仁支川峰子

仁支川峰子


■仁支川峰子(にしかわ みねこ)

 

□肩書き

 歌手 女優

 

□本名

 福田峰子

 

□旧芸名

 西川峰子

 

□生年

 1958(昭和33)05.23(双子座/A型)

 

□出身地

 福岡県田川郡赤村

 

□出身校

 都立代々木高校中退

 

□略歴(満年齢)

 74年(16歳)「あなたにあげる」で歌手デビュー。

 75年(17歳)紅白歌合戦初出場(→78年まで4年連続出場)。

 88年(30歳)映画「肉体の門」出演。

 ※他の主なシングル:

  「峰子のマドロスさん」「ギター流して今晩わ」「東京ラブ・コール」 

 ※他の主な出演

      舞台   「宮本武蔵」

  映画   「人間の証明」「吉原炎上」「陽暉楼」

  ドラマ「桃太郎侍」「鬼平犯科帳」

  テレビ「笑っていいとも!」「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」

 

□趣味

 料理 マンガ 絵画 写真 家庭菜園 釣り 素潜り

 

□免許・資格

 小型4級船舶

■仁支川峰子

 

□幼少時代〜

・7人きょうだいの末っ子。兄が2人、姉が4人いる。

・福岡県田川郡赤村(山奥の炭鉱町)で生まれ育った。

・故郷は「青春の門」の舞台となった地方(実際に家の近所にボタ山があった)。

 この地方出身の女性は「川筋女」と呼ばれ、一本気な性格で行動力があると言われている。

・家は裕福ではなかった。

 藁葺き屋根の家に住んでいた。

 6歳の頃まで電気がなかった(夜はろうそく)。

・子供の頃、栄養失調でうまく歩けなかった。

・小1の時、1歳半で祖父母の養子になっていた事実を知らされた。

・8歳の時、家にテレビが来た。

 それまでは見たい番組がある時はふた山越えて知り合いの家に行っていた。

・若い頃旅役者だった父親が時代劇ばかり見るので自然と時代劇ファンになった。

・体が弱かったので肺を鍛える為に歌をやり始めた。

 毎日1時間、山に向かって歌わされた。

 歌うのは「王将」「出世街道」「いっぽんどっこの唄」などのド演歌。 

 遊びたいさかりだったので「どうして私だけが…」と不満に思っていた。

・6歳の頃からのど自慢大会に何度も出場。必ず3位以内に入賞。


■仁支川峰子

 

□私生活①

・好物…卵かけご飯。冷やし中華。

・素材の味を活かしたシンプルな料理が好き。

・料理が好き。

 自宅の台所に冷蔵庫が3台、ガスコンロが5個ある。

   ホームパーティーの時に30人以上分の料理を作る。

・酒が大好き。日本酒を冷やでぐいぐい飲む。若い頃は一晩で一升瓶を空けていた。

・3ヵ月で12㎏(59㎏→47㎏)のダイエットに成功。

 ※その過程を綴ったエッセイ集「やせて幸せ!」を上梓(小学館=02年)

・21歳の時、水疱瘡が喉に拡がって死にかけた(肺まで拡がったら死んでいた)。

・卵巣腫瘍で緊急入院して「子供を産むのは難しい」と診断された(=22歳)。

 ※長姉は卵巣腫瘍で21歳で他界した

・甲状腺乳頭がんの摘出手術を受けた(=10年)。

 術後出血で投与された全身麻酔薬で呼吸困難に陥って死にかけた。

・セミダブル2つ分の大きさの特注の巨大なベッドでペットの犬4匹と一緒に寝る。

・子供の頃から母親にやらされれいたので家事は全て得意。

・レディスコミックを愛読。月に20冊以上読む。

・誕生石のエメラルドが入った900万円の帯留めを愛用。

・シャルル・ジョルダンの靴が好き。

・住んでいる所…栃木県那須町(=07.14現在)。

 門から自宅玄関までは50m以上(敷石に「MINEKO」とデザインされている)。

 リビングダイニングは55畳。

 中庭に8人が入れる露天風呂(温泉)がある。

 家庭菜園でししとう、ナス、にんじん、長葱、大根、きゅうり、じゃがいもなどを栽培。

   自宅に朝から観光客が来るのを迷惑に思っている。

   自宅から東京駅まで新幹線で1時間半。

・集中豪雨の影響で栃木県那須町の新築1ヵ月の自宅が流された(=98年)。

 衣装・家具・クルマ(ベンツ)・貴金属・現金など40年分の財産が全部流された。

 まだ完成していなかったので保険に入っていなかった。

 1100坪あった土地のうち200坪が流されてしまった(1坪約6万円)。

 東京の仕事場に泊まっていて難を逃れた(普段は置いていく犬を偶然一緒に連れて行った)。

 翌年、同じ場所に同じ建築業者を使って家を建て直した。

 建て直した家は2階建てにした(自分で設計、最初の家は平家)。※14年売却

■仁支川峰子

 

