2016年

1月

01日

橋田寿賀子

橋田寿賀子

2016/12/05更新


■橋田寿賀子(はしだ すがこ)

 

□肩書き

 脚本家

 

□本名

  岩崎寿賀子

 

□生年

 1925(大正14)05.10(牡牛座/B型)

 

□出身地

 韓国・京城市→大阪府堺市西区

 

□出身校

 大阪府立堺高等女学校

 日本女子大学国文科卒業

 早稲田大学第二文学部演劇専修中退

 

□略歴(満年齢)

 49年(24歳)松竹脚本部に入社(→60年退社)。

 83年(58歳)NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の脚本を担当。

 90年(64歳)ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の脚本を担当。

 ※他の主な脚本担当:

  ドラマ「愛と死をみつめて」「おんな太閤記」「いのち」「春日局」

 ※主な出演:

  テレビ「笑っていいとも!」「はなまるマーケット」「世界遺産の旅」

 

□趣味

 プロ野球観戦 家庭菜園 水泳 

有名人データベース PASONICA JPN

■橋田寿賀子

□幼少時代〜
・父親は土産物屋を経営。
・ひとりっ子。
・当時としてはかなり遅い35歳の初産で生まれた。
・母親に過剰にかわいがられて育った。
・小学校入学前から本を読むのが好きだった。
 意味は判らなくても活字が並んでいるのを見るとなぜかドキドキした。
 小学校に入る頃には漢字が読めた。
・小3の時、韓国から帰国して大阪の小学校に転入。
   ひとりだけ標準語を話していたのでイジメられた。
・小学校時代、作文を書くのが苦手だった。
 母親に代筆して貰った作文がコンクールで入賞して真相を言えないまま賞状を貰った。
・朝鮮人を差別する女子とケンカして怪我をさせて小学校を追い出された。
・母親はとても厳しかった。女学校からの帰宅時間が少しでも遅れると学校へ電話した。
・女学校時代、少し不良だった。
・女学校時代、女学生と中学生の唯一の出会いの場だった本屋に通って素敵な男の子を探した。
 ラブレターを貰った事があった(男の子と一緒に歩くと停学になるので交際はしなかった)。
・女学校時代、修学旅行で東京に行った時に皇居の草むしりをした。
・女学校4年の時、リベラリストだった先生の解雇に抗議してストライキをして、
   憲兵隊に引っ張られて説諭を受けた。
・日本女子大学を母親に内緒で受験して合格。
 軍需工場の徴用を避け唯一の方法が進学だった為、母親が家を出る事を渋々許してくれた。
・日本女子大学時代、東京の空襲を避けて大阪に行って海軍経理部で秘書として働いた。
・終戦1ヵ月前の空襲で実家が全焼、東京には食料がなかったので山形の叔母の所に緊急避難。
   ※この時の体験が後にドラマ「いのち」「おしん」に生かされた

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■橋田寿賀子

 

