こまどり姉妹

こまどり姉妹

■こまどり姉妹(こまどりしまい)

 

□肩書き

 歌手

 

□メンバー

 並木葉子(長内敏子) ※双子の妹

 並木栄子(長内栄子) ※双子の姉

 

□旧コンビ名

 並木栄子・並木葉子

 

□生年

 1938(昭和13)02.16(水瓶座)

 

□出身地

 北海道厚岸郡厚岸町

 

□略歴(満年齢)

 59年(21歳)並木栄子・並木葉子としてシングル「浅草姉妹」でデビュー。

 61年(23歳)シングル「ソーラン渡り鳥」がヒット。NHK紅白歌合戦に初出場。

 09年(71歳)映画「こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」に出演。

 ※他の主なシングル:

  「未練ごころ」「浅草の鳩ポッポ」「石狩川」

 ※他の主な出演:

  映画 「渡り鳥いつまた帰る」「こまどり姉妹 おけさ渡り鳥」

  テレビ「こまどり姉妹ショー」「行列のできる法律相談所」「爆報! THE フライデー」  

 

□特技

 栄子…日舞(花柳流名取、花柳瀧葉)

 敏子…日舞(花柳流名取、花柳瀧葉)

 

□特記事項

・双子



■こまどり姉妹

 

□幼少時代〜

・父親は炭坑夫。

・3歳年上の姉がいる。

・2歳の時、一家で樺太に引っ越した。

・子供の頃、敏子が髄膜炎になった。

・子供の頃から両親を真似て民謡や三味線をやっていた。

・戦時中、飼っていた赤犬がいなくなった夜に鍋においしい肉が入っていた。

・終戦直後に引き揚げ船で北海道に戻ってきた。

・戦後、父親が炭坑の仕事に就けず、闇屋や魚の行商をしたが繁盛せず、生活が困窮。

 家賃が払えなくて一家で夜逃げした。

 両親に一家心中を迫られたが親を励まして思いとどまらせた。

・12歳の頃から門付けをして家計を支えた。

■こまどり姉妹

 

□私生活

(共通)

・好物…ラーメン。

・健康法…水。散歩。サウナ(仕事がない時は1日2回)。

・いきつけ…「千石ラーメン」(浅草=17.10現在)。

・5月13日に母親、10月2日に父親が相次いで他界(=71年)。

(敏子)

・好物…肉(毎日食べる)。

・姉・栄子の狂信的なファンにステージで腹部を刺されて重傷を負った(=66年)。

・子宮がんを患って3年半闘病(=71〜74年)。

 医者に「末期がんで99%助からない」と言われた。

 体中から出血して意識不明になってあの世をかいま見たが父親の葬式の日に意識が戻った。

 手術、民間療法、方位学などありとあらゆる事を試した。

 治療費、個人事務所の経費、ステージのキャンセル料などで莫大な借金を負った。

 外国の新薬購入費に莫大な費用がかかった。

・毎月病院で検診を受ける。

・子宮がんから復帰後は健康第一と考えてたくさん食べるようになった。

・気学(方位学)に凝っている。

(栄子)

・好物…魚。

・交通事故にあう(詳細不詳=78年)。


■こまどり姉妹

 

□人間関係

(共通)

・ザ・リリーズ、おすぎとピーコ、裕子と弥生、三倉佳奈・三倉茉奈、

 ザ・たっち、斉藤祥太・斉藤慶太、荻原健司・荻原次晴…主な双子の有名人。

・松居一代…子供の頃にこまどり姉妹を見て芸能界に憧れた。

・遠藤実…作曲家。師匠。※故人

(栄子)

・子供:

 第1子…74年誕生。※私生児

■こまどり姉妹

 

□エピソードなど

(共通)

・両親と一緒に釧路や帯広で流しで歌っていた。

・12歳の時に両親と一緒に上京。

・山谷に寝泊まりして浅草を中心に流しの歌手として歌っていた。

 リクエストに応える為に昼間パチンコ屋の店先に立って

 店内から漏れてくる歌を聴いて覚えた。

・歌手デビュー前、料亭の座敷で余興で歌う芸人として1日2〜3万円を稼ぐ売れっ子だった。

 19歳の頃に東京に一軒家を購入、1階に住み、2階を賃貸アパートにしていた。

・ファン投票で芸名を「こまどり姉妹」に改名(=60年)。

・雑誌「平凡」の人気投票で第4位(=62年)。

・NHK紅白歌合戦に7回連続出場(=61年〜67年)。

・「演歌版ザ・ピーナッツ」と呼ばれた。

・大きな借金を抱えて一時芸能界から離れた(=73年)。

・15年ぶりのシングル「浪花節だよ人生は」をリリース(=84年)。

・副業…

 クラブ「ニューこまどり」(上野、91年開店→00年閉店)。

 喫茶店「キャンドル」(御徒町、00年開店→05年閉店)。

・第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞(=08年)。

・全国の農協や老人クラブからステージの声がかかる。

・メイクに4時間かかる(=15.09現在)。