大林宣彦

大林宣彦

関連項目:大林宣彦監督作品

■大林宣彦(おおばやし のぶひこ)

 

□肩書き

 映画監督

 

□別名

 學草太郎(まなぶ そうたろう)

 

□生年

 1938(昭和13)01.09(山羊座)

 

□没年

 2020(令和02)04.10(享年82)肺がん

 

□出身地

 広島県尾道市

 

□出身校

 尾道北高校

 成城大学文芸学部中退

 

□略歴(満年齢)

 82年(44歳)映画「転校生」を監督。

 92年(54歳)映画「青春デンデケデケデケ」を監督。

 12年(74歳)映画「この空の花 長岡花火物語」を監督。

 ※他の主な監督作品:

  映画 「時をかける少女」「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」

  ドラマ「私の心はパパのもの」「三毛猫ホームズの推理」

  テレビ「徹子の部屋」「今夜は最高!」「笑っていいとも!」

 

□趣味

 乗馬 テニス

 

□特技

 ピアノ

 

□特記事項

・妻は大林恭子

・長女は大林千茱萸


■大林宣彦

 

□幼少時代〜

・父親は医者。軍医として出征。

・父方も母方も代々医者の家系。

・長男。10歳年下の弟がいる。

・680グラムの未熟児として自宅出産で産まれた。

・3歳の時、自宅の蔵で活動写真機を発掘、

 戯れて遊んで映画に興味を持ち始めた。

・戦時中は日本の正義を疑わない軍国少年で、

 国の為に戦って死ぬつもりだった。

・独学でピアノをマスター。

・中学時代、生徒代表で学校のピアノを演奏する機会にショパンを演奏、

 口に含んだトマトジュースを鍵盤の上に吐いた。

 ※演奏中に喀血したショパンのエピソードを再現

 ※「大林宣彦、全自作を語る」P97〜98 

・大学浪人時代、自転車で3本立ての映画館をまわって映画を観た。

・大学時代、8ミリで映像を撮りつつ、同人誌に文芸評を執筆。


■大林宣彦

 

□私生活

・好物…肉(大好物)。ぶどう(大好物)。

・健啖家。

 若い頃は連日朝からステーキを食べた。

・酒が好き。好きな酒はワイン。

・健康法…ジョギング(1日20㎞)。

・前立腺がんを発病(=12年)。

・余命3ヵ月と宣告された末期の肺がんが抗がん剤で劇的に縮小(=16年)。

・脳に転移したがんが放射線治療で奇跡的に消滅。

・漢方医に処方された薬で視力が回復(0.2→2.0)。

・右耳が突発性難聴になった事がある(2周間で治った)。

・住んでいる所…東京都・成城。

・いきつけ…レストラン「どん亭」(日比谷)。

・父親は96歳で他界(=03年)。

・妻の父親は日本のロータリークラブの創始者のひとり。


■大林宣彦

 

□人間関係

・尾崎紀世彦…家族ぐるみのつきあい。乗馬友達。

・伊勢正三…家族ぐるみのつきあい。

 大林宣彦監督作品「なごり雪」「22才の別れ」で主題歌を歌った。

・高林陽一…親友。20代の殆どの時間を共に過ごした。

・藤田便八…友人。テニス仲間。

 映画「瞳の中の訪問者」に出演。

・石上三登志…盟友。CMディレクター時代からの仲。

 大林宣彦監督作品に多数出演・ナレーション。

・荻昌弘…親友。

・大森一樹…大森の結婚式で仲人を務めた。

・三浦友和&山口百恵…ふたりが共演したCMの演出を担当。

 ふたりが共演した映画「ふりむけば愛」を監督。

・呉美保…大林宣彦監督作品でスクリプターを務めた。

・市川崑…手紙をやりとり。

・黒澤明…映画「夢」のメイキングを大林が担当。

・マキノ雅弘…好きな映画監督。

・平田オリザ…甥。

・大林恭子…映画プロデューサー。?年結婚。大学の1学年後輩。

 自主映画時代から大林宣彦監督作品のプロデューサー。

・子供:

 長女…大林千茱萸。64年誕生。映画家、料理家。


■大林宣彦

 

□エピソードなど

・映画本編の前に上映するコマーシャルフィルムを制作。

 1本1万円のギャラを8ミリのフィルム代に充てていた。

・20代半ば頃、雑誌「8ミリ」に毎号寄稿。

・CMの演出を3000本以上てがけた。

・CM「マンダム」シリーズを演出(チャールズ・ブロンソン出演)。

・映画「ホワイト・ラブ」に監督役で出演(=79年)。

・映画「俗物図鑑」で自殺評論家役を怪演(=82年)。

・「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は<尾道三部作>と呼ばれる。

・映画「廃市」は2週間の強行スケジュールで撮影。

 まともに寝る時間がなく、座ると寝てしまうので常に立っていたが、

 気がつくと立ったまま寝て倒れていた。

・舞台「グリース」を演出(=88年)。

・原作ものを映画化する時はその作家の過去作を全て読む。

・映画を作る時に演出の哲学を書く(原稿用紙10枚程度、「字コンテ」と呼ぶ)。

・映画を作る時に絵コンテを描かない(画はカメラマンにまかせる)。

・語り口に増幅と省略のせめぎあいがある文法で作品を作る(鈴木清順の影響)。

 ※「大林宣彦、全自作を語る」P248

・自らの映画を「シネマ・ゲルニカ」と呼ぶ。

・「映像の魔術師」と呼ばれた。

・「他人のように成功するより、自分らしく失敗する」がモットー。

・大分の植樹祭、広島の国体の演出を担当。

・70歳の時に「70歳の新人宣言」をした。

・遺作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」の当初の公開予定日に他界。

 ※新型コロナウイルスの影響で公開延期

凡例:20.01現在=2020年1月現在

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