□私生活

・好物…白米。パスタ。ピザ。ハンバーグ。フカヒレのおこげ料理。

 アイスコーヒー(コーヒーリキュー ルを少し入れて飲む)。果物。

・得意料理…自宅の庭で採れた大根を使った大根サラダ。

・朝食をしっかり摂る。

・酒は飲まない。

・健康法…

 自家製ヨーグルト(毎朝泳ぐ前に飲む)。エアロバイク(週1回)。

 パーソナルトレーニング(週3回=16.12現在)。

 水泳(週3回、1000mをゆっくり泳ぐ、自宅近くのホテルのプールと年間契約、

 泳ぎながら脚本の構想を練る、マスターズの水泳大会に出場、50歳までは泳げなかった)。

・睡眠時間は4時間。それ以上寝ると頭が痛くなる。

・家事は全てお手伝いさんまかせ(=16.12現在)。

・新聞の投書欄を熟読する。

・テレビはミステリードラマ、ドキュメンタリーが好き。

・90歳を機に「終活」をはじめた。

 服、バッグ、本、手紙、ファックスなどを整理した(売却、廃棄)。

・パソコンとインターネットに挑戦したいと思っている(=10.11現在)。

・自宅の建物、家具、電化製品などは全てアメリカ製。

・自宅の庭の畑で七福大蔵大根、いんげん、きゅうり、トマト、茄子、じゃがいもなどを栽培。

・ペット…柴犬(名前はさくら、毎日夕方に散歩=03.11現在)。猫。

・住んでいる所…静岡県熱海市(40年在住、海に面した高台、駿河湾を一望できる、

 車椅子生活になった時の事を考えて床は段差なし、エレベーターがある=10.11現在)。

・いきつけ…中華「中國飯店」(西麻布)。イタリアン「アルポルト」(西麻布)。

 イタリアン「MON」(静岡県熱海市、00年頃から通っている)。

・歩くのが速い。

・乗り物が大好き。

・列車の席取りが得意(着ている服を脱いで座席に投げる)。

・子供の頃から阪神ファン。

・海外旅行で各地の世界遺産を訪れる。

・豪華客船でのクルーズで世界各地に海外旅行に行く。

・北極点を訪れて北極点の氷でかき氷を食べた事がある。

・豪華客船で3回世界一周した。

・豪華客船「飛鳥」で南極・南米を3ヵ月クルーズ(総費用は約4000万円、

 泉ピン子が部分同行=04年)。

・珍しい動物を求めて海外旅行に行くのが大好き。

・東南アジアが好き。

・20代の間に母親と父親が他界。

・夫はマザコンだった(新婚旅行に母親を連れていきたがった)。

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■橋田寿賀子

 

□人間関係

・泉ピン子…友人。一緒に旅行に行く。

 ドラマ「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」シリーズに出演。

・石井ふく子…ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」のプロデューサー。結婚の仲立ちをしてくれた。

 ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の放送中は毎週自宅で打ち合わせをする。

・三田佳子…友人。

・赤木春恵、藤岡琢也、長山藍子、前田吟、角野卓造、藤田朋子、えなりかずき

 …ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズに出演。

・小林綾子…ドラマ「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」シリーズに出演。

・与謝野晶子…高校の先輩。

・沢口靖子…高校の後輩。

・中居正広…憧れている芸能人。泉と一緒にSMAPのコンサートに行く。

 「笑っていいとも!」レギュラー出演の条件は中居との共演だった。

・ラサール石井…顔が似ていると良く言われる。

・岩崎嘉一…TBSプロデューサー。66.05.10挙式。※89.09.17肺ガンで他界(享年60)

 脚本家としてやっていけるかどうか不安だったので給料取りと結婚したくて自分から口説いた。

 41歳の誕生日に結婚。4歳年下。

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■橋田寿賀子

 

□エピソードなど

・日本女子大学卒業後、結婚を勧める親に従わず、早稲田大学に進学して勘当された。

・早稲田大学在学中、学費を稼ぐ為に250倍の競争率を勝ち抜いて松竹脚本部に入社。

 試験で隣の人の解答をカンニングした。

・松竹初の女性脚本家だった。

 当時の映画界は完全に男社会だったのでさんざんいじめられた。

・松竹時代に書いた作品のほとんどはメロドラマ。

・松竹時代、マンガ「プチ・ラ」の原作を担当。

・松竹を辞めてフリーになった後、テレビドラマに進出。当初はなかなか採用されなかった。

・結婚して定収入が確保できて生活の不安がなくなったので、

 自分の書きたいものがかけるようになった。

・「おしん」の企画は採用されるまで4年間かかった。

・「おしん」を書いて家族や夫婦のドラマの書き方に開眼した。

・「おしん」の最高視聴率は60%以上。

   東南アジア、中国、アメリカなど、世界50ヵ国以上で放送された。

・夫が他界した当時、遺産の妻の取り分は1/3だった。

 ドラマ「幸せの隣り」でその悔しさを書いた(後に世論が動いて1/2になった)。

・自宅の畑で採れた大根を出演者に差し入れする。

・キャスティングに関しては一切口を出さない。

・自宅のダイニングテーブルで手書きで台本を書く。

 1日原稿用紙10枚(6日でドラマ1話分)が自らに課したノルマ。

・橋田の脚本は役者泣かせの長台詞で有名。台本で15頁に渡る事もある。

・子供の頃に母親が買ってくれた筆箱をお守りとして愛用(=10.11現在)。

・学生時代のクラス会はネタの宝庫。

・山形県酒田市の親善大使を務めた。

・「渡る世間は鬼ばかり」がダメだったらテレビドラマの仕事はやめるつもりだった。

 当時はトレンディドラマが全盛時代でホームドラマがウケるかどうか自信がなかった。

・橋田文化財団を設立、新人脚本家に贈る橋田賞を創設(=92年)。

・バラエティ「笑っていいとも!」にレギュラー出演(=98年)。

・シングル「渡鬼音頭」を作詞(=03年)。

・毛筆でサインをする。

・トナカイ、アザラシの肉を食べた事がある。

凡例:16.01現在=2016年1月現在