八神純子

八神純子


■八神純子(やがみ じゅんこ)

 

□肩書き

 歌手

 

□生年

 1958(昭和33)01.05(山羊座)

 

□出身地

 愛知県名古屋市千種区

 

□出身校

 愛知淑徳高校

 

□略歴

 78年(20歳)「思い出は美しすぎて」で歌手デビュー。

 78年(20歳)「みずいろの雨」がヒット。

 80年(22歳)「パープルタウン」がヒット。紅白歌合戦初出場。

 ※主な出演:

  テレビ「ザ・ベストテン」「スタジオパークからこんにちは」

 ※他の主なシングル:

  「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「夢見る頃を過ぎても」

 

□趣味

 ドライブ

 

□特技

 ピアノ 英会話 バレエ

 

□サイズ

 149㎝ 46.5㎏

 

□特記事項

・夫はイギリス人

■八神純子

 

□幼少時代〜

・父親は八神製作所会長。※要確認

・4人きょうだいの長女(1歳年下の弟、6歳年下の妹、8歳年下の妹)。

・広い敷地の大きな家に住んでいた(約2000坪)。

 敷地内に祖父母が住む本宅、八神の家族が住む新宅、社員寮が建っていた。

 八神の両親の結婚時に建てられた新宅は子供の成長にあわせて何度か増改築された。

・子供の頃、引っ込み思案でしゃべるのが苦手だった。

・習いごと…ピアノ(3歳〜)。日舞(小2〜、男役をやるのが好きだった)。

・ものごころついた頃から歌を歌うのが好きだった。

   ザ・ピーナッツが大好きだった(いとこと一緒にハモリを研究した)。

 洋楽好きな母親の影響で好きななったニール・セダカやカーペンターズを家でよく歌った。

・母親にそばにいたかったので一緒に料理をやりはじめた。

・中学時代、弟の弁当を作っていた。

・中学時代、憧れていた男の子に「もう少しやせてればね」と言われてショックを受けた。

・高校は女子校。

・高校時代、友人の勧めでヤマハのボーカルタレントスクールに通った。

・高校時代、他校の文化祭に招かれてミニライブをした。

・高校は芸能活動禁止だった。

・高校卒業後、英語の専門学校に進学。


■八神純子

 

□私生活

・好物…ピスタチオ。カフェオレ。

・朝食にヨーグルトを食べる。

・健康法…コラーゲン。ウォーキング。スロージョギング(ほぼ毎日20〜30分)。

・好きなアーティスト…槇原敬之。

・住んでいる所…

 アメリカ カリフォルニア州 シミバレー市(ロサンゼルス郊外=16.01現在)。

 掃除の為のメイドを雇っている(=12.02現在)。

・23歳の時にひとり暮らしを始めた。

 当初は渋谷区の一軒家に住んでいたが侵入未遂事件に遭ってマンションに移った。

・28歳の頃にアメリカ・ロサンゼルスに生活拠点を移した。

・方向音痴。アメリカで運転する時に磁石を使った事がある。

・夫は元々空手が好きで日本に興味を持った人だった。

・夫は40歳から勉強をはじめて弁護士資格を取った。


■八神純子

 

□人間関係

・ザ・ピーナッツ…好きな歌手。

・ジョン・スタンレー…音楽プロデューサー、弁護士。イギリス人。86年結婚。

・子供:

 長女…エマ。28歳(=18.03現在)。

 長男…ノア。24歳(=18.02現在)。

 

□エピソードなど

・ヤマハポピュラーソングコンテストで2年連続で優秀曲賞を受賞(=74年、75年)。

 74年の受賞曲「雨の日のひとりごと」は生まれて初めて作詞作曲した曲。

・世界歌謡祭に2年連続出場。

・シングル「思い出は美しすぎて」でプロデビュー(20歳の誕生日にデビュー=78年)。

・「みずいろの雨」は岩崎宏美に提供する予定で作った曲。

・デビュー当時は実家住まい。東京の定宿は渋谷の東武ホテルだった。

・フリートークが苦手だったのでテレビの歌番組の仕事は憂鬱に感じていた。 

・アメリカ・ロサンゼルスに約2ヵ月間語学留学(=80年)。 

・書き下しエッセイ集「探しものは心の中に」を出版(=97年)。

・長女の勧めで本格的に歌手活動を再開。

・「トランス・パシフィック・キャンペーン」を自ら企画して東日本大震災の被災地で歌った。

・約10年ぶりのライブをSHIBUYA-AXで開催(=11年)。

・12年ぶりのシングル「さくら証書」をリリース(=12年)。

・東北被災地支援チャリティー・シングル「翼」をリリース(=13年)。

・毎月東北の被災地で歌っている(=16年現在)。

・コンサートをセルフプロデュース。

 会場のサイズによってはバンドではなくピアノだけで歌う。

・デビュー当時と同じキーで音域3オクターブを保っている(=19.07現在)。

凡例:19.01現在=2019年1月現在