菅原文太

菅原文太

関連項目:物故者


■菅原文太(すがわら ぶんた)

 

□肩書き

 俳優 

 

□本名

 菅原文太

 

□生年

 1933(昭和08)08.16(獅子座/O型)

 

□没年

 2014(平成26)11.28(享年81)転移性肝がんによる肝不全

 

□出身地

 宮城県仙台市

 

□出身校

 早稲田大学法学部中退

 

□略歴(満年齢)

 73年(40歳)映画「仁義なき戦い」主演。

 75年(42歳)映画「トラック野郎 御意見無用」主演。

 81年(58歳)映画「青春の門」主演。

 ※他の主な出演:

  映画 「不良番長シリーズ」「まむしの兄弟シリーズ」「民暴の帝王」

  ドラマ「獅子の時代」「北の国から'92巣立ち」「高原にいらっしゃい」

 

□趣味

 読書 パソコン 格闘技観戦(ボクシング、プロレス) ゴルフ ボクシング

 

□特記事項

・長男は菅原加織

■菅原文太

 

□幼少時代〜

・父親は新聞記者→洋画家。

・妹がいる。

・ものごころつく前に両親が離婚。

・戦争中、父親の実家(宮城県)に疎開。

・戦後は継母が仙台でバー「エル・グレコ」を経営。

・高校は東北一の進学校。

・高校時代、父親の軍服とマントで登校。

・高校時代、新聞部。

 高校新聞の全国コンクールで優勝。

 部室は皆の溜まり場で誰が正規の部員か判らず、常にタバコの煙が立ち込めていた。

・高校時代、たくさん映画を観た。

   ジャン・ギャバンが好きだった(ブロマイドを集めていた)。

・高校時代、病院で売血して小遣いを稼いだ。

・高校は自由な校風で名物教師が多かった。

 大竹先生(日本史)…1年間毎回授業で農民一揆を取り上げた。

 館山先生(音楽)…試験に自分の好きな歌を歌わせた。

 菅野先生(国語)…授業をさぼって映画を観に行かせて感想を話させた。

   よく酒を持って菅野先生の家に遊びに行って映画や恋愛について語りあった。

・一浪して早稲田大学に入学。

・大学時代、仕送りは殆どなかったので様々なアルバイトをした。

 住み込み神主、日雇い労働者、バーテン、ガリ版刷りなど。

   山谷に泊り込んでいた時期があった。

・大学時代、下宿代が払えなくて夜中にリヤカーで夜逃げした。

・授業料が払えなくて大学を除籍。

・小説家になりたいと思っていた。


■菅原文太

 

□私生活

・好物…白米(宮城米応援団長を務める)。

・酒が好き。

・思い立ったら街中でも腕立て伏せや腹筋をする。

・ぼうこうがんを除去する内視鏡手術を受けた(=07年)。

・疲れがたまると点滴用の液剤をそのまま飲む。

・読書が好き。どんなに深酒しても寝る前に読書をする。

 10日以上のロケの時は最低20冊は持っていく。

・ボクシング、プロレスなど格闘技のファン。

   一番好きなのはボクシング。家にサンドバックがある。

・インターネットが好き。

・冬場は自分の山の木を薪にする。

・鳥が好き。子供の頃から鳶や鷹を見るのが大好き。

 スーツの裏地に鳥模様の生地を使用。

 死んだらチベットで鳥葬にして貰いたい。

・服装に無頓着。

 家にいる時は夏はダボシャツの上下、冬はどてら。

・住んでいる所…岐阜県清見村(人口2500人の田舎=04.04現在)。

・歩くのが好き。仕事の時もよく電車と徒歩で移動した。

・カラオケの十八番…ディック・ミネ「夜霧のブルース」。

・かかあ天下。


■菅原文太

 

□人間関係

・北島三郎…友人。

・井上ひさし…高校の新聞部の1学年後輩。

・岡田真澄…モデルクラブ「SOS」の同僚(創立メンバー)。

・安部譲二…安部のレストラン「サウサリト」に雪駄ばきで150円のランチを食べに行き、

 金は払わず伝票に「文太」とサインしていた。

・ガッツ石松、加藤芳郎、菅原文太、三浦雄一郎…雷オヤジの会のメンバー(85年結成)。

 「勉強だけにとらわれずやりたい事をやっていけ」と子供にエールを送る会。

・梅宮辰夫…映画「不良番長」シリーズ、映画「仁義なき戦い」シリーズで共演。

 梅宮とクラウディア夫人の初デートの時に菅原も同行。

・小林旭、松方弘樹…映画「仁義なき戦い」シリーズで共演。

・川地民夫…映画「まむしの兄弟」シリーズで共演。

・愛川欽也…映画「トラック野郎」シリーズで共演。

 「トラック野郎熱風5000キロ」で主題歌「一番星ブルース」を一緒に歌った。

・沢田研二…菅原のご指名で映画「太陽を盜んだ男」で共演。

・宇梶剛士…菅原の付き人をやっていた。

・菅原文太、吉田輝雄、寺島達夫、高宮敬二

 …新東宝時代に4人で「ハンサム・タワーズ」として売り出された。

 新東宝の製作中止で4人まとめて松竹に移籍。

・深作欣二…映画「仁義なき戦い」シリーズの監督。

・翔(元横浜銀蝿)、つるの剛士、SHEILA…菅原のファン。

・松坂慶子…交際を噂された。

・文子…?年結婚。

・子供:

 長女…さくら。新聞記者。

 長男…菅原加織。70.02.25誕生。俳優。※踏切で電車にはねられて事故死(=01年)

 次女。


■菅原文太

 

□エピソードなど

・大学中退後、知人の紹介でファッションショーのモデルの仕事を始めた。

 日本初の男性だけのモデルクラブ「SOS」の創立メンバー。

・売れない頃、父親の蔵書を貰ってきては読んだ後で古本屋に売って飲み代にした。

・58年に新東宝、67年に東映に入社。

・松竹から東映に移籍する時、松竹の部長が本当は1本20万のギャラを40万と申告してくれた。

 そのおかげで東映移籍後は少し生活が楽になった。

・若い頃は脇役が多かった。主役として売れたのは40歳近くになってからだった。

・CMの台詞「時代はパーシャル」「朝日ソーラーじゃけん」が話題になった。

・福祉や教育に関する活動に積極的に関わった。

 障害児訪問、在日韓国人のための老人ホーム建設、自由の森学園理事長、など。

・刑務所に慰問に行くと「神さまーっ!」と呼ばれて大歓迎された。

・物事に動じず、出来るだけ無欲に、潔く生きて生きたいと思っている。

・映画「鉄拳」の役作りの為にボクシングジムに1ヵ月通った(=90年)。

・「投票に行こうよ!東京コンサート」に参加(=98年)。

・テレビ「チャンスの殿堂」にレギュラー出演(=99年)。

・アニメ映画「千と千尋の神隠し」に声優として出演(=01年)。

・映画「デコトラ外伝 男人生夢一路」をプロデュース(=01年)。

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