荻原健司

荻原健司


■荻原健司(おぎわら けんじ)

 

□肩書き

 スキーノルディック複合選手

 参議院議員

 

□本名

 荻原健司

 

□生年

 1969(昭和44)12.20(射手座/O型)

 

□出身地

 群馬県我妻郡草津町

 

□出身校

 草津町立草津小学校

 草津町立草津中学校

 群馬県立長野原高校

 早稲田大学人間科学部

 

□略歴(満年齢)

 92年(23歳)アルベールビル五輪金メダル(団体)。

 94年(25歳)リレハンメル五輪金メダル(団体)。

   95年(26歳)W杯個人総合3連覇。

 

□趣味

 料理 ガーデニング

 

□特技

 サーフィン

 

□サイズ

 169㎝ 59㎏

 

□特記事項

・弟は荻原次晴

・五輪2大会連続金メダル

・W杯個人総合3連覇


■荻原健司

 

□幼少時代〜

・実家は老舗建材店「荻原商店」(父親は3代目)。

・5人きょうだいの4番目。姉が3人、弟が1人いる。

 ※弟は一卵性双生児の荻原次晴

・父親は元スキー選手。ダウンヒル全日本12位の記録を持っている。

 長女と三女は中学時代にクロスカントリーの全日本チャンピオンになった。

・2歳の頃から親に連れられてスキーをしていた。

・近所の人からは弟とふたりまとめて「けんつん」と呼ばれていた。

・たのきんトリオに憧れて弟と一緒に歌手になりたいと思っていた。

・小学校時代、体操をやっていた。

・小5の冬、一緒に体操をやっていた他の男子に釣られてジャンプ少年団に入団。

・小学校時代、平日放課後のスキー場はリフトが止まっていたので

 父親がクルマで何度も上に運んでくれた。

・中学時代、スキー部。コーチのすすめでクロスカントリーを始めた。

・中学時代、次晴が全国大会3位になった事がきかっけで

 ハードな練習を自主的にやりはじめた。

 ※健司は県予選敗

・中3の時、全国大会の複合で優勝(次晴は2位)。

・中学時代、父親がよく英語の勉強を見てくれた。

・高校時代、次晴といれかわって授業を受けた事があった。

・高校時代、国体で優勝、世界ジュニア選手権16位。

・大学時代、2年の時からW杯に出場、91年サンモリッツ大会で10位。

・大学時代、仕送りの大半を貯金していた。


■荻原健司

 

□私生活

・好物…寿司。

・得意料理…パスタ(ヨーロッパ仕込み)。

・早寝早起きが得意。

・料理、掃除、洗濯が好き。

 北野建設での合宿所に住んでいた時は3人分の料理を作っていた。

・洋服が好き。

・北野建設の社員寮(千代田区平河町)に住んでいた。

・サーフィンが大好き。

 スキー引退後にプロサーファーになる事を考えていた時期があった。

・父親と一緒にアフリカ・キリマンジャロを登頂(=02年夏)。


■荻原健司

 

□人間関係

・三ヶ田礼一、河野孝典、荻原健司

 …アルベールビル五輪スキーノルディック複合団体メンバー(金メダル)。

・阿部雅司、河野孝典、荻原健司

 …リレハンメル五輪スキーノルディック複合団体メンバー(金メダル)。

・富井彦、森敏、荻原健司、荻原次晴

 …長野五輪スキーノルディック複合団体メンバー(5位)。

・荻原次晴…弟(一卵双生児)。

 酔って肩を組んで歩く事がある。

 別の日に同じ服を買ってしまった事が何度かある。

 一緒に出かける時は服が同じにならないようにあらかじめ打ち合わせする。

 ほくろが多くて鼻のラインが湾曲している方が次晴。

・おすぎとピーコ、三倉佳奈&三倉茉奈、裕子と弥生…双子の有名人。

・野口陽子…元コンパニオン。94年5月挙式、96年離婚。

・花田千春…05.07.19入籍。

・子供:

 長女…雪絵。※母親は野口陽子


■荻原健司

 

□エピソードなど

・大学卒業後、北野建設に所属。

・次晴と一緒にスキーのレンタルのアルバイトをしていた。

・アルベールビル五輪でV字ジャンプで飛距離を5〜10m伸ばして団体戦金メダルに貢献。

 複合では世界ではまだ数人しか採用していないV字ジャンプに大会1ヵ月前から挑戦した。

・アルベールビル五輪団体戦で頬に日の丸ペイント、日の丸の旗を振りながらのゴール。

・93年世界選手権で個人と団体で優勝(日本人初)。

・リレハンメル五輪の個人戦、追い風や無風でジャンプの飛距離が伸びず、

 「ジャンプでリードして逃げきり」という必勝パターンに持っていけなかった。

・W杯リベレツ大会で健司が優勝、次晴が準優勝(=95年)。

・長野五輪の個人で次晴と順位争いをした(健司4位、次晴6位)。

・昔は「複合」という競技を説明するのに苦労した。

・欧米はスキー複合の人気が高い。

 複合のチャンピオンは「キング・オブ・スキー」と称せられる。

・シーズン中はほぼヨーロッパに滞在していた。何日洋食が続いても平気。

 海外滞在中は自分で洗濯した(洗濯機を貸して貰えない時は手洗い)。

・「通じればいい」と開き直ってカタコト英語で話す。

 北欧の選手はカタコト英語なので相手の言っている事がよく判る。

 イギリス人やアメリカ人の英語が一番聞き取りにくい。

・フランスの選手と仲が良かった。

 日本語とフランス語を教えあった(フランス語のスラングを教えて貰った)。

・日本のスキー競技のシステム、ステイタス、イメージを向上させたいと思っていた。

・徹底的に体をいじめて鍛えあげるのではなく、適度に休息をはさむタイプ。

・02年ソルトレイクシティ五輪後に競技の第一線から引退。

・競技の普及の為に全国で講演やイベントを開催。

・参院選比例区に自民党から立候補して当選(=04年)。

・父親が「2時っチャオ」に出演(=08年6月20日放送分)。

・02年ソルトレイクシティ五輪を最後に第一線を退いた後も趣味でスキーを続けている。

・北野建設スキー部の部長に就任(=10年)。

・ソチ五輪中継のハイテンション実況が話題になった。 

・国体に県代表として出場(ジャンプ、ノルディック複合=17年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在