2016年

1月

01日

杉良太郎

杉良太郎

2017/03/27更新

■杉良太郎(すぎ りょうたろう)

 

□肩書き

 俳優 歌手

 

□本名

 山田勝啓(やまだ かつひろ)

 

□生年

 1944(昭和19)08.14(獅子座/O型)

 

□出身地

 兵庫県神戸市

 

□出身校

 神戸市立長田小学校

 神戸市立西代中学校

 国立高浜海員学校中退

 

□略歴(満年齢)

 67年(23歳)ドラマ「文吾捕物絵図」に主演。

 75年(31歳)ドラマ「遠山の金さん」に主演。

 76年(32歳)シングル「すきま風」がヒット。

 ※他の主な出演:

  映画 「嵐を呼ぶ男」「花ひらく娘たち」「斬り込み」

  ドラマ「燃えよ剣」「水戸黄門」「新吾捕物帳」

  CM    「塩野義製薬 さわやかコレクト」「UHA味覚糖 ユーハのど飴」

 ※他の主なシングル:

  「明日の詞」「男の人生」「おまえとおれ」

 

□趣味

 彫金 釣り ゴルフ 合気道

 

□特技

 絵画(油絵) 

 

□特記事項

・妻は伍代夏子

・社会活動

■杉良太郎

 

□幼少時代〜

・父親は建築業。

 大の芸事好きで趣味が高じて神戸市に大衆演劇の芝居小屋(民衆座)を作った。

・生まれた時は未熟児だった。

・姉が3人いる。長男。

・子供の頃、姉とばかり遊んでいたので大人しくて気弱だった。

・子供の頃、牛乳、チーズ、バターなどの乳製品が苦手だった。

・子供の頃、父親が経営していた芝居小屋に入り浸っていた。

 どの役者が伸びるか、どの出し物がヒットするかを言い当てる事ができた。

・父親が何度も他人の保証人になって財産を失って家が貧乏になった。

・母親は米びつに一握りしか残っていない米をお遍路さんにあげる人だった。

・中学時代、早く働いて親を楽にしてあげたいと思っていた。

・中学時代、クラスの女の子から「理想くん」と呼ばれていた。

・中学卒業後、船員志望で海員学校に進学するが、

 視力が悪かったので約1年で中退。

・海員学校中退後、歌手を志して神戸の夕星歌謡学院に入学。

■杉良太郎

 

