アントニオ猪木

アントニオ猪木


■アントニオ猪木(あんとにお いのき)

 

□肩書き

 プロレスラー(98年引退)

 政治家

 

□本名

 猪木寛至

 

□生年

 1943(昭和18)02.20(魚座/AB型)

 

□出身地

 神奈川県横浜市鶴見区生麦町1687番地(当時)

 

□出身校

 横浜市立東台小学校

 横浜市立寺尾中学校中退

 

□略歴

 72年(29歳)新日本プロレスを旗揚げ。

 76年(33歳)格闘技世界一決定戦でモハメド・アリと対戦(引き分け)。

   89年(46歳)スポーツ平和党から参院選に出馬して当選。

 ※主な出演:

  映画 「がんばれ!ベアーズ大旋風」「激突!格闘技 四角いジャングル」「ACACIA」

  ドラマ「チャンピオン太」「プロレスの星 アステカイザー」

  テレビ「プラチナチケット」「火曜曲!」「佐々木夫妻の仁義なき戦い」

  CM    「久光製薬・エアーサロンパスEX」「サントリー・BOSS」

 

□趣味

 旅行 ワイン 写真 

 

□特技

 ビールの早飲み(大ジョッキ2秒)

 

□サイズ

 190㎝

 

□特記事項

・元妻は倍賞美津子

・燃える闘魂


■アントニオ猪木

 

□幼少時代〜

・父親は内務省退官後に祖父の事業であった石炭商を継いだ。

・11人兄弟の下から2番目(六男)。

・5歳の時、自由党に入党して横浜市会議員に立候補した父親が選挙中に急死。

   葬儀に時の総理大臣だった吉田茂氏も焼香に訪れた。

・父親の他界後に母方の祖父の家に預けられた。

 祖父に「男は嘘をつくな」「弱い者をイジメるな」「体を鍛えろ」とよく言われた。

 祖父は熊本の相良藩主の末裔。

 祖父は金山を所有して米相場で莫大な財産を得た、スケールの大きい人だった。

・祖父の家で毎朝廊下の掃除、薪割り、風呂の水汲みをした。

 終わるまで学校に行かせて貰えなかった。

・小学校入学時は平均以下だったが小5の時には全校で1番身長が大きくなった。

・小学校時代、温厚な性格で動作が緩慢だったので兄たちから「ドンカン」と呼ばれていた。

・小学校時代、女子をイジメた男の子をやっつけた。

・小学校時代、走るのが遅かった。仲間と一緒にスイカ泥棒をすると自分だけ捕まった。

・中学入学時の身長は180㎝。

・中学時代、誘われてバスケット部に入部するが、上級生のしごきに反発してケンカして退部。

・中学時代、陸上部。砲丸投げをやっていた。

 校庭から見える富士山を目掛けて投げていた。中2の時に横浜市の中学陸上大会で優勝。

・中学時代、大相撲からスカウトされた。

・中学時代、隣に住んでいたテレビ技師がが自作したテレビでプロレス中継を見た。

 ※一般庶民は街頭テレビを見ていた時代

・中2の時、兄・寿一の強い希望で一家でブラジルへ移住。

   渡航中に祖父がバナナにあたって腸閉塞を起こして他界。

・ブラジル時代、コーヒー園で朝5:00から夕方17:00まで奴隷のように働かされた。

 あてがわれた宿舎は電気も水道もトイレもない部屋でしょっちゅうサソリや毒蛇が出た。

 過酷な環境と労働で自然に体が強くなった。

・ブラジル時代、陸上の円盤投げと砲丸投げをやっていた。

 16歳の時には全ブラジル陸上選手権ジュニア部門の円盤投げで大会新記録で優勝。

 オリンピックを目指していた。

・ブラジル時代、暇があるとジャングルを探検していた。

・ブラジル時代、セックスやオナニーに関する知識が皆無だった(よく夢精していた)。

■アントニオ猪木

 

