初代ヴォーカルの脱退でボーカルに転向した。

・THE YELLOW MONKEY結成当初、原宿の古着屋「シカゴ」で

 ニューヨーク・ドールズのような服(銀色のカデーディガンなど)をよく買った。

・若い頃に薄くリストカットした事が何度かあった。

・父親の納骨堂に墓参りに行って父親にお願いすると曲のフレーズが浮かんだ。

・メジャーデビュー以前に作った曲は全て暗い曲だった。

・25歳までにデビューできなかったら辞めるつもりだった。

・水商売のオカマキャラでMCをやっていた。

・昔はライブの前に必ず酒を飲んでいた。

・給料20万円の時に印税をあてにして家賃20万円の部屋に引っ越した。

・日本青年館のライブで顔に袋をかぶせた裸の女性をステージに出した(=93年)。

・ラジオ「吉井和哉のオールナイトニッポン」のMCを務めた(=95年〜96年)。

・97年にフライデーされるまで妻子がいる事を隠していた。

・1年間で113本のツアーを行った(=98年)。

・スタッフが奈落に転落して死亡(=98年)。

・詩集「So Young」を上梓(ロッキング・オン=99年)。

・コンサートツアーの最終公演を全国5都市の街頭ビジョンで生中継した(=99年)。

・アーティスト名を「吉井和哉」に改名(=06年)。

・語り下ろしの自伝「失われた愛をもとめて」出版(ロッキング・オン=07年)。

・アルバム「VOLT」のジャケットに小6の時に描いた富士山の絵を使った(=09年)。

・歌詞、タイトル案、メロディーを思いつくと携帯に入れておく。

・アメリカの西海岸の方でレコーディングする。

凡例:20.01現在=2020年1月現在