田中義剛

田中義剛


■田中義剛(たなか よしたけ)

 

□肩書き

 タレント 歌手 実業家

 

□本名

 田中義剛

 

□生年

 1958(昭和33)03.13(魚座/B型)

 

□出身地

 青森県八戸市

 

□出身校

 青森県立八戸北高校

 北海道酪農学園大学卒業

 

□略歴(満年齢)

 86年(28歳)シングル「傷だらけのヒーロー」でデビュー。

 87年(29歳)テレビ「笑っていいとも!」に出演。

 95年(37歳)北海道に移住して花畑牧場を設立。

 ※他の主な出演:

  ドラマ「さすらい刑事旅情編」「それでも家を買いました」

  テレビ「世界まる見え! テレビ特捜部」「アッコにおまかせ」「TVチャンピオン」

 

□趣味

 農作業 チーズ作り 乗馬

 

□資格

 大型自動車免許 牛の人工受精士


■田中義剛


□幼少時代〜

・父親はサラリーマン。

・祖父・田中正助は山形県で稲の改良に尽力した。

・ひとりっ子。

・鳩好きの父親が家より大きな鳩小屋を建ててレース鳩を500羽飼っていた。

・中学時代、陸上部(砲丸投げ、大会で優勝)。

・15歳の時、セックスを初体験。

・高校時代、剣道部。

・高校は進学校。体育祭や文化祭がなかった。修学旅行先でテストをやらせれた。

・高校時代、学校側と対立して仲間と生徒会を創設。

・高校時代、生徒会の合宿での飲酒がバレて学校創立初の無期停学になった。 

・高校時代、女の子によくモテた。

・高校時代、田舎でディスコもなく自動販売機の前でたむろしていた。

・高校時代、フォークを始めた。

・高3の時、ヒッチハイクで北海道に行って交通費を稼ぐ為に日高の牧場で1週間アルバイト。

 子馬の出産に立ち会った。将来牧場をやろうと決意した。

・大学時代、サークル・肉牛研究会に所属。部室に泊まりこんで朝から晩まで牛の世話をした。

・大学時代、学内に男2000人に対して女は5人だけ。

 「牛の方がかわいいのでは!?」という5人だったが学内ではモテまくっていた。

・大学時代、大学名を出すと女子大との合コンはたいてい断られた。

■田中義剛

 

□私生活

・嫌いな食べ物…辛いもの。

・得意料理…チーズの焼きおにぎり。チーズ入りラーメン。チーズフォンデュ。

・好きなミュージシャン…吉田拓郎。

・好きな映画…ウエスタン映画(「シェーン」を見て牧場経営に憧れた)。

・21:00に寝て5:00に起きる。

・クーラーが苦手。

・ジーパンが好き(約50本所有)。

・自宅のインテリアはカントリー調で統一。アンティーグ家具を多数所有。

・フランクミューラーのロングアイランド(腕時計)を愛用(値段は350万円)。

・ペット…

 犬(ウェルシュコーギー、牝4歳=07.01現在)

 犬(アイリッシュウルフハウンド、世界で一番大きな犬=03.06現在)

 犬(犬ぞり用の犬、35匹=03.06現在)

 ウサギ(=07.01現在)

 鳩(=06.10現在)

・住んでいる所…北海道河西郡中札内村(=08.03現在)。

 自宅の敷地内に野生のキタキツネが遊びに来る

・東京に単身赴任用の小さな部屋を借りている

・夫婦、子供3人、自分の両親、妻の両親と8人暮らし(=03.07現在)。

・村外れなのでゴミの収集が来ないので生ゴミは堆肥にする。

 生ゴミ以外は自分で集積所に持って行く。

・村外れなので新聞配達が来てくれない。

・真冬はマイナス30℃になる。

・自宅から帯広空港までの道は信号がないまっすぐな1本道。

 他のクルマはほとんど走っていないので10分で着く。

 10時の飛行機に乗るのに家を出るのは9時40分。

・週に2回は飛行機に乗るのでマイルがどんどんたまる。

 親子4人で沖縄に行ってもまだ余った。

・正午から4時まで牧場を一般に解放(乗馬や牧場の仕事を体験できる)。

・乗馬する時に「リチャード」というウエスタンネームを名乗る。

・本場・アラスカの犬ぞりレースに出場した事がある。

・100万円の馬を衝動買いした。

・若い頃は「夜のクラブ活動」が好きだった。


■田中義剛

 

□人間関係

・東国原英夫…友人。若い頃にお互いの夢を語り合った。

 一緒にジョギング。東国原のアドバイスで禁煙した。

・島田紳助…友人。

・大仁田厚、桑野信義、栗田貫一、そのまんま東、森末慎二、吉村明宏…昭和32年会。

・コロッケ…コロッケの妻が帯広出身。冬に遊びに来て一緒に犬ぞりをやった。

・香取慎吾…花畑牧場のチーズが好き(自分で買って食べる)。

・吉幾三…師と仰いでいる。

・つんく♂、堀内孝雄、モーニング娘。、森高千里…同じ事務所。

 事務所創立時は堀内と田中だけで4畳半ひとまだったが後輩が売れて6階建てのビルになった。

・ケント・デリカット…番組の企画「日本の米とアメリカの米はどちらが旨いか?」で論争。

・森田健作…高校時代に森田健作に憧れて剣道部に入った。

・松山千春…松山に憧れて歌手を志した。

・沢圭子…モデル。91.03.11挙式。

・子供:3人。

■田中義剛

 

