五木ひろし

五木ひろし

■五木ひろし(いつき ひろし)

 

□肩書き

 歌手

 

□本名

 松山数夫

 

□旧芸名

 松山まさる 

 一条英一 

 三谷謙

 中川淳

 

□生年

 1948(昭和23)03.14(魚座/A型)

 

□出身地

 福井県三方郡美浜町

 

□出身校

 美浜町立耳中学校

 明大中野高校

 

□略歴

 71年(23歳)「よこはま・たそがれ」がヒット。紅白歌合戦初出場。

 73年(25歳)「夜空」で日本レコード大賞。

 84年(36歳)「長良川艶歌」で日本レコード大賞。

 ※主な出演など:

  映画「銀蝶渡り鳥」

  ドラマ「銭形平次」「遠山の金さん」「ちりとてちん」

      テレビ「ダウンタウンDX」「スタジオパークからこんにちは」「徹子の部屋」

  CM「味の素」「サントリー モルツ」「スズキ カルタスクレセント」

  楽曲「千曲川」「そして…めぐり逢い」「契り」

  

□趣味

 映画観賞 絵画 絵画観賞 絵画収集

 津軽三味線 ギター ピアノ ドラム

 

□特技

 ゴルフ

 

□サイズ

 172㎝

 

□特記事項

・妻は和由布子

・日本レコード大賞2回

■五木ひろし

 

□幼少時代〜

・4人きょうだいの末っ子。11歳年上の姉、姉、兄がいる。

・1歳までは気管支が弱い虚弱児だった。

 風邪をこじらせて肺炎に3回なった(1回は死にかけた)。

・元々は内気な子供だった。

・父親の影響で子供の頃から歌を歌うのが好きだった。

 秋祭りの余興や町内会の宴会で歌っておこづかいを貰った。

・声出しが喉に悪そうだったので野球はやらなかった。

・小学校時代、ガキ大将。

・小学校時代、成績優秀(学年10位以内)。

・小学校時代、近所に映画の撮影に来た美空ひばりと一瞬目が合い、

 そのオーラを感じて歌手志望の気持ちを強くした。

・小5の時、父親が蒸発して両親が離婚。

 母親が朝から夜中まで働いて生活を支えてくれた。

・中学時代、先生にあだ名を付けるのが得意だった。

・中学時代、人と変わった格好がするのが大好きだった。

 黒く染めたジーパンをはいて学校に行った。

 赤い靴下をはいた。

・中学時代、砂利道で自転車で転倒して左ひじを骨折。

 ※[バイクで転倒]とする媒体もある

・中学時代、「波野たかし」の芸名で旅回りの一座で歌っておひねりを貰った。

・中学時代、合同修学旅行で隣の中学のNさんにひと目惚れ。

 旅行後にラブレターを出した。


■五木ひろし

 

