久保田利伸

久保田利伸


■久保田利伸(くぼた としのぶ)

 

□肩書き

 歌手

 

□本名

 久保田利伸

 

□別名

 TOSHI KUBOTA

 

□生年

 1962(昭和37)07.24(獅子座/O型)

 

□出身地

 静岡県蒲原町

 

□出身校

 静岡県立静岡商業高校

 駒沢大学経済学部卒業

 

□略歴(満年齢)

 86年(24歳)「失意のダウンタウン」でデビュー。

 95年(33歳)TOSHI KUBOTAの名前で「Funk it up」で全米デビュー。

 96年(34歳)「LA・LA・LA LOVE SONG」がヒット。

 ※他の主なシングル:

  「TIMEシャワーに射たれて」「流星のサドル」「Missing」

 

□趣味

 ステッキマジック

 

□サイズ

 170㎝ 59㎏


■久保田利伸


□幼少時代〜

・実家は先祖代々の八百屋。

・父親はパチプロだった。

・姉が2人いる。

・幼稚園時代、ヒトミさんに初恋。

・子供の頃から外交的でお調子者だった。家にお客さんが来るとスカートをはいて笑わせた。

・子供の頃から歌う事が大好きだった。町内ののど自慢大会で優勝。

・店で売っているお菓子やアイスやジュースが食べ放題だった。

・小学校時代、父親に言われて店番やを配達を手伝った。

・小学校低学年の頃、ガキ大将にイジメられた。

・小学校時代、ターザンのモノマネをするのが好きだった。

・中学時代、スティービー・ワンダーのグラミー賞受賞をテレビで見て感銘を受けた。

・中学〜高校時代、野球部。

 高校の時は本気で甲子園を目指していたがレギュラーになれなくて2年の夏にやめた。

・大学時代、風呂無しの部屋に住んでいた。

・大学時代、ロック研究会。

 バンド・ホッテントットを結成してブラック系の曲を演奏。

 合宿のコンパで裸踊りを披露した。

・大学時代、駒沢公園で真っ黒に日焼けして髪型をアフロにしていた。

・大学時代、ディスコに通っていた。

・歌手かプロ野球選手かお笑いタレント(ドリフのメンバー)になりたいと思っていた。 

■久保田利伸

 

□私生活

・好物…茶碗蒸し。生姜。

・嫌いな食べ物…セロリ(子供の頃は八百屋に売ってなかった)。

 春菊。パクチー。

・酒が好き。好きな酒は日本酒。

 飲む時はとことん飲む。

・健康法…玄米(レコーディングスタジオに炊飯器を持ち込む)。

・自宅でスーツケースにぶつけて右足薬指を骨折(=01年)。

・メニエール病でコンサートを中止(=06年)。

・体重が20代後半から20年間変わらない(約68㎏=10.02現在)。

・好きな作家…山田詠美。

・好きな映画…「極道の妻シリーズ」。

・耳の位置と大きさが左右違う。

・忘れ物が多い。大事なモノを全部入れたバッグを落とした事が何度もある。

 落とさないように財布を使わず現金やカードをそのままポケットに入れて持ち歩く。

・歯医者が大嫌い。虫歯の痛みをできるだけ我慢する。

・ウィンタースポーツはファンキーじゃないので嫌い。

・住んでいる所…アメリカ・ニューヨーク(=14.02現在)。

・ニューヨークでゲイの人達が集まる区画にあるアパートに1年間住んでいた。

 隣に住んでいた男性から口説かれそうになった。

・ニューヨークにスタジオを持っている。

・日本とアメリカの活動の度合いは半々(=14.02現在)。

・ニューヨークでメキシコ人と思われた事がある。

・ニューヨークでブラッド・ピッド、メグ・ライアンに遭遇した事がある。

・日本ハムファイターズのファン。

・盆踊りを見ると泣けてくる。

・父親はとてもファンキー。


■久保田利伸

 

□人間関係

・ブラザートム…友人。デビュー前からの仲。お互いのツアーにゲスト出演。

・マギー司郎…友人。マジックを教えて貰った事がある。

・松岡直也…大学時代に松岡のアルバムにゲストボーカルとして参加。

・広瀬哲朗(プロ野球選手)…中学校の野球部の2年先輩。

 中学時代に広瀬の交換日記の手渡し役をやっていた。

 CM「日本ハム チキチキボーン」で共演(=94年)。

・伊藤高史…「電波少年」のヒッチハイクに際して伊藤にラルフローレンのマフラーをプレゼント。

・田原俊彦…ヒットチャート1位を獲得したシングル「華麗な賭け」など数曲を作曲。

・平井堅…平井の6thシングル「Heat up」のコーラスアレンジを担当、コーラスに参加。

・小泉今日子…曲を提供。

・中山エミリ…中山のデビュー曲「Private EYES」を作曲(=96年)。

・吉野紗香…吉野のデビュー曲「こんな気持ち ハリハリヘリヘリ〜」をプロデュース(=98年)。

・安室奈美恵…ボイストレーナーが同じ(亀渕友香)。

・西田ひかる…昔から久保田の大ファン。西田からアプローチされてシングルを作曲。

・松本明子…若い頃から久保田の大ファン。久保田の自宅の留守電に何度もメッセージを残した。

・高樹沙耶、森高千里、中村由真…久保田のファン。

・山下達郎…デビュー当時、売れる事とマニアックな受け方を同時に達成したくて、

   山下のようなあり方を目標にしていた。

・ナオミ・キャンベル…デュエット曲「LA・LA・LA LOVE SONG」をリリース。

 ニューヨークで同じアパートに住んでいてエレベーターの中で話し掛けられて仲良くなった。

   交際を噂された。

・少年隊…歌手デビュー同期生。

・妻…外資系企業勤務。04年入籍。ニューヨークで知り合った。

・子供:

 長男…04.12.24誕生。

■久保田利伸

 

□エピソードなど

・若い頃、アフロヘアとサーファーカットを交互にしていた。

・歌手になる事を両親に打ち明けた時に、父親に大賛成され、母親に泣いて反対された。

・歌手デビュー前から作曲家として活動。

・デビュー当時、後に久保田の代名詞となるFUNKYという言葉は市民権を得ておらず、

 ロック系アーチストという枠にも入れず、「歌のうまい風変わりなアイドル」として扱われた。

・アルバム「Such A Funky Thang!」がミリオンセラー(=88年)。

・93年に活動の拠点をニューヨークに移した。

 全米デビューの為に自分でデモテープを持って地道にプロデューサーに営業をした。

・TOSHI KUBOTA名義でシングル「FUNK IT UP」で全米デビュー(=95年)。

・常に冷静に見守っているもうひとりの自分がいる。

・短い時間で作曲した曲にヒット曲が多い。

 「Missing」は三鷹の狭いアパートのコタツでギター片手にあっという間にできた。

・「LA・LA・LA LOVE SONG」が200万のヒット(=96年)。

 サビ部分は歌詞が浮かばないので仕方なく〈LA・LA・LA LOVE SONG〉にした。

・「千代田線の赤坂見附駅のホームで久保田からプロポーズされた」と主張する女性に

 9年間つきまとわれている(=02.01現在)。※千代田線には赤坂見附駅は存在しない

・ニューヨークでマイケル・ジャクソンと同じスタジオを使っていた。

・アメリカ南部で2000人の黒人の観客の前でライブをやった事がある。

・ライブや友人の結婚式で即興で歌を作って歌う。

・緊張してよく歌詞を忘れる。

凡例:17.01現在=2017年1月現在