□私生活

・好物…煮物。焼魚。焼き芋(大好物、自宅に焼き芋機がある)。

 納豆。ピーナッツ。

・得意料理…カレーライス(東京都の品評会で1位になった)。パスタ。

 お好み焼き(自宅に業務用の鉄板テーブルがある)。揚げ物。

・酒はあまり飲まない。

・タバコが好き。好きなタバコはマイルドセブン(1日3箱=93.12現在)。

・健康法…ホットトマトジュース。

・腰痛が悪化して椎間板ヘルニアを患って骨を削る手術を受けた(=93年)。

 闘病中に痛み止めの注射を打って昼夜2回興行に1ヵ月出演した。

・椎間板ヘルニアの緊急手術を受けた翌々日に舞台に立った(=01年)。

・椎間板ヘルニアの緊急手術を受けた(=07年)。

・大動脈弁狭窄症を患って人工弁置換手術を受けた(=15年)。

・歯が丈夫。虫歯がない(=13.11現在)。

 毎日拡大鏡を使ってチェックして自分で歯石を取る。

・料理、洗い物、洗濯、トイレ掃除などの家事を積極的にする。

 料理の揚げ物、食後の洗い物を常に担当。

・包丁研ぎが得意。

・自宅に本格的なトレーニングルームがある。

・収集…骨董品。 

・住んでいる所…東京都渋谷区(=04.05現在)。

・別荘がある所…青森県の下北半島(アトリエがある、天然温泉、

 敷地内に鮭が取れる川が流れている、敷地内に果樹園がある=17.03現在)。

・いきつけ…しゃぶしゃぶ「十二段家本店」(京都・祇園)。

・故障続きだったのでロールスロイスを道端に捨てた事がある。

・千葉県成田市と兵庫県の畑でスイカを育てている(=16.05現在)。

・パチンコで生活費を稼いでいた時期があった。

・夢に数字が出てきた当たり馬券(万馬券)を付き人が買い忘れていた事がある。

 もし買っていれば1970年頃で1000万円儲かっていた。

・自分からは絶対に人を裏切らない。

・移動にヘリコプターをよく使う。

・若い頃はワンシーズン分として小型トラック一台分の服をまとめて購入した。

・外国のホテルでキャバレーのママの幽霊が部屋に入ってきた事がある。

 電話してみると丁度息を引き取った時間だった(一緒に行く予定だった)。

・妻の両親と妻の姉夫婦が同じビルに住んでいる(=17.03現在)。

 妻の両親と仲が良い。夫婦喧嘩をすると妻の両親に意見を訊きに行く。

・女性の酔っ払いが嫌い。

・四国一の大富豪の娘とお見合いをして現金を目の前に積まれた事がある。

・某女性と子供の認知を巡って長い裁判の末に認知した。

■杉良太郎

 

□人間関係

・松浦勝人…友人。

・倉本聰…ドラマ「文吾捕物絵図」の脚本家。

・的場浩司…的場は杉の事を役者としても人間としても師と仰いでいる。「親分」と呼ばれる。

 殺陣用の刀をプレゼントした。

・市川昭介…作曲家。師匠。※故人

   歌謡学院時代に出場したオーディションの全国大会で市川昭介にスカウトされた。

   17歳で上京後、3畳一間の下宿に住んで週2〜3回市川家にレッスンに通った。

   仕送り3000円は下宿代とレッスン代で消えたので市川家まで片道2時間を歩いて通った。

・堤大二郎…杉のファン。

・喜多嶋舞…子供の頃杉の大ファンで大きくなったら結婚しようと思っていた。

・大貫亜美、小向美奈子…小学校時代から杉のファン。

・山田邦子…杉の大ファン。

・信子…72年結婚、98.12.25協議離婚。慰謝料は10億円以上。

・伍代夏子…99.12.24入籍、00.04.02挙式。17歳年下。

 交際のきっかけは五代が杉の舞台を観に来た時にお土産として貰ったペアのコーヒーカップ、

 「一緒にコーヒーを飲みたい」という意思表示と思った(伍代は深く考えずに選んだらしい)。 

 「良ちゃん」と呼ばれる。

・子供:

 長男…山田純大。73.02.14誕生。俳優。

 長女。

 次女。

■杉良太郎

 

