槙原寛己

槙原寛己


■槙原寛己(まきはら ひろみ)

 

□肩書き

 野球選手(01年引退) 

 野球解説者

 

□本名

 槙原寛己

 

□生年

 1963(昭和38)08.11(獅子座/B型)

 

□出身地

 愛知県半田市

 

□出身校

 半田市立岩滑小学校

 半田市立半田中学

 愛知県立大府高校

 

□略歴(満年齢)

 82年(19歳)ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。

 85年(22歳)阪神戦で3者連続バックスクリーン被弾。

 94年(31歳)史上15人目の完全試合。日本シリーズMVP。

 ※入団は野球シーズン年度

 ※通算成績:

  463試合159勝128敗56S、防御率3.19、2111奪三振

 ※主なタイトル・表彰:

  最多奪三振1回、新人王

 ※主な出演:

  テレビ「S☆1」「チューボーですよ」「いい旅・夢気分」

  CM「大塚製薬 オロナミンCドリンク」

 

□趣味

 料理 映画観賞 ギャンブル(競馬、競艇、カジノ) 旅行 ゴルフ  

 

□サイズ

 187㎝

 

□特記事項

・3者連続バックスクリーン被弾

・完全試合

・日本シリーズMVP


■槙原寛己


□幼少時代〜

・実家は電気工事店。

・兄がいる。

・子供の頃、兄と一緒に手製の発砲スチロールで作ったボールでキャッチボールをした。

 空気抵抗でナチュラルに変化するのが面白かった。

・小学校時代、近所の寺の境内でよくやったメンコで連戦連勝、

 メンコで手首のスナップを鍛えたのが後に役立った。

・小学校時代、休んだ生徒の分の給食を全部食べていた。

   クラスメイトに比べててずば抜けて身体が大きかった。

・小学校時代、学校に野球部がなかったので、サッカー・陸上・水泳・などをやった。

・中学時代、野球部に入部して野球を本格的に始めた。

 中学時代は球は滅法早かったがコントロールが全然なかった。

・大学進学を考えて野球での誘いを断って県立高校に入学。

・高校時代、コントロールを身につける為に下半身を徹底的に鍛えた。

・高3の時、春のセンバツ1回戦で優勝候補の報徳学園に勝利(2回戦敗退)。


■槙原寛己

 

□私生活

・好物…カツカレー。ドイツ料理。

・嫌いな食べ物…甘いもの。あんこ。

・得意料理…カレーライス。スパゲティ。

・新型コロナウイルス陽性反応(宿泊施設で療養=21年3月)。

・通販で小顔グッズを購入した事がある。。

・ペット…カエル(=02.10現在)。

・住んでいる所…東京都世田谷区大蔵(一軒家=02.10現在)。

・いきつけ…

 焼肉「牛まつ」(多摩プラーザ、巨人の選手御用達)。

 「美登利寿司」(世田谷区経堂)。

・料理、パソコン、英会話に挑戦したいと思っている。

・カラオケの十八番…サザンオールスターズ。

・喋るのが大好き。ダジャレが好き。


■槙原寛己

 

□人間関係

・薬丸裕英…家族ぐるみのつきあい。一緒に旅行に行った。

・中山秀征…友人。中山の草野球チームに助っ人として参加。

・森口博子…友人。「マッキー」と呼ばれる。

・宮本和知、元木大介…友人。飲み仲間。

・京本政樹…友人。

・吉村偵章、工藤公康、金村義明…同期入団(同学年)。

 金村とはセンバツの1回戦で対戦してホームランを打たれが試合は勝った。

・駒田徳広、吉村偵章…若手の頃に「50番トリオ」として売り出された。

 ※背番号=駒田50、槙原54、吉村55

・斉藤雅樹、桑田真澄…3人で3本柱として活躍。

・木田優夫…木田が大リーグに行く時に「俺の分も頑張ってきてくれ」と励ました。

・せんだみつお…顔が似ているとよく言われる。

・モーニング娘。…長女・かほりが大ファン、一緒にコンサートに行った。

・柴田恵美子…88年結婚。

・子供:

 長女…かほり。13歳(=02.10現在)。

 長男…周麿。6歳(=01.11現在)。


■槙原寛己

 

□エピソードなど①

・ドラフト前に12球団全部が挨拶にきてくれた。

・若い頃はインタビューの受け答えが苦手だった。

・プロ初登板で初完封、12勝8敗で新人王(=83年)。

・当時のプロ野球最速の155㎞/hをマーク(=84年)。

・阪神戦でバース、掛布、岡田に3者連続でバックスクリーン被弾(=85.04.17)。

 王監督がもの凄く怒っていたので阪神ベンチに帰りたいと思った。

・球団通算5000号のホームラン(現役時代唯一のホームラン=85.06.28)。

・ピッチャーゴロを処理しようとして股関節を骨折(=85年)。

・登板前日に花火をして右手の指を火傷したのを隠して登板、

 試合中に水ぶくれが破れて出血したが12奪三振で完投

 (記者の取材に「マメがつぶれた」とウソのコメントをした=88年)。

・12勝4敗、防御率1.79で優勝に貢献、日本シリーズ優勝(=89年)。

・第1戦で先発して登板機会がないと思っていたのでユニフォームがなく、

   練習着でオールスター第3戦に急遽登板(=91年)。

・FA宣言するが説得されて残留(=93年オフ)。

 毎朝長嶋監督から電話がかかってきて残留するように説得された。

 長嶋監督が背番号の数のバラの花束持参で自宅に来てくれた。

・史上15人目の完全試合(=94.05.18広島戦at福岡ドーム)。

 前日に中洲でガンガン飲んで門限を破って外出禁止処分、

 「好投したら処分を軽減する」と言われたので発奮して投げた。

 普段とは全然調子が違っていて、2イニングから完全試合を意識した。

 完全試合の広島戦は球団創立7000試合目。

・日本シリーズMVP(=94年)。


■槙原寛己

 

□エピソードなど②

・98年にリリーフに転向。

 リリーフ転向を打診された時、通算200勝に未練もあったので悩んだ。

・新庄剛志に敬遠球を打たれるサヨナラヒット(=99.06.12)。

 ※バッターボックスを大きく踏み出しているので厳密にはルール違反?

・試合前にロッカールームでお喋りで盛り上がった時はたいてい打たれた。

・打たれるとよくやる気を喪失した。

 やる気をなくすと「天を仰ぐ」「目が泳ぐ」で周囲にバレバレだった。

・視力が悪かったのでコンタクトレンズを使用。

 風が強い日は裸眼だったので普通のサインは見えず、胸や肩を触るサインを使っていた。

 95年に近視&乱視の手術を受けたが効果が少なかった。

・地方遠征の時は試合後の宴会が何よりの楽しみだった。

・ピッチャーで20年ジャイアンツに在籍したのは槙原が初。

・現役最後の登板の時、長島監督から直接ボールを貰ってマウンドへ上がったが、

 長嶋監督にかけて貰った言葉は興奮していて覚えていない。

・長男・周麿が「情報ツウ」「素顔が一番」に出演(=02年)。

・著書「パーフェクトとKOのあいだ」を出版。

・自宅を「火曜サプライズ」で公開(=16年4月19日放送分)。

・「有吉ゼミ」の大食い企画に数回挑戦。

・「有吉ゼミ」の激辛企画を完食(=22年5月23日放送分)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在