□略歴(満年齢)
88年(23歳)爆笑問題を結成。
96年(31歳)テレビ「タモリの超ボキャブラ天国」に出演。
01年(36歳)テレビ「サンデージャポン」に出演。
※他の主な出演:
テレビ「爆笑大問題」「笑っていいとも!」「爆報! THEフライデー」
ラジオ「JUNK 爆笑問題カーボーイ」「爆笑問題の日曜サンデー」
CM 「ブルボン 味ごのみ」「トヨタ自動車 スパシオ」「サントリー モルツ」
□趣味
太田…読書 テレビ観賞 テレビゲーム サックス アメフト観戦
田中…麻雀 プロ野球観戦 草野球 競馬 ギター カラオケ ゴルフ
□特技
田中…紙粘土細工 麻雀の盲牌 ピアノ キーボード プロ野球選手の形態模写
□サイズ
太田…170㎝
田中…152㎝
□特記事項
・妻は太田光代(太田)
・妻は山口もえ(田中)
■爆笑問題
□人間関係
・浅草キッド…ライバル的存在。私生活でも仲が悪いらしい。ビートたけしの代打で急遽
爆笑問題が出演した「オールナイトニッポン」で「今このラジオを聞いている浅クソ
キッドはくやしがっているでしょう。文句があるならスタジオに来い」と挑発したら
浅草キッドの水道橋博士が生放送のスタジオに乱入した(=90年)。
フジテレビ「爆笑ヒットパレード」で険悪なムードになった(=99年)。
・瑛太、若林正恭、宇多田ヒカル…爆笑問題のファン。
■爆笑問題
□エピソードなど
・爆笑問題結成前、渋谷のショーパブ「グランバレー」でアルバイト。
ギャラが1日1万円になると聞いて田中は大学を辞めたがすぐにクビになった。
・「光」「小僧」と呼び合う。
・コンビ名はライブに際してコンビ名を訊かれた田中がとっさに作った。
・最初の2年間はコントをやっていた。
・ラ・ママ新人コント大会で初めてコントをやった日にスカウトされた。
・デビュー当時のふれこみは「ツービートの再来」(当時は太田プロ所属)。
・ボロクソにけなされた同じネタを1ヵ月後に同じ人にベタボメされた事がある。
・「オールナイトニッポン」で太田が「たけしは死にました」と冗談を言って大問題になった。
ビートたけしの代打で出演。その後ニッポン放送を5年間出入り禁止になった。
・太田プロを独立後約3年間、仕事をホサれて売れない時期があった。
月1回の新人コント大会以外はたまに営業が入るだけだった。
営業の客が0人だった事があった。
・ホサれていた時期にラ・ママ新人コント大会に毎月出演を続けていた。
「いじめ」「中国残留孤児」「原発問題」などの際どいネタをやっていた。
・NHK新人演芸大賞(落語家以外の初優勝=93年)。
・マネージャーは大学時代の同級生(同じコンビニで働いていた)。
・「GAHAHAキング」で10週勝ち抜いて初代チャンピオンになった。
・「タモリの超ボキャブラ天国」のキャッチコピーは「不発の核弾頭」。
・「タモリの超ボキャブラ天国」にシミ付きの私服で出演していた。
・作家3人のアイディア、田中が集めた世間の事件などを元に太田がネタを作る。
「タモリの超ボキャブラ天国」の駄洒落ネタは田中が作った。
大田の自宅に集まってネタを仕上げる。
ネタに関する最終判断は田中が行う(取捨選別、構成)。
・「ポンキッキーズ」にネズミの着ぐるみを着て「爆チュー問題」として出演。
シングル「でたらめな歌」「アララの呪文」をリリース。
・紅白歌合戦に7年連続ゲスト出演。
・芸術選奨文部科学大臣賞を受賞(=06年)。
・ネットに「爆笑問題の太田を殺します」と書いた男性が逮捕(=08年)。
・フジテレビの正月番組「爆笑ヒットパレード」のトリを毎年務める。
・漫才で太田が「くも膜下出血大サービス」と田中の病気をネタにした(=21,02.27)。
※田中は21.01.20に脳の動脈解離などで緊急搬送
・YouTubeチャンネル「テレビの話」開設(=22年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在