九重佑三子

九重佑三子

■九重佑三子(ここのえ ゆみこ)

 

□肩書き

 歌手 女優 

 

□所属グループ

 ダニー飯田とパラダイスキング

 

□本名(旧姓)

 安藤裕子

 

□生年

 1946(昭和21)03.21(牡羊座/A型)

 

□出身地

 東京都台東区上野 

 

□出身校

 私立十文字中学校

 私立十文字高校中退

 

□略歴(満年齢)

 63年(17歳)ダニー飯田とパラダイスキングとして「シェリー」で歌手デビュー。

 65年(19歳)映画「姿三四郎」出演。

 67年(21歳)ドラマ「コメットさん」主演。紅白歌合戦紅組司会。

 ※他の主な出演:

  ドラマ「若い季節」「三匹の侍」「銭形平次」

  テレビ「夢であいましょう」「題名のない音楽会」「午後は○○おもいッきりテレビ」

  CM  「ロッテチョコレート」「リベレステ」「アサヒ緑健 緑効青汁」

 ※ダニー飯田とパラダイスキング時代の他の主な楽曲:

  「恋はやせがまん」「ヘイ・ポーラ」「ミスターベースマン」

 

□特技

 書道

 

□サイズ

 163㎝

 

□特記事項

・夫は田辺靖雄

・長男は田辺晋太郎 


■九重佑三子

 

□幼少時代〜

・実家は日本有数の書道塾「日本書道院」(銀座、父親は二代目)。

・産まれた時に呼吸をしておらず、産婆に「死産です」と言われたが、

 父親が背中を叩いて「気」を入れて泣き出して命が繋がった。

・姉が2人いる。

・下町育ち。

・日常の挨拶などの親の躾が厳しかった。

・小学校時代、書道、柔道、剣道を習っていた。

・小学校時代、中古で買ったニール・セダカのレコードを繰り返し聴いた。

・小6の時、書道で東京都知事賞を受賞。

・中学〜高校時代、体操部。

 地区大会で上位入賞。

 将来体操の先生になりたいと思っていた。

・高2の時、体操の練習中に平均台から落下して背骨を脱臼、

   「一生腰から下のギブスをする必要がある」と診断されたが東洋医学を頼って治した。

 

□私生活

・基本的に自分が食べたいモノを自分で作る。

 夫に「食べたい」と言われるとわけてあげる。

・健康法…しそジュース。

・ドラマ「コメットさん」出演中に高校時代に痛めた腰が悪化して緊急入院。

・洗濯が大好き。

・夫と長男は料理が得意。

・ダニー飯田の紹介で夫と知り合った。

 「夢であいましょう」「ザ・ヒットパレード」など多数の番組で共演、

 多い時は週に5日仕事で顔を合わせた。

 田辺の家のお手伝いさんが作ってくれた2人分の弁当を化粧部屋で一緒に食べた。

 「夢であいましょう」の生放送終了後に毎回田辺がクルマで自宅に送ってくれた。

・新婚旅行で行ったハワイを銀婚式の記念に再訪した。


■九重佑三子

 

□人間関係

・森繁久彌…仲人。

 10代の頃に「お前たちが結婚する時は俺が仲人をしてやる」と言われていたのが実現。

・加山雄三…映画「姿三四郎」で共演(相手役)。

・田辺靖雄…歌手。73.01.20挙式。

・子供:

 長男…田辺晋太郎。78年誕生。音楽プロデューサー、作曲家。

 

□エピソードなど

・姉の友人に頼まれてダニー飯田後援会発足パーティーの手伝いをした時に

 「君は変った声をしてるね」と言われてスカウトされた。

・デビュー当時、痛めた腰の影響でワンステージごとに楽屋で休憩、

 事情を知らない人に「新人の癖に」と嫌味を言われた。

・デビュー当時、ダニー飯田にメンバー以外との男性との接触を禁じられていた。

・若い頃は生意気だったらしい。

・紅白歌合戦紅組司会を史上最年少で務めた(=67年)。

・イメージチェンジの為に目の美容整形手術を受けた(=70年頃?)。

 ※瞼が開かなくなる病気が原因という説がある

・男性遍歴を告白する雑誌記事で全てのレギュラーを降番させられた(=70年)。

 ※「週刊ポスト」70.10.09号

 ※マネージャーの陰謀による捏造記事だったという説がある

・長男出産後約10年間芸能活動を休止。

・夫婦デュエット曲「男と女のラブゲーム」をリリース(=87年)。

・夫婦で毎年「ハートフルコンサート」を開催(=87年〜96年)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在