□エピソードなど

・17歳で上京後、3畳一間の下宿に住み、週2〜3回市川家にレッスンに通った。

   仕送り3000円は下宿代とレッスン代で消えたので

 市川家まで片道2時間を歩いて通った。

・上京後2年間、カレー店で無給で働いた。毎日3食賄いのカレーを食べていた。

   2年間全くの文無しで友人もいなくて正月に行く所もなかった。

・歌手修業時代、20以上のアルバイトをした

 (船のサビ落とし、タイヤの再生工場、など)。

・デビュー前は板張りの上にビニールシートを敷いた3畳間に住んでいたので、

   デビューが決まって畳が敷いてある4畳半に引っ越した時は嬉しかった。

・サンケイスポーツの特集がきっかけでドラマ「文吾捕物絵図」の話が来た。

 頼み込んで掲載して貰ったその時の記者(神山亨也)とそれ以来親交がある。

・大河ドラマ「文吾捕物絵図」のオーディションで

 一か八かで「主役をやらせて下さい」と売り込んで主役をゲットした。

・大河ドラマ「文吾捕物絵図」のの打ち合わせでドラマ作りの全てを学んだ。 

 倉本聰を筆頭に良いドラマを作る為にケンカも厭わない熱い人間が揃っていた。

 その時があまりに凄かったのでそれ以降のドラマは物足りない。

 「文吾捕物絵図」は視聴率50%の大人気で放送予定が半年延長された。

・ドラマ「水戸黄門」に初代助さん役で出演。

 パート2には出演しないつもりだったが、ナショナルの宣伝部長に

 「事務所を通さずに1本につき裏金を10万円出す」と言われ、

 当時の給料は15万円程度だったので即OKした

 (ナショナルが間違えて事務所に振り込んだので全て事務所に没収された)。

・シングル「すきま風」は超ロングランヒットで500万枚の以上の大ヒット。

・俳優デビュー後17年間は睡眠時間は3〜4時間。

 連続ドラマに4本かけもちで出演していた時期があった。

・35歳頃まで給料制でどんなに働いても年収400万円だった。

・ドラマの本番のアクションシーンでナイフが腕に刺さった事がある。

・ドラマ「遠山の金さん」の桜吹雪の刺青は描くのに毎回2〜3時間かかった。

 ドラマがずっと続くのなら本当に彫った方が楽だと思った。

・マスコミへの不信から一時は一切テレビに出なかった。

・リアルな芝居ができるように単純な所作をなんども反復して稽古する。

 同じ渡世人の役でも雪駄・草鞋・裸足で歩き方を変える。 

・舞台稽古開始までに台詞を完璧に覚え、公演中は毎日楽屋に一番乗りする。

・台詞をちゃんと覚えられない役者にはたとえ先輩でもはっきり文句を言う。

・「流し目の杉様」と呼ばれた。

・新歌舞伎座、明治座の連続最多出演の記録を持っている(=93年現在)。

・大河ドラマ「徳川慶喜」で大河ドラマ史上最長の長台詞(4分間)を演じた。

・油絵の個展を開催(=95年)。

・初エッセイ集「いいってことよ!」を上梓(康済堂出版=01年)。

・長男・山田純大がドラマ「水戸黄門」に格さん役で出演。

・焼き芋焼酎「大地」をプロデュース、ラベルを自分で描いた。

・写真撮影でカメラマンから褒められるのが嫌い。

・パチンコ台「CR杉様これにて大当たり」のキャラクターに起用(=05年)。

・60歳で舞台公演の座長を勇退(=05年)。

■杉良太郎

 

□社会活動のエピソードなど

・アメリカ、中国、ブラジルなどで世界各地でチャリティー公演を開催。 

 費用は持ち出しで収益は全額現地に寄付。

 86年の中国公演の時に費用4億円に1億円足りず、自身を担保に1億円借りた。

・長年ベトナムを支援。

 ベトナムの日本語学校設立、ハノイでチャリティー公演、孤児院訪問など。

 日本ベトナム文化交流協会設立に尽力して理事長に就任(=91年)。

 ベトナムの孤児約90人の里親(=16.05現在)。

・阪神大震災の時、ヘリコプターを2機チャーターしてボランティア活動。

   巻き寿司1000人前、生理用品、電池などを差し入れした。

・民間人として初めて法務省名誉矯正監に任命された(=96年)。

   ※全国の刑務所の視察、収容者への講演・慰問などを行った

・日韓親善の為のチャリティーコンサート「遅すぎた祭典」を企画、

 伍代夏子とともに出演(夫婦初共演=02年)。

・ハワイで長年チャリティーコンサートをやって名誉市民に選ばれた。

・財団「ジャスト・セイ・ノー・インターナショナル」の日本支部長を務めた。

 青少年の薬物乱用防止を目的に設立された財団。

・日本麻薬犬協会の会長を務めた(麻薬犬を寄贈)。

・福祉関係に何十億円もの資産を注ぎ込み、財産は全て担保になっている。

・ユネスコの終身会員。

凡例:17.01現在=2017年1月現在