□私生活②

・いきつけ…

 洋食「関口亭」(代々木八幡、25年以上通っている=19.10現在)。

 焼鳥「鳥とも」(西麻布、約25年通っている=17.06現在)。

 鳥料理「鳥どころ 大原家」(京都、店長夫妻がコンサートに来てくれる=17.06現在)。

・常にピン札の1万円札を持ち歩く。

・ネックレスに首をしめられる神秘体験に遭遇した事がある。

・クルマが大破する交通事故(衝突事故)で奇跡的に軽症だった(32歳の頃)。

・乗っていたクルーザーが羽田沖で座礁して海上保安庁に救助された(=98年)。

・ハワイ、イタリアが好き。

・全ての物事をプラスに考える。

・姐御肌。頼まれると嫌と言えない性格。

 返ってこないなと思っても頼まれるとお金を貸してあげる。

 貸してあげた最高額は3000万円。通算1億円以上貸している。

・19歳の時に両親に自宅とアパートを建ててあげた。

・30代の時に両親(養父母)が他界。

・好きなタイプ…波長が合う男性。

・17歳の時、1歳年上の男の子を相手にセックスを初体験。

・好きになる男性のルックスはバラバラ。

・彼氏・夫にとことん尽くす。

 相手が帰ってくるのを朝まで待つ。

 靴下を履かせてネクタイを締めてあげる。

・不倫交際をした事が何度かある。

・交際相手に高収入を求めない(月収30万円でOK)。

・村上と離婚後12年間彼氏がいない(=20.12現在)。

 ※「マツコ&有吉 かりそめ天国」20年12月18日放送分本人発言


■仁支川峰子

 

□人間関係

・柏原芳恵…友人。よく一緒に食事。

・柳葉敏郎…友人。弟分。

・泉ピン子、三浦理恵子…友人。

・高木美保…近所に住んでいる(クルマで15分)。

・あいざき進也、城みちる、山本譲二、伊藤咲子、浅野ゆう子、テレサ・テン

 …歌手デビュー同期生。

・山本譲二…同じレコード会社で同じ日にデビュー。

・根津甚八…映画で共演してラブシーンを演じた(仁支川の初ラブシーン)。

・千家和也…「あなたにあげる」の作詞家。

 同時期に山口百恵「ひと夏の経験」、殿さまキングス「なみだの操」を作詞

 (3曲とも女性の貞操がコンセプト)。

・大行寺みよ子…姉。演歌歌手。

・火野正平…23歳の頃に約半年間不倫交際。

 富士山のドライブインで頼まれてふたりでサインを書いてマスコミにばれた。

・?…実業家。火野正平と別れた後で約5年間不倫交際。

 精神的にも金銭的にも徹底的に尽くした。億円以上貢いだ。

・村上隆…海士町町議会議員。01.07.20入籍、09年離婚。7歳年下。

 00年に料理番組の仕事で海土町を訪れた時に知り合った。

 壱岐島を気にいったので01年春に社員旅行で訪れて再会、

 旅行2日目に酔った勢いでセックスして交際3ヵ月で入籍。

 離婚原因は夫の浮気らしい。離婚に際して夫の借金を肩代わり。


■仁支川峰子

 

□エピソードなど

・中2の時、タレント養成所の子役の試験を受験、

 歌唱力を認められて「歌でいきなさい」と審査員に勧められた。

・中2の時、全日本歌謡コンテスト優勝。

・中2の時、歌手を志して鈍行で30時間以上かけて上京。

・上京当時、4畳半と3畳の部屋で 父親と兄(長兄)と一緒に住んでいた。

 兄が働いて父親が炊事洗濯を担当。

・歌のレッスンを約1年間受けた。

・「あなたにあげる」で第16回日本レコード大賞新人賞を受賞。

・「あなたにあげる」のヒットから数年間は寝る暇もない忙しさだった。

 月に20日以上全国各地で営業。

 営業の合間にテレビ、ラジオ、雑誌の取材など。

・紅白歌合戦に4年連続出場(=75年〜78年)。

・19歳の時、歌いすぎで喉を痛めて声が出なくなり、

 歌う仕事を減らして女優の仕事を増やした。

・プロデューサーに枕営業を持ちかけられて断った事がある。

・CM「サトウの切りもち」でコミカルな歌と演技、

 「あ、もちもちもっちもち」のフレーズが話題になった(=77年〜79年)。

・テレビ「笑っていいとも!」に約1年間レギュラー出演(=82年〜83年)。

・映画「肉体の門」で大胆なラブシーンに初挑戦した時、

 緊張を和らげるためにウイスキーをストレートで3杯飲んで撮影に挑んだ。

 撮影が終わると緊張の糸が切れてベロベロに酔っていた。

・ヘアヌード写真集「プライベート」出版(風雅書房=93年)。

・デビュー20周年を記念してレビューに初挑戦(=94年)。

・副業…インテリアコーディネーター(海外で家具を買い付ける)。

・フジテレビの番組内で芸名を「仁支川峰子」に改名(=09年)。

・福岡県田川郡赤村「ふるさと応援大使」就任(=19年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在