■大橋純子(おおはし じゅんこ)
□肩書き
歌手
□本名
大橋純子
□生年
1950(昭和25)04.26(牡羊座/A型)
□出身地
北海道夕張市
□出身校
夕張市立第一小学校
夕張市立第一中学校
北海道立夕張北高校
藤女子短期大学文学部国文科
□略歴(満年齢)
78年(28歳)「たそがれマイ・ラブ」がヒット。
79年(29歳)紅白歌合戦に初出場。
82年(32歳)「シルエット・ロマンス」がヒット(81年リリース)。
※他の主なシングル:
「シンプル・ラブ」「ビューティフル・ミー」「愛は時を越えて」
※主な出演:
テレビ「ダウンタウンDX」
□趣味
帽子収集 ナンバークロス
□サイズ
150㎝ 靴のサイズ21.5㎝
■大橋純子
□幼少時代〜
・実家は夕張炭坑近くの大衆食堂。
・4人きょうだいの末っ子。兄が3人いる。
・子供の頃から歌うのが好きだった。
食堂のお客さんの前や敬老会の余興で歌っておひねりを貰っていた。
小学生の頃からアメリカンポップスを聴いていた。
・小学校時代、父親の浮気が原因で両親がしょっちゅう夫婦喧嘩をしていた。
父親と一緒に父親の愛人の家に遊びに行った事があった。
・中学時代、合唱クラブ(メゾソプラノを担当)。
・高校時代、混成四部合唱団(ソプラノを担当)。
・高校時代、アナウンサーを志していた。
・短大時代、喫茶店でアルバイト。
・短大時代、北大の軽音楽サークルのロックバンド・ジェットマシーンにリードボーカルとして参加。
キーをあわせてくれないギターのキーで歌っているうちに喉が鍛えられて高音が出るようになった。
□私生活
・好物…ピリ辛納豆。コーヒー(大好物、コロンビアが好き)。
・夕食はビールやワインなどを飲みながら2時間以上かけてゆっくり摂る。
・健康法…水泳。アクアビクス。
・放射線と抗がん剤で初期食道がんを治療(=18年4〜6月)。
・初期の乳がんで左胸の全摘手術・再建手術(=18年)。
・40歳を過ぎるまで泳げなかった。
・好きなアーティスト…スティービー・ワンダー。
・好きな音楽…ボサノバ。
・2時間ドラマが好き。各局の番組を全てチェック。
夫と一緒に犯人あてをしながら見る。
■大橋純子
□人間関係
・北島三郎…師匠。デビュー当時、北島音楽事務所に所属。
・山本譲二、松原のぶえ、小金沢昇司…北島音楽事務所の所属歌手。
・松崎しげる…昔からの友人。何度もジョイントコンサート。
・西城秀樹…西城のコンサートにゲスト出演(=97年)。
・もんたよしのり…デュエット曲「夏女ソニア」をリリース(=83年)。
・杉山清貴…デュエット曲「LOVER LUCK」をリリース(=97年)。
・佐藤健…作曲家。79年結婚。未入籍の事実婚(=01.09現在)。
北海道から上京した直後から同居。
デビュー曲「シンプル・ラブ」を作詞作曲。共同作業で曲を作る。
■大橋純子
□エピソードなど
・短大時代、ラジオ「マイティ・チッチのミッドナイトスパーク」のDJ。
北海道初の2時間ロック専門の深夜番組。
・短大時代、地元のテレビやラジオに就職活動をしたが全で不合格だった。
・上京前、ススキノのナイトクラブ歌手のアルバイト。
・歌手を志してバンドのメンバーと一緒に家出同然で上京(=71年)。
・上京当時、バンドのメンバーのアパートに居候。
・デビュー前、アクセサリーショップでアルバイト。
・デビュー前、経済的に厳しくまともに食べられない時期もあった。
・デビュー前、佐藤と一緒にバンド・スーパーマーケットを結成してボーカルを担当。
・シングル「鍵はかえして」でデビュー(=74年)。
・バンドで売れたかったのでできればソロデビューしたくなかった。
・「シンプル・ラブ」でマジョルカ世界音楽祭で3位入賞(=77年)。
・「たそがれマイ・ラブ」で日本レコード大賞金賞を受賞(=78年)。
・シングル「シルエット・ロマンス」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞(=82年)。
・ニューヨークに2年間音楽留学、ダンスのレッスンを受ける(=84年頃)。
・ニューヨークから戻ってきた時はバンドブームで演歌以外は若い人しかいないという雰囲気。
弱気になって佐藤に「籍でも入れて主婦になりましょうか」と言うと
「逃げて籍を入れるんならやめた方がいい」と言われた。
・コンサートでは自分のヒット曲のほか、ボサノバ、ハードロック、サンバ、ブギウギな
ど様々な曲を披露。ロックを歌う時は舞台の端から端まで走り回る。
・デビュー当時と同じキーで歌っている(=12.10現在)。
凡例:19.01現在=2019年1月現在