舞の海秀平

舞の海秀平

■舞の海秀平(まいのうみ しゅうへい)

 

□肩書き

 大相撲力士(99年引退)

 スポーツキャスター タレント

 

□本名

 長尾秀平

 

□生年

 1968(昭和43)02.17(水瓶座/B型)

 

□出身地

 青森県西津軽郡鯵ヶ沢町舞戸

 

□出身校

 鯵ヶ沢町立舞戸小学校

 鯵ヶ沢町鯵ヶ沢第一中学校

 青森県立木造高校 

   日本大学経済学部卒業

 

□略歴(満年齢)

 90年(22歳)5月場所で初土俵。

 91年(23歳)3場所で新十両。秋場所で新入幕。

   94年(26歳)9月場所で新小結。

 ※通算成績:

  385勝418敗27休、技能賞5回。

   ※主な出演:

      映画   「RED SHDOW 赤影」「ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」

  ドラマ「はみだし刑事純情派」「金田一少年の事件簿」「新選組!」

  テレビ「ぶらり途中下車の旅」「モーニングバード」「NHK大相撲中継」

  CM    「SOTEC」「キリンビール」「アース製薬 バスロマン」

 

□趣味

 陶芸 ゴルフ

 

□資格・免許

 教員免許(高校の社会)

 

□サイズ

 169㎝ 90㎏

 

□特記事項

・技のデパート


■舞の海秀平


□幼少時代〜

・実家は洋品店を経営。

・3人きょうだいの末っ子。兄、姉がいる。

・子供の頃、人がかんで捨てたガムを拾って食べていた。

・出身地の鰺ヶ原町は東北屈指の相撲の盛んな町だった。

 小学校に土俵があった。小1の時からまわしを付けて相撲大会に出場した。

・小学校時代、イタズラが大好きだった。

 よく女の子のスカートめくりをした。

 上級生の女の子の胸をしょっちゅう触った。

・小学校時代、相手が何人いてもケンカは負け知らずだった。

・小4の時、担任の先生に相撲に関していろいろ教えてくれた。

・小学校時代、陸上大会の100m走で優勝、ソフトボールの大会に出場。

・小学校時代、悪ガキのリーダーでイジメっ子だった。

・毎日おねしょをしていたが小6の時に突然止まった。

・中学時代、相撲部。

 全国大会準々決勝で強豪・明大中野中学(若貴兄弟の出身中学)に敗れた。

・中学時代、千代の富士に憧れていた。

 通学カバンに書体を真似て「千代の富士」と書いていた。

・両親が相撲での推薦入学を許してくれなかったので受験勉強をして進学校の高校に合格。

・高校時代、相撲部。部員の中で一番体が小さかった。

 練習はハードだった。熱が出ても裂傷を縫った直後でも練習を休ませて貰えなかった。

 高3の時に全国大会で決勝進出。

・補欠でのんびりやるつもりで日大相撲部に入った。

・大学1〜2年生の時、掃除・洗濯・先輩の雑用の毎日で相撲部の寮から脱走する事を考えた。

・大学時代、監督に「80㎏になったらレギュラー」と言われ、ひたすら食べて体重を増やした。

 朝と夜はどんぶり飯5杯、昼は定食2人前、間食としてそば3杯、夜食で牛丼2杯を食べた。

 大学2年の時に学生選手権で個人3位。

■舞の海秀平

 

□私生活

・好物…鮒寿司。そば(立ち食いそば屋に行く)。麺類(大好物)。

 トムヤンクン。麻婆豆腐。魚。身欠きニシン。フグ。ホヤ。くさや。このわた。

 辛いもの。癖があるもの。

・嫌いな食べ物…おはぎ。甘いもの。

・酒が好き。ほぼ毎日飲む。酒が入ると饒舌になる。

 酔って親方に説経した事がある。酔って道端で寝てしまった事がある。

・引退後は現役時代に比べて食べる量が1/3になって自然に体重が落ちた。

・左きき。

・高所恐怖症。スキー場のリフトに乗れない。

 高い所にいる人の映像を見るのも苦手。

・泳げない(=09.06現在)。

・天然パーマ。

・相撲の名取組みのビデオをたくさん持っている。

・いきつけ…寿司「おざわ」(銀座=14.05現在)。

・銭湯、健康ランドが好き。マイタオルを持って行く。

・寺が好き。

・方向音痴。

・全国各地の方言に詳しい。

・人の話をよく聞かない。

・毎晩銀座で飲む(=若い頃?)。

・好きなタイプ…年上の女性。

・知り合った当時の妻は相撲の事を全く知らなかったのが逆に新鮮だった。

 一目惚れして毎日電話して妻を口説いた(月の電話代が10万円を超えた)。

・妻は浅野温子に似ているとよく言われる。

・妻から「舞ちゃん」と呼ばれている。

・夫婦喧嘩をして殴ってあけた自宅の壁の穴を戒めとして残してある。

・恐妻家。


■舞の海秀平

 