□私生活

・好物…たけのこご飯。納豆そば。

 いなり寿司(妻に楽屋弁当として作って貰う)。

 ソースカツ丼。魚(刺身を食べるとどこの魚かだいたいわかる)。

 鮎の甘露煮。甘い卵焼き。みたらし団子。沖縄黒飴。和食。甘い物。

・嫌いな食べ物…大トロ。

・朝食をしっかり食べる。

・健康の為に腹6分目までしか食べない。

・目玉焼きやゆでたまごは白身部分だけを食べる。

・酒を飲まない。

・健康法…毎朝野菜シュースと水をたくさん飲む。

 腰湯(毎朝30分)。愛犬と散歩。ジョギング。

・毎朝体重を計る。

 体重は25歳の頃と殆ど変わっていない(=20.09現在)。

・ポリープの手術を受けた。

・年に1回人間ドックを受診。

・寝相が悪い。

・温い温度のお風呂が好き。

・閉所恐怖症。

 MRI検査が大の苦手。

・高所恐怖症。

 飛行機が苦手(飛行機に乗っている時は隣の人と話し続ける)。

・テレビが好き。

・宝物…結婚した時に買った巨大オルゴール(骨董品で値段は約3000万円)。

・絵は描くのも見るのも好き。

 いつか個展を開くのが夢。

 自宅にシャガールの絵画がある。

・アンティークの美術品を多数所有。

・リシャール・ミルの腕時計を愛用。

・Tシャツ、ジーパンが大好き。

・犬が大好き。

・ペット…

   犬(トイプードル、名前はチャチャ、11歳以上=19.08現在)。

   犬(トイプードル、名前はムームー、8歳以上=19.08現在)。

   ※ムームーはチャチャの子供

・土佐犬、シェパードを飼っていた。

・住んでいる所…東京・田園調布(78年落成、一軒家、敷地200坪=18.09現在)。

・伊豆とハワイに別荘がある。

・自宅の近所に衣装を保管する為の一軒家がある(=18.02現在)。

・いきつけ…

 そば「兵隊家」(田園調布、よく家族で行く=18.09現在)。

   「とんかつミカド」(世田谷区奥沢=14.06現在)。

 焼肉「大番」(大阪市北区、20年以上通っている)。

・キックボクシングをやっていた。

・休日は1日に3回犬の散歩に行く。

・パジャマに上着をはおって近所に買物に行く。

・ひとりでコンビニに行った事がない(=18.02現在)。

・ゴルフはハンディ9。

 必死に練習して2年でシングルプレイヤーになった。

 女子プロトーナメント「五木クラシック」のホストを務める。

・何事も全部自分でやらないと気が済まない。

・寂しがり屋。

 ひとり暮らしをした事がない。

・リトルリーグチーム「目黒クリッパーズ」のオーナー。

・母親は83歳で他界。

・銀座で弾き語りをしていた頃に銀座のホステスと交際・同棲していた。

・愛妻家。

 休日は1日一緒に過ごす。

 昼食は妻の愛妻弁当。

 地方に行った時に毎日電話する。


■五木ひろし

 

□人間関係

・田原俊彦…家族ぐるみのつきあい。弟のようにかわいがっている。

 80年代に頻繁に歌番組で共演。

・都はるみ…親友。デュエット「ふたりのラブソング」をリリース。

・落合博満…友人。別荘を自主トレに提供。

・西川きよし…友人。よく一緒に食事する。

 西川ヘレンを10代の頃から知っている(音楽スクール仲間)。

 アポなしで五木の自宅にいきなり遊びに来る。

・森光子…かわいがって貰っていた。

・上岡龍太郎、間寛平…美浜・五木ひろしマラソン大会に参加(=99年)。

・木の実ナナ…デュエット「居酒屋」をリリース(=82年)。

・清塚信也、村治佳織…五木のアルバム「DREAM」に参加、一緒にコンサート。

・八代亜紀…賞取りレースで「五・八戦争」と称されたライバル。

 デビュー前に同じクラブ(銀座「エース」)で歌っていた。

・千昌夫、森進一、布施明、小柳ルミ子

 …歌手デビュー同期生(五木ひろしとしてのデビュー)。

 森進一はしばしば「五木ひろしのライバル」と報じられた。

・高橋英樹…「遠山の金さん」の主題歌を歌った(自ら作曲)。

 高橋のシングル「ライラライ」を作曲。高橋のディナーショーをプロデュース。

・平尾昌晃…「よこはま・たそがれ」を作曲。

・つんく…五木のシングル「おふくろの子守唄」を作詞作曲プロデュース(=01年)。

・山口洋子…「よこはま・たそがれ」「夜空」を作詞。交際を噂された。

・五木寛之…五木寛之作詞のシングル「ふりむけば日本海」をリリース(=05年)。

・前田有紀…前田のデビュー曲「鳴きうさぎ」をプロデュース(=00年)。

・一木ひろし…五木のモノマネをする。

・松方弘樹…兄弟子。同じ師匠について歌を習っていた。

・テツ(テツandトモ)…五木の大ファン。

 五木ひろしショーで共演(=03年)。

・叶和貴子…五木の大ファン(高校時代)。

・似鳥昭雄(ニトリ会長)…友人。

・棟方彰二郎…甥(兄の長男)。俳優。

・松坂慶子…交際を噂された。

・小柳ルミ子…交際を噂され、「結婚寸前」と報道された(=74年)。

・三橋ひろ子…交際を噂された(=80年)。同じレコード会社。

・紺野美沙子…交際を噂された(=85年)。

・山咲千里…新歌舞伎座公演「花と散るらん」で共演。

 公演中何度も一緒に食事して交際を噂された。

・さち子(和由布子)…元俳優。89.05.31挙式。11歳年下。

 舞台で共演して知り合った。

 公演中に毎日手紙を楽屋に置いてくれた。

 披露宴の費用は5億円と報じられた。

 披露宴のウェディングケーキの高さは11m(芸能界最高記録らしい)。

 披露宴をフジテレビが3時間生放送、そのまま「夜のヒットスタジオ」に出演して歌った。

 五木の個人事務所社長。

・子供:

 長男…大介。90年5月誕生。ニューヨークに留学中(=15.09現在)。

 次男…和真(かずさ)。92年誕生。画家。

 長女…華菜子(かなこ)。95年誕生。

 ※初孫…4歳(=22.03現在)


