駒田徳広

駒田徳広


■駒田徳広(こまだ のりひろ)

 

□肩書き

 プロ野球選手(00年引退)

 

□所属

 読売ジャイアンツ(81年〜93年)

 横浜ベイスターズ(94年〜00年)

 

□本名

 駒田徳広

 

□生年

 1962(昭和37)09.14(乙女座/A型)

 

□出身地

  奈良県磯城郡三宅町

 

□出身校

  三宅村立三宅小学校

 式下中学校

 県立桜井商業高校

 

□略歴(満年齢)

 81年(19歳)ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団。

 89年(27歳)日本シリーズMVP。

 94年(31歳)FAで横浜ベイスターズに移籍。

 ※入団、移籍は野球シーズン年度

 ※通算成績:

  2063試合、2006安打、.289、195本、953打点、35盗塁

 ※主なタイトル・表彰:

  ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞10回

 ※主な出演:

  テレビ「爆報! THEフライデー」

  

□趣味

 レコード収集 カラオケ ドライブ

 

□サイズ

 191㎝

 

□特記事項

・ゴールデングラブ賞10回


■駒田徳広


□幼少時代〜

・父親は運動具メーカーのサラリーマン。

・姉が1人いる。

・生まれた時から体が大きかった。

 産湯を使うタライから足がはみ出た。幼稚園以降制服は全て特注だった。

・子供の頃から大食いだった。

   1日に5〜6回食事を摂った。

 外食すると中華丼、ラーメン、ギョーザをひとりで食べた。

・近所の子供としょっちゅうケンカするガキ大将だった。

 ケンカに負けて泣いて帰ってくると親に「もう1回やって勝ってこい」と怒られた。

・父親に「人前で堂々と話が出来る人間になれ」とよく言われた。

・小学校時代、水泳クラブ。小5の時に奈良県大会で3位入賞。

・小学校時代、近所にリトルリーグがなかったので大人の草野球チームに入っていた。 

 基本は球拾い、人数が足りない時には試合に出して貰った。

 当時は右バッター(左投げ右打ち)だった。

 将来プロ野球選手になりたいと思っていた。

・中学時代、軟式野球部。

 投手兼一塁手。監督の指示で左打ちに転向。

 何度も監督と衝突して練習の途中で帰った。

・高校時代、野球部。

   1年からレギュラー、2年で4番を打ち、3年時はエースとして活躍。

 高校通算43ホームラン(当時の高校生記録)、通算打率.490マーク。

 打撃練習時に「今から駒田君が打撃練習します」と校内放送がかかった(打球への注意喚起)。

 甲子園予選で先頭バッターやノーアウト満塁で敬遠された。甲子園には1度も出場できなかった。 


■駒田徳広


□私生活

・好物…ショートケーキ。

・たくさん食べる。

・持病…偏頭痛。

・効き目は左目。

・風呂掃除などの家事を手伝う。

・1970年代〜1980年代の青春歌謡が大好き。

 当時のレコードを集めている。

 青春歌謡を聞きながらクルマのカタログを眺めるのが好き。

 青春歌謡を流す飲み屋を経営したいと思っている(=10.03現在)。

・好きな歌手…片平なぎさ。中森明菜。

・ペット…

 犬(ビアテッドコリー、名前はドルーピー=08.01現在)。

   犬(プードル、名前はチョビ=08.01現在)。

・いきつけ…はりはり鍋「あんどう」(横浜)。

・1970年代〜1980年代の古いクルマが好き。マツダのロータリーが好き。

・ジェットコースターが苦手。

・怖がり。

・性格はマイペース。

・長男がラグビーをやっている。 


■駒田徳広

 

□人間関係

・原辰徳…同期入団(原はドラフト1位)。

・岡崎郁、篠塚和典、中畑清…読売ジャイアンツ時代のチームメイト。

・石井琢郎、佐々木主浩、三浦大輔…横浜ベイスターズ時代のチームメイト。

・王貞治…子供の頃から憧れている。現役時代に監督の王からよく怒られた。

・渡哲也…憧れている芸能人。

・博美…?年結婚、89年離婚。

・美佳子…90.12.02挙式。元々駒田のファンだった。「コマティ」と呼ばれる。

・子供:

 長男

 長女…駒田真子。プロ雀士。


■駒田徳広

 

□エピソードなど

・ジャイアンツにドラフト指名されなかったら東海大学に行くつもりだった。

・入団当初の体重は84㎏。

・2軍時代の給料は約10万円。野球道具を買うと食費にも苦労した。

 実家から送ってくれるインスラーメンの箱に親がいつも2万円を入れてくれた。

・2軍時代、練習でよくホームランを打ったが実戦でなかなか打てなかったので

 トマソン(当時在籍していた打てない外人選手)にひっかけて「コマソン」と呼ばれた。

・満塁のチャンスによく打ったので「満塁男」と呼ばれた。

 プロ初打席で満塁本塁打(史上初=83年)。

 6年連続満塁本塁打(=94年〜99年)。

 通算13本の満塁本塁打(15本に1本が満塁本塁打)。

 ボール球を振る癖があったのでストライクを投げて来る確率が高い満塁は気が楽だった。

・売り出しの頃、吉村、慎原とともに「(背番号)50番トリオ」と呼ばれた

 (駒田が50番、槙原が54番、吉村が55番)。

・若い頃は感情を表に出さないタイプだったが、

 25歳頃から自らを鼓舞する為に打てない時は大袈裟に悔しがるようになった。

・野手の送球がショートバウンドしても当たり前に捕球するつもりで1塁を守っていた。

 ショートバウンドを逸らさない為にミットの形状や捕球する瞬間の動きを探求した。

・3連敗4連勝した日本シリーズで打率.522でシリーズMVP(=89年)。

 「巨人はロッテより弱い」と発言して物議をかもした加藤(近鉄)から第7戦でホームラン。

・チーム最多のホームランと打点をマーク(22本、83打点=90年)。

・ジャイアンツの選手でFA宣言をして他チームに移籍したのは駒田が初。

 横浜が高木豊、屋鋪ら6選手を解雇したのは駒田獲得の資金源作りの為と噂された。

・38年ぶりのリーグ優勝&日本一にキャプテンとして貢献(=98年)。

 日本シリーズ第6戦で決勝タイムリー。

・代打を送られた事に立腹して試合途中に帰宅して二軍降格を言い渡された(=00年)。

・2000本安打をマーク(=00年)。

・エッセイ集「プロ野球場外乱闘!」出版(角川書店=01年)。

・映画「ミスター・ルーキー」に出演(=02年)。

・ニッポン放送、テレビ東京の野球解説を務めた。

・楽天イーグルスの1軍打撃コーチに就任(=05年)。

・ドラマ「バッテリー」のアドバイザーを務めた(=08年)。

・横浜ベイスターズの1軍打撃コーチに就任(=09年)。

・依頼された仕事は基本的に断らない。

・独立リーグ・高知ファイティングドッグスの監督に就任(=16年)。

・副業…

 スポーツバー「肉美庵 ふじおか」(新橋=08年開店)。

 BAR「KOMA'S HOUSE」(高知市、マスターとして古いレコードをかける=18.07現在)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在