細野晴臣

細野晴臣


■細野晴臣(ほその はるおみ)

 

□肩書き

 ミュージシャン 作曲家 

 

□所属グループ

 はっぴいえんど

 YMO

 

□本名

 細野晴臣

 

□生年

 1947(昭和22)07.09(蟹座/A型)

 

□出身地

 東京都港区白金

 

□出身校

 白金小学校

 立教高校

 立教大学

 

□略歴(満年齢)

 69年(22歳)はっぴいえんどを結成(→73年解散)。

 73年(26歳)ソロアルバム「HOSONO HOUSE」をリリース。

 78年(31歳)YMOとしてアルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」をリリース。

 ※YMOの主なシングル:

  「テクノポリス」「ライディーン」「君に、胸キュン。」

 ※主な出演:

  映画   「居酒屋兆治」「四月の魚」「ノルウェイの森」

  ドラマ「家路 ママ・ドント・クライ」

  CM    「ローソン」「東京ガス」「江崎グリコ ポッキー」

 

□趣味

 読書 マンガ 映画観賞 旅行

■細野晴臣


□幼少時代〜

・父親は建設関係の仕事をしていた。

 大きな建築物の現場監督として日本全国のあちこちに行っていた。

・姉がいる。

・父方の祖父・細野正文はタイタニック号沈没事故の生存者。

 事故から帰国後に父親が生まれた。

 祖父は細野が生まれる前(1939年)に他界しているので会った事はない。

・5歳の時、父方の祖母が家に泊まりに来て翌日に亡くなった(最初の記憶)。

・母方の祖父母と同居していた(棟続きの隣に住んでいた)。

 母方の祖父はピアノの調律師。母方の祖母と仲が良かった。

・映画好き(洋画好き)の母親がよく映画館に連れていってくれた。

・ハリウッド映画やドイツ映画の主題歌のSP盤レコードが家にたくさんあった。

・父親を相手にキャッチボールをするのは好きだったが、集団で野球をするのは嫌いだった。

・小5〜小6の時、ダジャレが大好きだった。先生から「お調子者」と呼ばれた。

・中学時代、ベースギターをやりはじめた。

 音楽仲間がみなリードギターをやりたがるのでベースを選んだ。

・中学時代、白土三平のマンガに熱中。将来漫画家になる事を考えた。

・中学時代、黒澤明の映画に熱中。

 名画座に通って過去の作品を全作観た。「用心棒」は6回、「七人の侍」は3回観た。

・中学時代、反抗期があった。むやみにイライラして家族に対して大声を出していた。

・高校時代、SF小説に熱中。

・病気恐怖症だった。


■細野晴臣

 