□エピソードなど

・高校時代、地元の学生音楽コンテストで特別賞を受賞。

・牧場を作るには2億円はかかると聞いて2億円を稼ぐ為に芸能人を志した。

・ライオン全国フォーク音楽祭でグランプリ(=80年)。

・大学卒業後、6畳一間家賃2万円の部屋に住んで歌手を志してアルバイト生活。

 葬儀屋、トラックの運転手、観光地のぬいぐるみショーなどのアルバイトをした。

・葬儀屋のアルバイトは日給8000円でワリが良かったが、

 考え方が暗くなって暗い曲ばかり作るようになってしまったので1年間でやめた

・トラック運転手として当日中に届ける荷物を運んでいる時に急に摩周湖を見たくなって

 寄り道して湖を見ながら人生について考えてしまい、荷物の到着が遅れてクビになった。

・売れない頃、観光牧場でぬいぐるみを着てカントリーを歌う仕事をした。

・売れない頃、北海道で「田中義剛の酪農根性」という5分間のラジオ番組のDJをやっていた。

 スポンサーは農協でトークは酪農の話題限定。

・売れない頃、金のない男を相手にしない女をいつか成敗してやろうと思っていた。

・ラジオ「オールナイトニッポン」に出演当初のギャラは3万円程度、

 往復の交通費の方が高かった(毎週北海道から通っていた)。

・上京当時、借金が約3000万円あったので来た仕事は全部受けた。

 最盛期はレギュラーが12本あった。

・北海道でのツアー中に熊に遭遇した事がある。

・北海道河西郡中札内村でレストランを経営(=99.07現在)。

・農業と芸能活動を両立させるアイドルグループ・カントリー娘。をプロデュース(=99年)。

 カントリー娘。のオーディションには雪かき、氷割りなどの「実技」があった。

 約2000人の応募者から「牛担当」「馬担当」「チーズ担当」の3人を選ばれた。

 カントリー娘。のメンバーは花畑牧場で寝起きをともにしていた。

・カントリー娘。のデビュー曲「二人の北海道」は作詞森高千里、作曲つんく。

 どちらも同じ事務所なので拝み倒してやって貰った。

 当初は北海道限定の予定だったが問い合わせが多かったので全国リリース。※99年リリース

・カントリー娘。の柳原尋美が運転中にハンドル操作を誤って横転する交通事故で死亡(=99年)。

・北海道酪農学園大学の特命教授としてゼミを担当(無報酬=08年)。

・主な著書:

 「北からの逆襲」(ワニブックス=88年)

 「牧場を作ろう! 俺の北海道移住計画」(日刊スポーツ出版社=96年)

■田中義剛

 

□花畑牧場のエピソードなど

・交渉を初めてから実際に土地を入手するまでに3年かかった。

・広さ約7万坪(東京ドーム5個分、近隣の中では一番狭い)。

・子供も含めて一家全員が花畑牧場の仕事をする。

・花畑牧場プロデュースでバター、チーズ、パイ、プリン、ケーキ、キャラメルなどを販売。

・「花畑牧場の生キャラメル」(12粒入り850円)は「幻のスイーツ」と呼ばれる大ヒット。

・最初の製品(トムチーズ)は当初全く売れなかった(「カビが生えている」と返品された)。

・自家製チーズ作りは長年の夢だった

・廃棄される牛乳を使って「カチョカヴァロ」というチーズを作る。

・ナチュラルチーズコンテストで優秀賞を受賞(=99年)。

・最初の約10年は赤字続きだった。一番多い時の借金総額は約4億円。

・牛17頭、馬12頭、ホエー豚、山羊、羊、ロバがいる。

・チーズやキャラメルで出た廃棄分を豚に食べさせる。

・正午から4時まで花畑牧場を一般に解放。乗馬や牧場の仕事が体験できる。 

 工房はガラス張りで見学自由(企業秘密なし)。

・観光客相手の馬のショーに自ら出る事がある。

・花畑牧場を「メレンゲの気持ち」で公開(=03年6月7日放送分)。

・花畑牧場を「今田ハウジング」で公開(=08年3月5日放送分)。

・約1500人の従業員で24時間体制で生産(=09.02現在)。

・年商約120億円(=09.04現在)。

・花畑牧場の直営店が20店舗ある(=09.09現在)。

・ポテトチップスに生キャラメルを染み込ませたスイーツ「天使のポテト」を発売(=10年)。

・最高のチーズを作る為にひとりで世界中を回った。

・ローソンで売っているタルトの生産を全て請け負っている(=18.07現在)。

凡例:18.01現在=2018年1月現在