■五木ひろし

 

□エピソードなど

・中学校の卒業式の翌日、姉を頼って京都に出た。

・関西音楽学院に通った。

・16歳の時、コロムビアレコード主催のコンテストでグランプリ。

・65年に松山まさるの名前で「新宿駅から」で歌手デビューするが売れず、

 その後、一条英一の名前で再デビュー、

 三谷謙の名前で再々デビューするがいずれも売れなかった。

・レコードデビューしてからヒット曲が出るまで6年かかった。

・売れない頃に経済的にとても苦労した。

 床に落ちている球を拾ってパチンコをやって勝って食べ物に変えた。

 所属のプロダクションが倒産して所持金が全くなくなって2日間何も食べなかった。

 部屋でフジテレビの食堂の食券を発見して河田町まで往復6時間歩いて行った。

 安いアパートを求めて17回引っ越しした。

 家賃が払えなくて夜逃げした。

・引っ越し費用がなくていったん実家に戻った事がある。

・音楽学校に通いながら着物の染色デザイナーをやっていた時期があった。

・生活の為に流しとしてクラブを3軒かけもちで歌っていた。

 最初のギャラは1日2000円。

・銀座の流しとして人気があった頃は分刻みでクラブを掛け持ちして歌った。

 流しとして大卒初任給の約20倍の月収があったがレコードは売れなかった。

・三谷謙の芸名で「全日本歌謡選抜」に出場して10週連続勝ち抜き。

 これで駄目なら故郷に帰るつもりで流しの仕事を知人に譲って退路を断って挑んだ。

・中川淳の芸名を使用したのは1日だけ。

・雑誌「女性セブン」74年6月26日号のグラビアでセミヌードを披露。

・「最後の下積み歌手」と呼ばれた。

・五木ひろしとして最初に所属した事務所はキックボクシングジムも経営。

 暇な時に選手と一緒にスパーリングをやっていた。

 「よこはま・たそがれ」の握り拳のアクションはファイティングポーズから生まれた。

・売れたとたんに態度が変わる人をたくさん見て人間不信になった。

・若い頃はインタビューなどで自分から積極的に話さなかった。

・初の海外公演をラスベガスで開催(日本人初=76年)。

・2億円を支払って事務所を独立(=79年)。 

・大河ドラマ「春日局」に出演(=89年)。

・「よこはま・たそがれ」の印税で結婚指輪用に3カラットのダイヤを購入(1000万円)。

・故郷の美浜町で「美浜・五木ひろしマラソン大会」を美浜町と毎年共同主催(=89年〜)。

・阪神大震災後にチャリティーコンサート、募金活動、被災者激励などの復興支援活動に参加。 

 兵庫県知事から感謝状を貰った(=05年)。

・シングル「再り合い(めぐりあい)」で20年ぶりに店頭キャンペーン(=99年)。

・歌手生活35周年特別公演「歌・舞・奏スペシャル」で30種類以上の楽器を演奏(=99年)。

・テレビ「金曜オンステージ」の司会を務める(=00年)。

・大河ドラマ「利家とまつ」に出演(=02年)。

・レコード会社ファイブス・エンターテイメン トを設立(=02年)。

・ラッキーナンバーは「5」。

 芸能界入りのきっかけは第15回コロムビア全国歌謡コンクール優勝(=64年)。

   「夜空」で第15回日本レコード大賞を受賞。

 75年に紅白歌合戦で初のトリ(5回目の出場)。

・55歳のバースデーコンサートに、渡哲也、松方弘樹、香西かおり、長山洋子、

 モーニング娘。、落合博満、西川きよしがゲスト出演(=03年)。

・NHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」に本人役で出演(=07年)。

・自宅を「メレンゲの気持ち」で公開(=09年6月13日放送分)。

・コンサートや舞台を自らプロデュースする。

・ワンステージで60曲以上歌うコンサートを1日2回公演。

・コンサートでランニングマンを踊る。

・コンサートでセグウェイに乗る。

・正月の舞台で共演する後輩にお年玉を10万円あげる。

・モノマネされるのは大歓迎。

・ディナーショーの料金は日本一高額と言われている(51500円=17年)。

・紅白歌合戦に初出場から47回連続出場(=17年現在)。

・後輩演歌歌手の曲をカバーしたアルバム「演歌っていいね!」リリース(=20年)。

・紅白歌合戦50年連続出場(=20年)。

・副業…和風甘味喫茶「五木茶屋」。

凡例:20.01現在=2020年1月現在