神田川俊郎

神田川俊郎


■神田川俊郎(かんだがわ としろう)

 

□肩書き

 料理人 

 

□本名

 大竹俊郎

 

□生年

 1939(昭和14)11.15(蠍座)

 

□没年

 2021(令和03)04.25(享年81)新型コロナウイルスによる肺炎

 

□出身地

 京都府京都市

 

□出身校

 京都市立第四錦林小学校

 京都市立近衛中学校

 

□略歴(満年齢)

   61年(22歳)創作おでんの店「ふく柳」開店。

 65年(26歳)新日本料理「神田川」開店(大阪・北新地)。

 93年(54歳)テレビ「料理の鉄人」出演。

 ※他の主な出演:

  テレビ「神田川料理道場」「11PM」「爆報! THE フライデー」

  CM「エバラ」

 

□趣味

 書道 油絵 陶芸 大相撲観戦

 

□特技

 アイススケート


■神田川俊郎

 

□幼少時代〜

・実家は京都の老舗のうなぎ屋「神田川」。

・6人兄弟の5番目(四男)。

・小学校時代、貧しかった家庭を助けるために京都の仕出店でアルバイト。

 家では充分に食べられなかったので食べ物がたくさんあるところを選んだ。

・小学校から21歳までアイススケート教室に通っていた。

 

□私生活

・好物…うどん。魚。豆類。納豆。

・子どもの頃に食べた卵かけごはんのおしいさが忘れられない。

・カツラ着用を噂された。

・健康法…根昆布(昆布のエキスが出た水を飲んで昆布も食べる、30年以上続けている)。

・新型コロナウイルス陽性反応が判明した約2週間後に他界。

・いきつけ…炉端焼き「炉端料理 一」(大阪市中央区)。

・日舞、都々逸を習っていた。

・大相撲5月場所を毎年会場で観戦(40年以上)。

・ダジャレが好き。


■神田川俊郎

 

□人間関係

・野村克也…家族ぐるみのつきあい。野村の現役時代からの仲。

 野村沙知代を含めて3人で下呂温泉に一緒に行った。。

・長谷川一夫、石原裕次郎、勝新太郎、小林旭、西川きよし

 …「神田川」の常連客。

・王貞治、マライア・キャリー…「神田川」に来た事がある。

・陳建一、道場六三郎、坂井宏行、中村孝明…「料理の鉄人」で対戦。

 この4鉄人全員と対戦したのは神田川だけ。

・上岡龍太郎…スケート教室の後輩。

・宮下栄松…修業した「洗心亭」の料理長。

 「鬼の栄松」と呼ばれる厳しい人だった。失敗すると殴られた。

 漬け物を切る時に「漬け物ではなく鯛だと思って切れ」と指導された。

・パンチョ伊東…顔が似ているとよく言われる。

・浅野ゆう子…憧れている芸能人。「神田川」の常連。

・元妻…?年結婚、10年離婚。

・子供:

 長女…河江(かこ)。

 ※孫がいる


■神田川俊郎

 

□エピソードなど

・料理人になる事を父親に大反対された。

 つかみあいのケンカになって投げ飛ばされた。

・16歳の時、料理人修業の為に高下駄・鰻包丁・現金130円を持って大阪へ出た。

・大阪の料亭「洗心亭」「なだ万」で修業。

・修業1年目、使い走りや洗い場を担当。よく先輩から理不尽に殴られた。

 この1年で根性が鍛えられた。

・修業中は「人より早く来て最後に帰る」「人がいやがる仕事をする」を自分に課していた。

 出張料理に行った時はその家の冷蔵庫や下駄箱を掃除して帰った。

・「なだ万」で働くには若すぎたので当時は年をごまかしていた。

・通常は12年かかる弟子入りから独立までを6年で達成。

・創作おでんの店「ふく柳」でおでんの具にパンを使用。

・26歳の時、「新日本料理」を提唱して「神田川」を開店。

  「料理は味覚・臭覚・触覚・視覚・聴覚に訴えて表現する総合芸術」と訴えた。

・すっぽん料理を出す時はさばいたすっぽんの甲羅を魔除けとして客にあげる。 

・味付けを時代によって変えてきた。

 昭和40年代は胃袋で食べた時代、50年代は目で見て食べた時代、

 60年代は舌で食べた時代、平成以降は頭と心で食べる時代。

・料理は「一に心、二に材料、三に細工」だと思っている。

・「花に水、人に愛、料理は心」がモットー。

・料理を盛る器にも興味が出て陶芸を始めた。

 この料理にはこの器、この器にはこの料理、とどんどんイメージが湧いた。 

 八寸、皿、抹茶茶碗などいろんなものを作る。

・「神田川」の弟子の数は支店を合わせると約50人。

 修業は厳しく、上下関係は封建的。

 入門したての弟子には身の回りの物を買う雑費程度しか渡さない。

 1日でいなくなる者や夜逃げをする者がたくさんいる。

・弟子の数は5000人以上(調理師学校の生徒を含む=95年現在)。

・自分の店で小火騒ぎ(=98.07.06)。

・コンビニ「サンクス」の特製弁当をプロデュース(2週間の限定発売=95年)。

・全国各地でディナーショーや講演会を開催。

 ディナーショーで藤山寛美から贈られた歌「人生味修行」を披露。

・日本調理師学校名誉師範。

・日本調理師協会最高顧問。

・西武・辻発彦監督プロデュースの球場グルメを監修(=21年)。

・著書…「神田川俊郎のかんたん家庭料理」「神田川料理道場」「酒の肴」。 

凡例:20.01現在=2020年1月現在