□人間関係

・寺尾常史(錣山矩幸)…家族ぐるみのつきあい。

 同じマンションに住んでいる(=03.12現在)。

・大翔鳳昌巳…親友。日大相撲部の同級生。※99年他界

・大至信行…友人。同い年。

・若乃花勝(花田虎上)…現役時代に苦手にしていた(対戦成績は1勝12敗)。

・智乃花伸哉…日大相撲部の3年先輩。

・久島海啓太…日大相撲部の2年先輩。※12年他界

・立川談志…子供のようにかわいがって貰った。

 談志から貰った色紙や手紙を大切に取っておいてある。※11年他界

・林真理子…舞の海のファン。

・眞美…元クラブホステス。97.05.20入籍、97.09.27挙式。6歳年上。離婚歴あり。

・子供:

 長女…江莉奈。14歳(=03.08現在)。※妻の連れ子

 長男…健太朗。12歳(=03.08現在)。※妻の連れ子

 次男…悠大(ゆうだい)。98年誕生。

 

□熱戦譜

・vs若花田(91年09月場所14日目)…技の目まぐるしい応酬。

・vs旭道山(91年11月場所01日目)…大相撲史上前代未聞の立会いでバックステップ。

・vs曙 (91年11月場所11日目)…懐にもぐり込んで三所攻めで勝利。

・vs北勝鬨(92年01月場所07日目)…立会いで左斜め上方に1mジャンプ(八双跳び)。

■舞の海秀平

 

□エピソードなど

・山形の高校教師に内定していた。

・プロ入り確実と言われていた日大相撲部の同郷の後輩の急死でプロ入りを決意。

・入門に大反対の母親と大喧嘩して「親子の縁を切る」と言われた。

・最初の新弟子検査の時、髪の毛の間に油のかたまりを隠して挑むが暑さで溶けて不合格。

   20万円で身長を伸ばすという九州の怪しい祈祷師の所に泊まりこんだが全然効果なし。

・身長を伸ばす為に大塚美容外科で頭皮と頭蓋骨の間にシリコンを入れる手術を受けた。

 シリコンを入れる時に想像を絶する痛みがあった。入れている最中は目眩や吐き気があった。

 その時の写真は明らかに輪郭が尖っている。

 頭の痛みの記憶で立ち会いに頭からぶつかるのが怖かった。

 ※後に新弟子検査のルールは「実績があれば身長・体重にこだわらない」と変わった

・入門当時、3年間死に物狂いでがんばって1場所でも幕内で取りたい、と思っていた。

・幕下付け出しでデビュー後、5場所で幕下を通過、3場所で十両を通過。

・関取に昇進した初日、渋滞に巻き込まれて十両土俵入りに間に合わなかった。

・史上初の2場所連続技能賞(=91年)。

・初土俵以来初の負け越し(4勝11敗=92年1月場所)。

・小錦、曙、武蔵丸と対戦する時は「これで相撲人生が終わるかも」と覚悟して挑んだ。

・披露が溜まりやすい体質だったのでケイコを少なくしてその分脳内でトレーニングした。

・体重を維持するために無理やり食べていた。

・小錦戦で倒れる小錦の体を膝に受けて左膝靭帯を損傷(=96年7月場所)。

 全治1年の手術を選ばずにリハビリで2場所後に復帰。

・「技のデパート」「技の博覧会」「平成の牛若丸」と呼ばれた。 

 最も得意としたのは左からの下手投げ。

 他に、寄り切り、小手投げ、すくい投げ、切返し、外掛け、内無双、

 引き落とし、押し出し、内掛け、上手出し投げ、足取りなど。 

 立ち合い時の瞬間に目の前で手を叩いて相手を一瞬ひるませる奇襲技「猫だまし」を多用。

・相撲を知らない人からのアドバイスは逆に参考になった。

・引退後に体重が自然に10㎏以上落ちた。

・帝京大学の非常勤講師(週1コマ=00年)。

・CM「キリンビール」でヒップホップダンスに挑戦(撮影中に脱水症状になった=01年)。

・ソルトレイクシティ五輪の現地リポーターを務めた。

 ショートトラックの西谷選手の紹介コメントで「手術をして足にボルトが3本入っています」

 と言うべき所を「ボトルが3本が入っています」と言ってしまった。

・バンジージャンプに挑戦した時にジャンプするまでに1時間かかった(=00年)。

・スポーツキャスターの仕事を始めた当初は正確に話す事に苦労した。

・自宅を「情報ツウ」で公開(=03年12月4日放送分)。

・ハリウッド映画「SAYURI」に関取役で出演(=05年)。

凡例:17.01現在=2017年1月現在