倉本聰

倉本聰

■倉本聰(くらもと そう)

 

□肩書き

 脚本家

 

□所属

 ニッポン放送(59年〜63年)

 

□本名

 山谷聲

 

□生年

 1934(昭和09)12.31(山羊座/O型)

 

□出身地

 東京・代々木

 

□出身校

 豊島師範付属国民学校

 麻布中学校

 麻布高校

 東京大学文学部美学科卒業

 

□略歴(満年齢)

 77年(43歳)ドラマ「前略おふくろ様」の脚本を担当。

 81年(47歳)ドラマ「北の国から」の脚本を担当。

 86年(53歳)映画「時計 アデュー・リベール」を監督(初監督作品)。

 ※他の主な脚本担当作品:

  ドラマ「文吾捕物絵図」「2丁目3番地」「優しい時間」

 ※主な出演:

  テレビ「徹子の部屋」

      CM    「カゴメ トマトジュース」

 

□趣味

 絵画 クルマ

 

□特技

 怪談 スキー

■倉本聰

 

□幼少時代〜

・父親は出版社社長(日新書院)。

・父親は水原秋桜子門下で俳句をやっていた。

・5人きょうだい(3男2女)の次男(姉と兄は腹違い)。

・3歳まで住んでいた代々木駅前の生家と次に住んだ杉並区の家は大豪邸だった。

・両親は教育熱心だった。

・両親はクリスチャンだった。

・父親に就学前から宮沢賢治を音読させられて感想文を書かされた。

   「文章はリズム感が大事だ」と教えられた。

 父親に文章を褒められたのを母親が喜んでくれた事をきっかけに文章を書くのが好きになった。

・部屋で漫画を読んでいる時に母親が急に入ってくると勉強しているふりをした。

・父親に連れられて野山を歩いた(父親は日本野鳥の会の設立メンバーだった)。

・戦時中に岡山に縁故疎開、山形に学童疎開。

・戦後、父親の出版事業が傾いて生活が苦しくなった。

・中学時代、演劇部。

・中1の時、学童疎開体験を小説に書いた。

・高校時代、映画に熱中。

・高校時代、自分でシナリオを書いてラジオドラマを制作。

・高2の時、父が病気で他界(享年52)。

・大学浪人時代、同居していた叔母が自殺を図って血の海の中に倒れているのを発見した。

 包丁で首を突いていた。叔母は老人性鬱病だった。その部屋にはその後頻繁に幽霊が出た。

・2浪して大学に進学。

・大学時代、家庭教師のアルバイト。

・大学時代、俳優座系の劇団・仲間に入団。

 大学1年の時に初の戯曲「雲の果て」を書いた。

・大学時代、青森放送のラジオドラマを書いた(脚本第1作)。

 

□私生活

・好物…ゴーヤチャンプルー。ナマコ酢。たくあん。ラスク。

・嫌いな食べ物…オクラ。

・得意料理…牛乳納豆茶漬け(ごはんに納豆とあたためた牛乳をかけ醤油で味付け)。

・朝起きるとまずその日の夜に何を食べるか考える。

・妻が仕事の時は自分で料理をする。様々なオリジナル料理を考案。

・酒が好き。毎晩飲む。好きな酒は日本酒、焼酎、ビール、ウイスキー(ジャックダニエル)。

・タバコが大好き。マイルドラークを1日60〜80本。

・お香が好き。

・ペット…犬(アイリッシュセッター、名前はメイサ=17.03現在)。

・住んでいる所…北海道富良野市(77年に転居、土地1400坪=05.03現在)。

・富良野の冬は氷点下40度近くまで下がる。

・カラオケが嫌い。

・クリスマスにサンタの扮装をして富良野の子供の家を廻る(某ホテルの企画)。

・京都が好き。

・小説を読んでいる時に妻が部屋に入ってくると原稿を書いているふりをしてしまう。

■倉本聰

 