□私生活

・好物…白米。ラーメン。アジの開き。生卵。海苔。コーヒー(毎朝飲む)。

・得意料理…マグロのステーキ。

・食事は外食が多い。

・同じものを毎日食べ続ける。珍味を食べない。

・よく食べ物をこぼす。

・酒が飲めない。

・健康法…鼻音で話す。貧乏ゆすり(体の調整の為に意識的にやる)。

・自律神経失調症による過換気症候群やパニック症候群を長年患っていたが、

 禅の呼吸法などを研究して医者に頼らずに克服した。

・飲尿健康法をやっていた。

・風邪をひいてもかぜ薬を飲まない。

・若い頃はガリガリにやせていて肋骨が浮き出ているのがコンプレックスだったが、

 40歳を過ぎた頃から太り始めた。

・天気の変化に敏感。雨や雪が降る日が判る。異常な低気圧の時にナチュラルハイになる。

・寝る準備をしないで失神するように寝るのが好き。

・昼寝が好き。

・毎日入浴するが髪の毛や体はあまり洗わない。

・片付けが苦手。

・好きなマンガ家…諸星大二郎。

・好きなマンガ…「サザエさん」(よく読み返す)。「アイアムアヒーロー」。

・好きなアーティスト…ブリトニー・スピアーズ(クルマの中でフルボリュームで聴く)。

・1920〜1930年代の古い音楽に自分が好きな音楽の原型を発見すると嬉しくなる。

・SF映画、ホラー映画が好き。

・映画「未知との遭遇」「E.T.」を見て泣いた。

・忍者、剣豪が好き。

・オカルト、超常現象、最新医療に興味関心がある。

・匂いにこだわりを持っている。

・パソコン(Mac)を愛用。

 音楽制作だけでなく、日常的にスケジュール管理、ニュース収集、DVD収集などに使う。

 ネットで集めたニュースを項目?に整理する。

・自宅の窓はいつも開けっ放し。

・引越しが好き。40回以上引っ越した。

・埼玉県狭山市のアメリカ村と呼ばれた地区に住んでいた。

・いきつけ…レストラン「キャンティ」。

・カフェが好き。

・飛行機の長時間移動が苦手。

・ひなびた温泉が好き。

・島が好き。

・沖縄が好き。以前は毎年行っていた。

・50歳の頃にネイティブアメリカンの思想に触れて自意識のありようが変わった。

・ライフルを構える身振りをしておならをする一発芸を持っている(父親から受け継いだ)。

・半ケツ状態でワルツを踊る「ぶんちゃっちゃダンス」という一発芸を持っている。

・人から「聞き上手」とよく言われる。

・父親と子供の頃からあまり話をした事がなかった。

・女性アナウンサーのウグイスのような発声に癒される。

・アダルトビデオに出演している女性の心理に興味がある。

・自分と全く違うタイプの女性に惹かれる。


■細野晴臣

 

□人間関係

・中島朋子…友人。一緒に食事する。

・高橋幸宏、坂本龍一、細野晴臣…YMOのメンバー。

 高橋の60歳の誕生日に坂本が赤い帽子をプレゼント。

・鈴木茂、佐藤博、林立夫、松任谷正隆…ティン・パン・アレーのメンバー。

・大瀧詠一、鈴木茂、松本隆…はっぴいえんどのメンバー。

 松本の自宅に入り浸っている時期があった。

・忌野清志郎、坂本冬美…ユニット・HISを結成してアルバムをリリース(=91年)。

・東儀秀樹…東義のセカンドアルバム「MODE OF RISING SUN」でジョイント。

・森高千里…CMで夫婦役で共演。

・森進一、松田聖子、森高千里、安田成美、山下久美子…楽曲を提供。

・ピチカート・ファイヴ…デビュー曲をプロデュース(=85年)。

・槇原敬之…中学時代にYMOの影響でシンセサイザーと作曲をはじめた。

・ピエール瀧…子供の頃にYMOを聞いて音楽に目覚めた。

・笑い飯…YMOのファン。

・妻…?年結婚。

・子供:長女。

・孫(男児)がいる。


■細野晴臣

 

□エピソードなど

・エイプリル・フールのメンバーとしてプロデビュー(=69年)。

・ファーストソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自宅録音で制作(=73年)。

・YMO以前はほとんど売れなかった。

・YMOを始めるか出家して高野山で修業するか悩んだ末にYMOを選んだ。

・YMOの初期はプロデューサー的なポジションだった。

 音楽を坂本と高橋にまかせてコピーライティングやグラフィックなどを固めていた。

 原宿のセントラルアパートに通ってクリエイターと交流していた。

・映画「微熱少年」に出演(松本隆監督=87年)。

・90年代にアンビエントに傾倒していた。

・世界の民族音楽家や前衛音楽家を集めた「東京ムラムラ」をプロデュース(=91年)。

・自身のレーベル「daisyworld discs」を作った(=96年)。

・高橋幸宏とユニット・スケッチショウを結成(ライブに坂本龍一がゲスト出演=02年)。

・映画「ノルウェイの森」に出演(=10年)。

・ソロアルバム「HoSoNoVa」をリリース(=11年)。

・「スターウォーズ」のヨーダに似ているとよく言われた。

・音楽の真髄はその場で楽しいという事だと思っている。

・映画音楽を多数担当。

 「銀河鉄道の夜」「メゾン・ド・ヒミコ」「グーグーだって猫である」など。

・以前はライブの仕事は好きではなかったが50歳の頃から好きになった。

・音楽にまつわる音楽以外のクリエイティブ作業が大好き。

 PV作成のアイディアを出す。

・アルバムのミックスを自ら手がける。

・60歳で引退するつもりだったが、60代が一番仕事が忙しい。

・多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授に就任。

・京都精華大学ポピュラーカルチャー学部の客員教授を務める予定(=13年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在