□私生活

・好物…そば。ふぐ刺し。テールシチュー。シュラスコ。

   納豆(3パックを一度に食べる)。果物。

 イタリア料理。甘いもの。辛いもの。

・嫌いな食べ物…卵(ブラジル時代に食べ過ぎた為)。

・得意料理…タラコスパゲティ。タコのマリネ。きんぴらごぼう。

・熱いごはんにシラスと海苔をかけて食べるのが大好き。

・どんぶり飯12杯とステーキ2㎏を食べた事がある。

・好きな酒はワイン。1本500万円のロマノコンティを飲んだ事がある。

・ビールの大ジョッキを2秒で飲める。

・葉巻が好き。本場キューバまで購入に行った事がある。

・健康法…水風呂に入る。サプリメント(マグネシウム)。

・急性胆嚢炎、胆管炎、胆嚢結石症の手術を受けた(=11年)。

 腹痛と背中の張りで緊急搬送された。一時は体中に黄疸が出てショック死寸前だった。

・朝はだいたい日の出とともに起きる。

・ブラジルのサッカーを観るのが好き。

・家でパンツ一枚で過ごす事が多い。

・豹を飼った事がある。

・ライオンを飼った事がある(1週間でギブアップ)。

・アメリカ・ニューヨークに住んでいた。アメリカ永住権を所有。

・アメリカ・サンタモニカに道場を持っていた。

・いきつけ…「手打蕎麦 かわしま」(渋谷区)。

・パラオとキューバに無人島を所有。パラオの島は国王からプレゼントされた。

 パラオに年に数回行く。パラオでサンゴの養殖に挑戦した。

・駄洒落が好き。

・17歳の時、熊本の遊び場で玄人女性を相手にセックスを初体験。

 地方巡業の時に同僚レスラーの大木金太郎が連れて行ってくれた。


■アントニオ猪木

 

