大島渚

大島渚

■大島渚(おおしま なぎさ)

 

□肩書き

 映画監督

 

□本名

 大島渚

 

□生年

 1932(昭和07)03.31(牡羊座/O型)

 

□没年

 2013(平成25)01.15(享年80)

 

□出身地

 京都府京都市

 

□出身校

 京都大学法学部卒業

 

□略歴(満年齢)

 76年(44歳)映画「愛のコリーダ」を監督。

 83年(51歳)映画「戦場のメリークリスマス」を監督。

 99年(67歳)映画「御法度」を監督。

 ※他の主な監督作品:

  「青春残酷物語」「日本の夜と霧」「日本春歌考」

 ※主な出演:

  テレビ「朝まで生テレビ」「ボキャブラ天国」

 

□趣味

 プロ野球観戦

 

□特筆事項

・妻は小山明子

■大島渚

 

□幼少時代〜

・父親は水産学者。

・父親の仕事の都合で瀬戸内を転々とした。

・小1の時、父親が他界して母親の郷里の京都に引っ越した。

・子供の頃、体が弱くて運動が苦手でよくイジメられた。

 家で父親が遺した本を読むのが好きだった。

・終戦で教師の言うことが180度変わったのを目の当たりにして権威に不信感が芽生えた。

・中学時代、草野球チーム。ポジションはライト、打順は8番。

 野球は巧くなかったがルールブックを完全に暗記して審判への抗議でチームに貢献。

・中学高校時代、よく授業中に将棋を指した。

・学制改革で突然男女共学になり、毎日女子の品定めをした。

・高校時代、成績はトップクラス、生徒会長をやっていて、女子にモテた。

・京都大学法学部に女子学生が殆ど居なかった。

・大学時代、演劇部。

・大学4年の時、京都府学連委員長として学生運動に参加。

■大島渚

 

□私生活

・酒が好き。好きな酒はビール。朝から飲む事もある。

・ロンドンの空港で出血性脳梗塞で倒れて右半身不随になった(=96年)。

 十二指腸潰瘍穿孔で寝たきりになった(=01年)。

 計約17年間要介護状態だった(在宅11年、施設6年)。

 脳出血後のリハビリで映画「御法度」を監督するまでに回復したが、

 十二指腸潰瘍穿孔で生死の境をさまよった後は完全な寝たきり(要介護5)になった。

・映画を1本作るたびに痔ろうが再発した。

・オカルトに興味関心がある。

 ノストラダムスの大予言を半分以上信じていた。

・アンチ巨人。

・宝物…鶴岡一人(元南海)から貰ったユニフォーム。

・大学時代から和服を愛用。特に好きなのは大島紬。

・住んでいる所…神奈川県藤沢市(=00.10現在)。

・中華料理屋でチャーハンにスープが付いてなかったので店員を怒鳴った事がある。

・子供の学校行事は仕事を休んで参加した。

・妻が20歳の時に知り合って5年間交際して結婚した。 

 妻の2本目の映画「新婚白書」の助監督を務めた。

 5年間に手紙を360通やりとりした(妻が全部保存)。

 「世界で通用する監督になって君をカンヌに連れて行く」と書いた手紙をあげた。

 結婚した頃の月収は1万4000円、妻の映画1本の出演料は50万円だった。

・学士会館で会費1000円の人前結婚式を挙げた。

・妻と一緒にカンヌ映画祭に5回行った。

・銀婚式をパリのレストランで祝った(フランスで映画を撮影していた)。

・妻と自分だけが入るお墓を1000万円で購入した。


■大島渚

 

□人間関係

・横山ノック…友人。若い頃からの仲。

 ノックがセクハラ問題を起こした時に相談に乗った。

・山田洋次…松竹の同期。

・藤竜也、松田英子…映画「愛のコリーダ」で本番セックスシーンを演じた。

・デビッド・ボウイ…映画「戦場のメリークリスマス」に出演。

・坂本龍一…映画「戦場のメリークリスマス」出演。

 役者としては素人なので現場で怒鳴られたらやめて帰る、と予め大島と話しあっていた。

 撮影初日、台詞はカンペが出るものだと思っていた坂本を大島は怒るに怒れず、

 「お前が駄目だから坂本が台詞を言えないんだ!」と相手役を怒鳴っていた。

・大島瑛子…妹。映画プロデューサー。

・小山明子…女優。60年結婚。

・子供:

 長男…武。

 次男…新。

 ※孫が3人いる(=00.10現在)。

 

□エピソードなど

・助監督として松竹に入社(=54年)。

 映画に興味はなく、映画監督になる気もなかったが、

 他の会社の就職試験と大学院の試験に落ちて友人に誘われて松竹の試験を受けた。

・「青春残酷物語」「太陽の墓場」がヒットして<松竹ヌーベルバーグ>の旗手と呼ばれた。

・60年安保を扱った映画「日本の夜と霧」の上映中止問題で松竹と対立して退社(=60年)。

 結婚式のスピーチは途中から松竹弾劾になり、大島自身も「最後まで闘うぞ」と叫んだ。

・独立プロ創造社を設立(=61年)。

・松竹退社後約3年間、ほとんど仕事がなかった(妻に養って貰った)。

・映画「絞死刑」の配役は脚本を俳優に読ませてどの役を演じるか入札制で決定。

・映画「愛のコリーダ」は日本初のハードコア作品。

・辛口のコメンーターとしてテレビで活躍。

・「朝まで生テレビ」で自分自身が楽しくやろうという意識からよく怒鳴った。

凡例:18.01現在=2018年1月現在