三波春夫

三波春夫


■三波春夫(みなみ はるお)

 

□肩書き

 歌手

 

□本名

 北詰文司

 

□旧芸名

 南條文吉

 

□生年

 1923(大正12)07.19(蟹座/B型)

 

□没年

 2001(平成13)04.14(享年77)前立腺がん

 

□出身地

 新潟県三島郡越路町

 

□略歴(満年齢)

 57年(34歳)三波春夫に改名して「メノコ船頭さん」でレコードデビュー。

 58年(35歳)紅白歌合戦初出場(→86年まで29回連続出場)。

 63年(40歳)「東京五輪音頭」がヒット。

 ※他の主なシングル:

  「チャンチキおけさ」「大利根無情」「世界の国からこんにちは」

 

□趣味

 読書 歴史研究

 

□特記事項

・長男は三波豊和


■三波春夫

 

□幼少時代〜

・実家は書店&印刷会社経営。

・父親は近所の人の手紙の代筆をする村一番のインテリだった。

・7歳の時、母親がチフスで病没。

・13歳の時、父親の事業が失敗して一家で上京。

 親戚のツテを頼って米屋の店員、製麺工場、魚河岸などで働いた。

 

□私生活

・声の為に酒も煙草もやらない。

・好きな本…時代小説。

・宝物…結婚が決まった時に妻が結納金に自分の貯金を足して買ってくれた三味線。

・妻は芸人の家庭に生まれ育って芸事百般を修業していた。

 

□人間関係

・電気グルーブ…ジョイントライブを行った(= .07.23)。

・ゆき…52年結婚。三波プロダクション社長。

・子供:

 長男…三波豊和。1955.08.10誕生。俳優。


■三波春夫

 

□エピソードなど

・南條文吉の名前で浪曲師としてデビュー(=41年)。

・21歳の時、徴兵されて関東軍の一員として旧満州に渡る。

 戦闘で敵の兵士も味方の兵士も死んで行くのを目のあたりにした。

・終戦後、ソ連軍の捕虜として4年間拘留。

 ハバロフスクにアパートを建てる為の穴ほり作業をした。

 収容所で慰問の為に唱っていた。

・収容所で共産主義教育を受けて、帰国後に共産主義的な浪曲を歌った。

・「チャンチキおけさ」「船方さんよ」「雪の渡り鳥」と3曲連続ヒット、

 3年間ボーナスが出なかったテイチクレコードでボーナスが出た。

・トレードマークのハデな衣装を数百着ストック(妻がプロデュース)。

・58年から東京歌舞伎座で毎年公演。。

・「東京五輪音頭」は戦後初のミリオンセラー(150万枚)。

・「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」のヒットで「国民的歌手」と呼ばれるようになった。

・「お客さまは神様です」の名台詞を残した。

・アニメ映画「ルパン三世 ルパンvs複製人間」のエンディングテーマ「ルパン音頭」をリリース(=78年)。

・ヒット曲をハウスやラップにリアレンジしたアルバム「HARUO IN DANCE BEAT」をリリース(=92年)。

・ラップと浪曲は共通する部分が非常に多くあると感じた。

・25周年記念リサイタル「放浪芸の天地」で芸術祭優秀賞(=86年)。

・紫綬褒章を授章(=86年)。

・著書…「聖徳太子憲法は生きている」。

凡例:18.01現在=2018年1月現在