京唄子

京唄子


■京唄子(きょう うたこ)

 

□肩書き

 女優

 

□本名

 鵜島ウタ子

 

□旧芸名

 京町唄子

 

□生年

 1927(昭和02)07.12(蟹座/A型)

 

□没年

 2017(平成29)04.06(享年89)

 

□出身地

 京都府京都市西陣

 

□出身校

 京都市立第三待鳳尋常小学校

 

□略歴(満年齢)

 69年(42歳)テレビ「唄子啓助のおもろい夫婦」に出演(〜85年)。

 92年(65歳)NHK朝の連続テレビ小説「おんなは度胸」に出演。

 93年(66歳)ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演。

 ※他の主な出演:

  舞台 「花も嵐もふみこえて」「人生は周り舞台」

  映画 「徳川セックス禁止令 色情大名」「トラック野郎 天下御免」

  ドラマ「野々山家の人々」「水戸黄門」「結婚はいかが?」

  テレビ「お笑いスター誕生!!」「ザ・ワイド」

  

□趣味

 帽子収集(300個以上)

 

□特技

 料理

 

□サイズ

 161㎝

 

□特記事項

・元夫は浪花五郎

・夫は鳳啓助

■京唄子

 

□幼少時代〜

・両親はチンドン屋。父親は鉦や太鼓を扱う親方、母親は三味線を弾いていた。

・兄が1人いる。

・酔った父親によく殴られた。

・「チンドン屋の娘」と呼ばれてイジメられた。

・家は裕福ではなかった。3畳ひと間の長屋で一家4人で住んでいた。

 小学校時代6年間で外出着は母親がへそくりで買ってくれたセーラー服着だけだった。

・学生時代、よく仮病を使って保健室で授業をさぼった。

 

□私生活

・好物…白米(毎朝食べる)。京みぶ菜(漬物)。

・作る料理はワンパターン(和食オンリー)で洋食は作れない。

 夫(萩)と一緒に料理をする。

 自分の帰りが遅い時は夫(萩)がちらし寿司やカレーライスを作って待っていてくれる。

・若い頃はやせていて口が大きかったので外人のような顔だった。
 鳳啓助と結婚した頃の体重は38㎏。

・自分で出来る家事は全て自分でやる。下着は手洗いする。

・自宅の装飾品の見立ては長女まかせ。

・帽子を数え切れない程所有。多い時は一度に10個買う。

・近所に買物や犬の散歩に行く時もスーツを着て帽子を被る。

・ペット…

   犬2匹(一匹の名前はポポ=03.04現在)。

 猫3匹(3匹とも拾い猫=03.04現在)。

・落合が巨人に入団して以来大の巨人ファン。それまでは野球はほとんど見なかった。

 スポーツニュースをはしごしてその日の試合を分析。夫(萩)も巨人ファン。

・クレジットカードが嫌い。買物は現金でする。

・買物する時に必ず値切る(デパートでも値切る)。

・22歳の時、父親が脳溢血で他界。
 葬式の香典を元手に焼芋屋をやって生活を支えた。
 夫(浪花)は旅公演で不在だったので身重の体で出産直前まで店に立った。

・夫(萩)は買物が好き。


■京唄子

□人間関係
・落合博満…京は落合の大ファン。
・宮城千賀子…宮城が主宰する劇団「なでしこ」に研究生として入った。
・間寛平…弟子入り志願に来たが断わった。
・泉ピン子…ドラマ「おんなは度胸」「渡る世間は鬼ばかり」で共演。師匠と呼んでくれる。
・橋田寿賀子…ドラマ「おんなは度胸」「渡る世間は鬼ばかり」の脚本家。
・ミヤコ蝶々…よく間違えられた。
・浪花五郎…俳優。47年結婚、51年離婚。
 最初は幸せな結婚生活だったが、京が売れてくるのに反して浪花にはロクな役がつかず、
 居候のようになって麻薬に手を出すようになった。
・鳳啓助…?年結婚、65年離婚。
 大衆演劇「瀬川伸子劇団」で知り合って結婚(最初は不倫だった)。
 後に夫婦漫才コンビを結成。

 授かった5人の子供を仕事の為に全員中絶(毎年水子供養)。

 鳳から18歳の新人女優との浮気を告白された時にショックでその場に倒れた。
 鳳の愛人に子供が出来て離婚するが漫才コンビは継続、40年以上コンビを組んでいた。
 ※94年にリンパ腺ガンで他界
・三田マサル…俳優。66年結婚、53歳の時に離婚。
・萩清二…俳優。80年結婚。10歳年下。京唄子劇団の斬られ役専門の役者だった。
 70年頃から夫婦同然の生活をしていた。
・子供:
 長女…節子。50.02.03誕生。父親は浪花五郎。


■京唄子

□エピソードなど
・高等小学校卒業後、島津製作所で女子工員として勤務。
・島津製作所の先輩社員に初恋。
・京都簡易保険局に転職。
・宝塚に入りたかったが父親が許してくれなかった。
 17歳のとき 宮城千賀子劇団・なでしこに入団。
・保険局時代、アマチュア劇団「東雲会」に参加して陸軍病院などを慰問。
 その頃から男役をやっていた。
・保険局時代、当時流行のパーマをかけて家に帰ると父親に殴られ、
 「早くプロの女優になってこの家を出よう」と決意した。
・初舞台は宮城千賀子の大当たりシリーズ「歌う狸御殿」。
 最初はその他大勢だったが姫君の継母役の女優が失踪して代役に抜擢された。
・女優の仕事にプライドを持っていたので漫才をやる事に抵抗感があり、
 泣いて抵抗したが鳳の押しに根負けした。
・漫才を始める時に芸名を「京唄子」に変えた。
・鳳啓助とともに啓唄劇団を結成(=70年)。
・京唄子劇団を旗揚げ(=87年)。
・母親に楽屋の手伝いなどをして貰っていた。
・大口をいかした「吸い込んだろか」というギャグが一世を風靡。
・ドラマ以外のテレビ出演の時は必ず帽子をかぶる。
・40℃の熱が出た時も点滴を打って舞台は休まなかった。
・舞台で転んで右手を骨折、ギブスを付け剣や扇子を左手に持ち替えて演じた(=94年)。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=03年)。

凡例:17.01現在=2017年1月現在