坂上二郎

坂上二郎


■坂上二郎(さかがみ じろう)

 

□肩書き

 俳優 

 

□所属コンビ

 コント55号(66年結成)

 

□本名

 坂上二郎

 

□生年

 1934(昭和09)04.16(牡羊座/AB型)

 

□没年

 2011(平成23)03.10(享年76)脳梗塞

 

□出身地

 鹿児島県鹿児島市

 

□出身校

 鹿児島市立清水中学校

 

□略歴(満年齢)

 74年(40歳)ドラマ「夜明けの刑事」出演。

 81年(47歳)舞台「マキシムから来た女」主演。

 90年(56歳)大河ドラマ「翔ぶが如く」出演。

 ※他の主な出演:

  映画「泣いてたまるか」「河童」「御法度」

  ドラマ「明日の刑事」「1年B組新八先生」「ハイカラさん」

  テレビ「コント55号のなんでそうなるの?」

  テレビ「コント55号! 裏番組をブッ飛ばせ」

      テレビ「カックラキン大放送!!」

 

□趣味

 庭の手入れ ゴルフ


■坂上二郎

 

□幼少時代〜

・母親は超潔癖症。

 来客があると靴下を脱がせて足を拭いていた。

・2歳から6歳まで満州に住んでいた。

・小学校時代、のど自慢大会に出演。

・中学時代、流行歌を歌いすぎて校長室に呼び出されて叱られたので、

 「歌手になります」と宣言してPTAの前で歌った。


■坂上二郎

 

□私生活

・好物…おにぎり。マグロ。たくあん。

・北海道出身の妻とは結婚当初は食べ物の味の好みがあわなかった。

・脳硬塞で倒れてから食べ物の好みが変わった。

 嫌いだったマグロが好物になり、辛いものが苦手になった。

・酒は焼酎を少したしなむ程度。

・健康法…水(1日2ℓ)。鼻うがい。ウォーキング(毎日夕方に1時間)。

・ゴルフのプレイ中に脳梗塞で倒れた(=03年9月)。

 同じ組にいた医師の応急処置で一命を取り留めた。

・脳硬塞の後遺症で左手に麻痺が残っている(=05.04現在)。

・アレルギー性鼻炎。ホコリが苦手。

・19:30就寝、5:00起床。

・毎朝、脳硬塞の各種リハビリをやる。

 指先の運動、豆つまみ、電話帳めくり、早口言葉、腹筋背筋、など。

・物忘れが激しい。

・掃除が好き。自宅と庭を毎朝掃除。

 舞台の楽屋、泊まったホテルの部屋も掃除。

・犬、猫が苦手。

・住んでいる所…東京都練馬区(35年在住=05.10現在)。

・いきつけ…焼肉「明洞」(成増、家族で月に1回は行く)。

・70歳からカンツォーネを習い始めた。

・リハビリを兼ねてピアノをはじめた。

・座っているのが苦手。電車に乗った時に座らない。

・22歳の時、福岡県行橋市の深夜の遊郭で初体験。


■坂上二郎

 

□人間関係

・愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、坂上二郎、玉置宏、長門裕之、

 藤村俊二、牧伸二、森山周一郎、山本文郎

 …昭和9年会。藤村がプロデュースしてファッションショーを開催。

 チャリティイベントを積極的に開催。9にちなんで救急車を寄付。

・萩本欽一…コント55号の相方。

 萩本が行き詰まって自殺を考えていた時期に坂上が誘ってコンビ結成。

 結成当初は萩本がボケで坂上がツッコミだった(全然ウケなかった)。

 プライベートでの付き合いは一切なかった(結成時の取り決め)。

・島倉千代子…島倉の専属司会者を務めた。

・片岡鶴太郎…坂上のモノマネをする。

 片岡がモノマネをした事で「飛びます飛びます」がブレイクした。

・イジリー岡田…坂上のモノマネをする。

・青木光一…付き人をやっていた。

・吉本ばなな…坂上のファン。

・寺尾誠心…主治医。命の恩人。

 寺尾と一緒にゴルフをやっている時に脳梗塞で倒れたが、

 寺尾がすぐに異常に気付いてくれて救急車を呼んで素早い治療を受けさせてくれた。

 ※「素顔が一番」に出演(=04年9月25日放送分)

・福留正人…中学時代の同級生。

 ※「ウチくる!?」に出演(=05年10月16日放送分)

・瑶子…?年結婚。

・子供:

 長男…大樹。坂上のマネージャー(=05.10現在)。

 長女…有沙美希。67年誕生。ダンサー。

 次女…亜樹。

 ※孫が3人いる(3人とも女児=05.10現在)


■坂上二郎

 

□エピソードなど

・中学卒業後、地元の丸屋百貨店に勤務。

・NHKのど自慢の鹿児島大会で優勝して歌手志望で上京。

・上京当時、和菓子屋で働いた。

・新聞紙を体に巻いて人の家の軒下で寝た事がある。

・浅草フランス座にコメディアンとして出演。

・キャバレーの司会

・コント55号が注目され出して劇場にテレビカメラが来た時、

 カメラのフレームからはみだす程に激しく動いたらやればやる程ウケた。

・コント55号の全盛時代、月に90本テレビ出演。

 渋滞にはまったクルマを降りて首都高を走って次の現場に行った。

・コント55号のコントは、事前に萩本からコントの内容を知らされず、

 ぶっつけ本番のアドリブでやる事が多かった。

 萩本が無茶な要求がどんどんエスカレートしていくのが基本パターン。

 坂上が熱演でかいていると思われていた汗は実は冷や汗だった。

・コント55号のコント総数は約1800本。

・テレビ「コント55号! 裏番組をブッ飛ばせ」は野球拳コーナーが大人気、

 大河ドラマに視聴率で勝ったが、低俗番組のレッテルを貼られて1年で終了。

・主なギャグ…「飛びます飛びます」。

・シングル「学校の先生」をリリース(30万枚のヒット=74年)。

・舞台「おれは風来坊」で長女と親子共演。

・副業…アメリカ用品店経営(妻が店長)。

・2時間ドラマに多数出演。

・坂上二郎劇団を旗揚げ(=97年)。

・10年ぶりのシングル「なぁ…友よ」をリリース(=00年)。

・妻が衣装を担当。

・著書「脳梗塞をぶっ飛ばせ。」出版(=05年)。

・舞台「富豪と、嘘と、のぞみ」で小劇場の舞台に初挑戦(=05年)。

・さだまさし作詞作曲のシングル「必殺! 人生送りバント」をリリース=05年)。

・那須お笑い学校(栃木県那須塩原市)の名誉校長に就任(=05年)。

・社会人野球チーム・鹿児島ホワイトウェーブ総監督に就任(=06年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在