弘田三枝子

2016/03/25更新

■弘田三枝子(ひろた みえこ)

 

□肩書き

 歌手

 

□本名

  高木三枝子

 

□愛称

 ミコ

 

□生年

 1947(昭和22)02.05(水瓶座/A型)

 

□出身地

 東京都世田谷区

 

□出身校

 精華学園高校

 

□略歴(満年齢)

 61年(14歳)「子供ぢゃないの」でレコードデビュー。

 63年(16歳)NHK紅白歌合戦に初出場。

 69年(22歳)「人形の家」がヒット。

 ※他の主な出演:

  映画 「独立美人隊」「華やかな女豹」「開運旅行」

  ドラマ「シャボン玉ミコちゃん」「花の番地」「泣いてたまるか」

  テレビ「徹子の部屋」

 ※他の主な楽曲:

  「VACATION」「渚のうわさ」「ロダンの肖像」

 

□趣味

 読書 映画鑑賞 ビデオ鑑賞 散歩

 

□サイズ

 160㎝B85W59H88

有名人データベース PASONICA JPN

■弘田三枝子

 

□幼少時代〜

・3人きょうだいの末っ子。兄と姉がいる。

・5歳の時、ラジオでジャズを聞いて「将来歌手になる」と決めた。

・子供の頃の頃のあだ名は「どりちゃん」(ものすごく気取り屋だったため)。 

・子供の頃、母親に叱られると落語を始めて母親が吹き出すまで続けた。

・洋楽好きの兄から歌や英語の発音を教わった。

 

□私生活

・毎朝起床後にストレッチ&ヨガの呼吸法をやる。

 ヨガの専門書を参考に独学でプログラムを作った。

 安座して「吸って止めて吐く」のサイクルを次第に長くしていって30分続ける。

 体が熱くなって滝のように汗が出る。最後に瞑想をする、

 呼吸法をマスターしてから声域が2オクターブ半から4オクターブになった。

・カロリーコントロールで18㎏のダイエットに成功(=69年)。

 アメリカで見つけたカロリー計算法を書いた本を参考にしてカロリー計算した。

 当時の日本にはダエットに関する本がなかった。

 ※ダイエット本「ミコのカロリーBOOK」を出版(150万部のベストセラー)

・ペット…犬、猫(=16.03現在)。

・空手道場に通った事がある。

・暴漢に全身を刺されて重傷を負った事がある。

・三角関係のもつれから愛人(ギタリスト)の妻に刺された事がある。

有名人データベース PASONICA JPN

■弘田三枝子

 

□人間関係

・伊東ゆかり…子供の頃に同時期に米軍キャンプを廻っていて顔をあわせる事もあった。

・FUMIHITO…シングル「恋のクンビア21」の振付師。

・泉ピン子…弘田のモノマネができる。

・ティーブ釜范…歌の師匠。英語の発音を習った。※かまやつひろしの父

・武永健…元パンアメリカン航空営業部長。アメリカ・ニューヨークで78年結婚、84年離婚。

・子供:

 長女…エリカ。79年誕生?

 

□エピソードなど

・劇団駒鳥、代々木童謡学院、童謡研究所で歌や演技やミュージカルの勉強をした。

・声が変わっていたので童謡のバックコーラスのレコーディングを外された。

・オーディションに合格して8歳から米軍キャンプを廻って歌った。

 急な仕事が入ると親戚が危篤になった事にして早退した。

   アメリカの新聞に「天才少女あらわる」と紹介された。

 当時のワンステージのギャラは2000円。

・日本テレビ「OK横丁に集まれ」に子役としてレギュラー出演。

・デビュー当時、「天才歌手」「ダイナマイト・ミコ」と称された。

・「ミコが歌えばみんながツイストやゴーゴーを踊りだす」と言われた。

・コニー・フランシスなどアメリカンポップスの日本語カバーを多数ヒットさせた。

・アメリカのニューポートジャズフェスティバルに日本人として初出演(=65年)。

・レコ大の会場から紅白の会場に移動する途中で美空ひばりと一緒に迷子になった(=69年)。

・「人形の家」で第1回世界歌謡祭歌唱賞を受賞(=70年)。

・ポップス、ジャズ、R&B、歌謡曲などジャンルを超越して幅広く歌う。

   R&Bは他に誰も歌っていなかった20歳の頃から歌っている。

・アルバムを作るのが好き。

・MICO Loves CUMBIA BROS.としてシングル「恋のクンビア21」をリリース(=06年)。

 65年に歌った曲のセルフカバー。初めてビデオクリップを作った。

・衣装の飾りを自分で付ける。

・32年ぶりのシングル「悲しい恋をしてきたの」をリリース(=15年)。

*凡例:15.01現在=2015年1月現在