ファイティング原田

ファイティング原田


■ファイティング原田(ふぁいてぃんぐ はらだ)

 

□肩書き

 プロボクサー(70年引退) 

 日本ボクシング協会会長

 

□本名

 原田政彦

 

□生年

 1943(昭和18)04.05(牡羊座/AB型)

 

□出身地

 東京都世田谷区

 

□出身校

 東深沢小学校

 世田谷区立深沢中学校

 

□略歴(満年齢)

 60年(17歳)プロデビュー。

 62年(19歳)WBA世界フライ級タイトルを獲得(当時の世界フライ級史上最年少)。

 65年(22歳)WBA世界バンタム級タイトルを獲得(→4回防衛)。

 ※通算成績:

      62戦55勝(22KO)7敗

 ※主な出演:

  テレビ「ちい散歩」「ダイナミックグローブ」

 

□趣味

 ゴルフ

 

□サイズ

 163㎝

 

□特記事項

・日本人初の2階級制覇


■ファイティング原田

 

□幼少時代〜

・父親は植木職人。

・6人兄弟の次男。

・家は貧乏だった。6畳の部屋に家族全員で寝ていた。

・子供の頃、電話工事現場で電線を拾って廃品回収でこづかいを稼いだ。

・小学校時代、いたずらをしてよく廊下に立たされた。

・小学校時代、自分より体が大きい上級生とよくケンカした。

 相手が「まいった」と言うまで何度やられても諦めずに向かって行った。

・中学時代、野球部。

・中学時代、米屋でアルバイト。

 重たい米俵をかついで自然に足腰が鍛えられた。

 

□私生活

・酒は全然飲めない。

・現役時代に減量に苦しんだせいで食べ物を粗末にできない。

・脳内出血で入院(=05年)。

・若い頃は一切家事をしなかった(年齢を経て少しづつするようになった)。

・住んでいる所…東京都世田谷区(一戸建て=97.12現在)。

・現役時代に将来の為にマンションを建てたが管理をまかせていた人に金を着服された。

・頼まれると簡単に金を貸していたので現役引退時に貯金が全くなかった。

・大の負けず嫌い。

・几帳面な性格。

・寂しがり屋。電話が大好き。

・現役時代、酒、タバコ、女を一切やらなかった。

 初体験は現役引退後の28歳。

 引退直後の1年間は10年分を取り戻そうとたくさん遊んだ。

・家庭を持つと練習中に気が散りそうな気がしたので引退後に結婚した。

・日曜日の夜に家族で外食する。

・新婚当初は些細な事でよく夫婦喧嘩をした。


■ファイティング原田

 

□人間関係

・青木勝利、海老原博幸、ファイティング原田…3人で「フライ級三羽烏」と呼ばれた。

・市原隼人…ドラマ「ファイティング原田物語」で原田の役を演じた。

・たこ八郎…笹崎ジムの同期生。※故人

・イヨ…元ミス着物。72年明治神宮で挙式。

 後楽園ホールのリングでの披露宴は「世紀のタイトルマッチ」と称して、

 チャンピオンが新婦、挑戦者が新郎という設定で15ラウンド制で行われた。

 ミス着物の契約が切れて田舎に帰ると言った時に「東京にいれば?」とプロポーズした。

・子供:

 長男…73年誕生。ファイティング原田ジムのスタッフ(=97年現在)。

 次男…76年誕生。イタリア料理のコック(=97年現在)。


■ファイティング原田

 

□エピソードなど

・中3の時、父親が仕事中に木から転落して怪我をして働けなくなり、

 家計を助ける為にプロボクサーになる事を決意して笹崎ジムに入門。

・父親に「男の成功は、勉強して学者になるか、大金をつかむか、努力して栄光をつかむか、

 その3つのどれかだ」と言われ、3番目の道を選んだ。

・中学卒業後、ジムの合宿所に入った。

・年齢をごまかして16歳10ヵ月でプロデビュー。

 ※本来は17歳にならないとプロデビューできない

・スタイルは右ファイター。

 開始のゴングが鳴ると同時にラッシュをかけひたすら連打。

・デビューから25戦連続勝利。

・世界初挑戦の世界フライ級タイトルマッチは、序盤から手数で圧倒、

 コーナーにくぎ付けにして計80発ものパンチを浴びせて11回KO勝利。

・日本人2人目の世界チャンピオン。

・51戦無敗で「黄金のバンタム」と呼ばれたエデル・ジョフレを破って2階級制覇。

 この試合は日本ボクシング史上に残る好勝負と言われている。

・世界フェザー級タイトル戦(3階級制覇)に2回失敗して現役を引退(=70年)。

 対戦相手は2戦ともジョニー・ファメション。

・シドニーで開催された1戦目、原田は1回ダウン相手は3回ダウンも判定負け。

 採点はレフェリー1人、採点表に何度も書き直しの形跡、休憩時間の長さがマチマチ、

 相手の3回目のダウンのカウント開始が遅く最後はレフェリーが体を支えていた、

 などの問題で試合結果に関してモメた。

・半年後に東京で行われたリターンマッチで14回KOで完敗、3週間後に引退表明。

・太りやすい体質だったので減量には常に苦労。

 減量で気が荒くなって会長と殴り合いのケンカになった事があった。

 減量中は水を飲めないように水道の元栓を締められていて、

 トイレの水を飲もうとした事があった(そのエピソードは「あしたのジョー」に使われた)。

・ファイティング原田ジムを開設(=71年)。

・テレビ番組の司会をやった事がある。

・自身の一代記の舞台に本人役で出演。

・過去20年間に活躍したベストチャンピオンとしてWBCに表彰された(=83年)。

・日本人として初めて国際ボクシング殿堂入り(=95年)。

・原田ジムに100人以上の練習生がいる(=00年現在)。

・ケンカ自慢で大口を叩く若者の殆どはボクシングをやらせると弱い。

凡例:19.01現在=2019年1月現在