岸部四郎

岸部四郎


■岸部四郎(きしべ しろう)

 

□肩書き

 歌手 タレント 俳優 

 

□所属グループ

 ザ・タイガース

 

□本名

 岸部四郎

 

□旧芸名

 岸部シロー

 

□生年

 1949(昭和24)06.07(双子座/A型)

 

□没年

 2020(令和02)08.28(享年71)拡張型心筋症による急性心不全

 

□出身地

 京都府京都市

 

□出身校

 京都市立朱雀第八小学校

 京都市立近衛中学校

 

□略歴(満年齢)

 69年(20歳)ザ・タイガースに加入。

 78年(29歳)ドラマ「西遊記」出演。

 84年(35歳)テレビ「ルックルックこんにちは」司会。

 ※他の主な出演:

  映画「喜劇 やさしくだまして」「アイコ十六歳」「ハチ公物語」

  ドラマ「おはよう」「遠山の金さん」「はね駒」

  CM「花王 ビオレ」「旭化成 ヘーベルハウス」「GREE」

 

□趣味

 読書 音楽観賞 卓球 サイクリング 

 

□資格・免許

 古美術商

 

□サイズ

 187㎝

 

□特記事項

・兄は岸部一徳


■岸部四郎

 

□幼少時代〜

・父親は元職業軍人(戦時中は憲兵)。

 戦後は定職に就かず時々旅に出て稼いできた。

・父親は遊び人だった。

 父親の借金がたまってくると夜逃げした。

・6人きょうだいの末っ子。

・4畳半の部屋に一家9人で住んでいた。

 父親の妾とその子供と同居していた。

・小学校時代、地方新聞の題字の切り抜きをコレクションしていた。

・小学校時代、新聞配達のアルバイト。

・中学時代、京都で最初に出来たモーターホテルの管理人に親が当選して一家で住み込んだ。

・中学時代、身長が185㎝で不良っぽい格好をしていたのでよくケンカを売られた。


■岸部四郎

 

□私生活

・好物…「吉野家」の牛丼。ぶどうパン。牛肉。キャビア。

・稼いでいた時は100グラム8000円の高級和牛をよく食べていた。

・医者に「やせないと死ぬ」と言われて食事制限して3ヵ月で12㎏減量。

・食事の後でウトウトするのが大好き。

・酒、タバコをやらない。

・健康法…散歩。

・脳卒中で倒れて一時半身不随になった(=04年)。

・脳卒中の後遺症で左目の視野が狭窄(左目が殆ど見えない=08.07現在)。

・自律神経失調症、不整脈、糖尿病を患っている(=08.07現在)。

・高血圧症。

・筋力が衰えて箸をうまく使えなくなった。

 フォークを使ってもパスタをうまく巻けない。

・運動不足解消の為に洗い物やエアコンの掃除をする。

・暑がり。夏はエアコンをガンガン効かせて寝る。

・異常な空腹を感じて朝6:00頃に目が覚める事が多い。

・方向音痴。

・好きな作家…夏目漱石。永井荷風。芥川龍之介。

 マンションの一室に夏目漱石の書斎を復元、

 和服に着替えて初版本を耽読。

・自己破産前は収集マニアだった。

 自宅以外に収集品専用の部屋が4つあった。

 李町のタンス、座卓、ブリキのおもちゃ、ビンテージジーンズ、

 ぬいぐるみ、骨董品、初版本、稀覯本、など。

 初版本収集は父親から受け継いだ趣味だった。 

 ※収集品は借金返済の為に全て売却したらしい

・ペット…犬2匹(=09.03現在)。

・住んでいる所…神奈川県横浜市(=09.06現在)。

・いきつけ…

 京料理「佐京」(港区赤坂)。

 イタリア料理「ロッソ・エ・ネロ」(紀尾井町)。

 料亭「川上」(京都市東山区)。

 ステーキハウス「ゆたか」(京都市上京区)。

・姉が時々料理を作りに来てくれる。


■岸部四郎

 

□人間関係

・大和田獏、小倉一郎、岸部四郎、森本レオ

 …岸部の音頭でグループを作って何度か会合を持った。

・加橋かつみ、岸部四郎(シロー)、岸部一徳(サリー)、

 沢田研二(ジュリー)、瞳みのる(ピー)、森本太郎(タロー)

 …ザ・タイガースのメンバー。加橋かつみは69年脱退。

・堺正章、岸部四郎、西田敏行、夏目雅子

 …ドラマ「西遊記」出演者。

・エリック・クラプトン…好きな歌手。

 来日する度にビンテージジーンズなど高価なモノをプレゼント。

・元妻…日米ハーフ。71年結婚、85年離婚。※[84年離婚]とする媒体もある

 家を建ててすぐに別居する事になったので1.2億円の家に1泊しかできなかった。

 離婚後に養育費や家のローンを月120万円払い続けた。

・小緒里…ブティック勤務。94年2月入籍。14歳年下。

 客と店員として知り合って2年間同棲して結婚。

 ※心不全で他界(享年43=07年)

・元妻との間に1男1女(離婚後の親権は元妻は)。


■岸部四郎

 

□エピソードなど

・中学卒業後、上京。

・印刷工として2年間働いた。

・17歳の時、兄・岸部一徳を頼って上京、

 タイガースの付き人兼バンドボーイになった。

・19歳の時、貨物船でアメリカに渡ってロックを勉強。

・加橋かつみの脱退による補充で急遽アメリカから帰国してタイガースに入った。

・タイガース時代、飛行機のタラップの横まで直接乗り付けて、

 会場まで警察が道路封鎖をして移動した。

・タイガース加入当初、弾けないギターを持って弾くマネをしていた。

・タイガースのライブでMCを担当。

・タイガースのルール…

 「ファンの女の子と個人的に仲良くしない」

 「掃除・食事は当番制」「無断外泊禁止」

・タイガースの復活コンサートに出演(=81年、89年)。

・ワイドショー「ルックルックこんにちは」の司会を13年務めた。

 VTRが流れている最中はウトウトしていた。

・渡辺プロから独立した時に芸名を「岸部シロー」から「岸部四郎」に変えた(=94年)。

・骨董品店「プチ・ルーブル」を開店(東京・南青山=97年)。

・ヘリコプター運行委託会社経営、ロサンゼルスでディスコ経営、

 外車販売、お見合い会社などに携わった。

 広告塔として名前を貸しただけの案件も多かったらしい。

・不渡り手形を出して自己破産(負債総額6億円以上=98年)。

 連帯保証人になっていた森本太郎の事務所が倒産した事で借金を負った。

 破産宣告を受ける頃は利息だけでひと月1200万円。

 「ルックルックこんにちは」のギャラは全て借金返済にあてていた。

 借金に悩んで自殺を考えた事があった。

・テレビ「ヤミツキ」の企画でケジメをつけるためにスキンヘッドになった(=99年)。

・借金をテーマに講演を行う。

・関西銀行のCMで自虐ネタ(テレビ大阪のみ放送=02年)。

 ※「お金は借りないのが一番! 借りるなら賢く借りる! 私が言うても説得力ゼロですが」 

・ブログ「四郎マンション」をやっている(=07.12現在)。

・タイガース復活ツアー最終公演に車椅子で出演(=13年12月)。

・主な著書:

 「お金上手」

 「暗くならずにお金がたまる」

 自伝的エッセイ集「後ろ向き」(幻冬舎=06年)

凡例:20.01現在=2020年1月現在