□人間関係

・八千草薫…友人。家族ぐるみで交流。

・高倉健…友人。

・田中邦衛、岩城滉一、竹下景子、吉岡秀隆、中嶋朋子

 …ドラマ「北の国から」シリーズ に出演。

・中嶋朋子…初監督作品「時計」で5年間中嶋を撮り続けた。

・吉岡秀隆&内田有紀…ドラマ「北の国から2002 遺言」で恋人役で共演した

 事がきっかけで結婚、倉本が仲人&プロデュースを務めた。

   ※02.12.07富良野プリンスホテルで挙式

・神津善行…麻布中学の先輩。

・安部譲二…麻布中学の2年後輩。 

・堤義明…麻布高校の同級生。時々酒を飲み、政治・経済のレクチャーを受ける。

・中島貞夫…映画監督。大学時代の親友。中島がカンニングさせてくれたおかげで卒業できた。

・山口百恵、西田ひかる…好きなタイプ。

・勝新太郎…飲み友達だった。※故人

・平木久美子…舞台女優。62年結婚。

■倉本聰

 

□エピソードなど

・大学卒業後、ニッポン放送に入社。

 母親、妹、弟を養う為に副業としてテレビドラマの脚本を書きはじめた。

 ニッポン放送の給料は大学時代に家庭教師のアルバイトで稼いでいた額の半分程度。

 会社にばれないように「倉本聰」というペンネームを作った。

・ニッポン放送時代、「倉本聰という新人ライターに会ってこい」と会社に命令され、

 3時間程時間をつぶして「会ってきたけど大した事ないやつです」と報告した。

・ラジオドラマのテープの紛失が放送前日に判明して急遽台本を数時間で新たに書いた事がある。

 水谷良重は海外旅行中、渥美清は深夜3:00からしか体があかなかったので、

 過去の放送分から水谷の無難な受け答えの台詞をピックアップして新しい台本を書き、

 渥美の台詞を録音して放送に間に合わせた。

・脚本は独学で本で勉強した。構成は橋本忍から、科白は野田高悟(叔父)から学んだ。

・初めて手がけたテレビドラマは日本テレビ「パパ、おきて頂戴」(=61年)。

・日活の歌謡映画の脚本を多数手がけた。

 ※「星のフラメンコ」「涙になりたい」「学園広場」など

・石原裕次郎のテレビ初出演番組「今晩は、裕次郎です」の台本を手がけた。

・本読み立ち会いと演出への口出しを拒否されて大河ドラマ「勝海州」を途中降板(=74年)。

・大河ドラマ降番後、家族を東京に残して札幌に逃亡、

 前払いの脚本料を返却したら貯金が7万円しかなくなり、

   脚本家を諦めてトラックの運転手をやろうと思っていた所に他の仕事の依頼が入った。

・富良野に転居した最初の冬、重い鬱病に見舞われて何度も自殺を考えた。

・私財3000万円を投入して脚本家と俳優を養成する富良野塾を創設(=84年)。

 入塾料・受講料などは一切無料。塾生たちは農家で働いて生活費を稼ぐ。

 住居・けいこ場など全て塾生自身の手作り。※[83年創設]とする媒体もある

・ドラマ「北の国から」の脚本が中学校の国語の教科書に使われた(=93年)。

・毎日夕方に2〜3時間シナリオを執筆する。

・シナリオを書く時に登場人物の履歴を作る。

・シナリオを人に言われて直すのが嫌いなので自分で何度も直す。

 大箱、中箱、子箱、シナリオと段階を踏んで書く。

・俳優の普段の口癖をシナリオに取り入れる。

・「シナリオライターはまず最初に要求通りに書ける技術を身につける必要がある。

 作家性を出すのは技術を完全に体得してから」と思っている。

・必ず本読みに立会って何度もダメ出しをする。

 台詞の語尾に「あいまい」「断定」の意味を込めているので語尾を変えられとダメ出しする。

・手書きの横書きで原稿を書く。 

 「激昂するセリフ」は紙5枚に跡がつくくらいの筆圧で書く。

・シナリオが行き詰まった時は酒を飲んで寝る。

・シナリオ集が中国の大学の日本語研究の教材として使われた。

・CCC(自然文化創造会)議長を務めた。

・自宅を「いつみても波瀾万丈」で公開(=05年3月6日放送分)。

・北海道・富良野に自然林を復活させる環境事業「富良野自然塾」を発足(=05年)

   閉鎖されたゴルフコースに15万本の苗木を植樹。

凡例:17.01現在=2017年1月現在