□人間関係

・モハメド・アリ…親友。異種格闘技で対戦して引き分け。

・力動山…ブラジルに来ていた力動山にスカウトされて日本プロレスに入った。

   新人時代に3年間付き人をやっていた。人前で靴べらで何度も殴られた。※63.12.15他界

・大木金太郎…デビュー戦の相手(7分6秒、逆腕固めで敗れる=60.09.30)。

・ジャイアント馬場…日本プロレスの同期。ライバル。

 日本プロレス時代にタッグを組んで「B・I 砲」と呼ばれた。

   日本プロレス時代の対戦成績は猪木の0勝16敗。

   若い頃は仲が良かった。一杯のラーメンを分け合って食べた。※99.01.31他界

・佐山聡…元新日本プロレス。元初代タイガーマスク。「世界格闘技連盟」にコーチで参加。

・藤原喜明、前田日明、長州力、藤波辰爾、高田延彦、船木誠勝、桜庭和志、蝶野正洋

 …新日本プロレス所属の主なレスラー。藤原、前田、蝶野は猪木の付き人を務めた。

・小川直也…プロレス転向後に猪木に師事。「世界格闘技連盟」のエース。

・カール・ゴッチ…関節技の師匠。新日本プロレス旗揚げ戦で対戦してフォール負け。

・タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、

 アンドレ・ザ・ジャイアント、ブルーザー・ブロディ…現役時代のライバルレスラー。

・ウイリエム・ルスカ…柔道のミュンヘン五輪金メダリスト。

 初の異種格闘技戦でバックドロップ3連発でKO勝利(=76年)。※故人

・ウィリー・ウィリアムス…極真空手家。「熊殺し」の異名を取っていた。

 異種格闘技戦で対戦して引き分け。

・ショータ・チョチョシビリ…異種格闘技戦で初の黒星を喫した相手(=89年)。

・ドン・フライ…国内ラストマッチの対戦相手(グランドコブラで勝利)。

・角田信朗…猪木の国内ラストマッチの公開スパーリングの相手役(=98年)。

・河内家菊水丸…イラクでの「平和の祭典」に一緒に出席(=90年)。

・広田三枝子…猪木がコンサートをプロデュース。

・古舘伊知郎…プロレス実況で独特なフレーズを連発。

・舟橋慶一…テレビ朝日アナウンサー。

 猪木の代名詞となったキャッチフレーズ「燃える闘魂」の産みの親。

・井手らっきょ、寺門ジモン、春一番、柳沢慎吾、山寺宏一、小向美奈子

 …猪木のモノマネができる。

・長嶋茂雄、志村けん…誕生日が同じ(2月20日)。

・浅草キッド…猪木の大ファン。猪木の自伝本を只で配る「布教活動」を行っている。

・有田哲平…猪木のファン。若い頃から何試合も会場で応援。

・石田靖…猪木に憧れてプロレスラーになりたいと思っていた。

・石橋貴明…猪木のファン。猪木のモノマネができる。

・上田晋也…猪木のファン。

 高校時代にプロレス会場で猪木が投げた赤いタオルをキャッチ(家宝にしている)。

・大久保ノブオ(ポカスカジャン)…猪木のファン。猪木のモノマネができる。

・坂口憲二…猪木の大ファン。引退試合を観戦して泣いた。

 猪木詩集の「行けば分かるさ」を座右の銘にしている。

・滝沢秀明…子供の頃から猪木の大ファン。

   スペシャルエキジビジョンマッチで対戦(=00年)。

・長谷川初範…猪木のファン。猪木入場のテーマ曲を聞くと泣ける。

・原田龍二…子供の頃から猪木の大ファン。

   猪木詩集の「行けば分かるさ」を座右の銘にしている。

・パンツェッタ・ジローラモ…子供の頃から猪木の大ファン。

・肥後克広…猪木の大ファン。自称・猪木信者。猪木グッズを多数所有。闘魂ビンタを経 験。

・三村マサカズ…猪木の大ファン。試合を何度も観戦。

 試合場で消火器の上に立って観て猪木から直接注意された(とても嬉しかった)。

・森本レオ…猪木のファン。猪木から学んだ「受けて倍返し」を演技の信条にしている。

・金子貴俊、桑田佳祐、勝俣州和、勝村政信、北野誠、酒井敏也、田村亮(俳優)、

 テリー伊藤、中山秀征、原田泰造、森本レオ…猪木のファン。

・ダイアナ・タック…アメリカ武者修業時代に知り合った。未入籍のまま事実上の夫婦生活。

 日本に呼び寄せたが猪木の浮気に怒ってアメリカに帰ってしった。

   娘の文子は8歳の時に病没。

・倍賞美津子…女優。71.11.02結婚。87.10.02離婚。

・戸倉尚美…89年6月入籍、91.01マイアミで洋上結婚式、?年離婚。22歳年下。

 飛行機で隣合わせたのがきっかけで知り合った。猪木が多忙の為に挙式の計画が7回流れた。

・妻…17.02.22入籍。

・子供:

 長女…寛子。※離婚後倍賞が引き取った

 長男…一成(かずなり)。90.03.01誕生。

 ※孫がふたりいる(=10.12現在)

■アントニオ猪木

 

□プロレスのエピソードなど

・力道山にスカウトされて日本プロレスに入る(=60年)。

・リングネーム「アントニオ」の由来(2説)…

 力道山が往年の名レスラー「アントニオ・ロッカ」にちなんでつけた。

 ブラジル帰りの日系二世として売り出すためにブラジルで最もポピュラーな名前をつけた。

・64年から約2年間アメリカに武者修業。

 「トーキョー・トム」「トーキョー・ジョー」などのリングネームでリングに立った。

 試合のギャラのほとんどをギャンブルで使った。

・東京プロレスを旗揚げ(=66年)。

・新日本プロレスを旗揚げ(=72年)。

 旗揚げ当時、朝6:00から夜12:00まで飛び込み営業でチケット販売で練習する暇がなかった。

・カール・ゴッチに勝利して「実力世界一」のベルトを獲得(=72年)。

・初の異種格闘技戦で柔道王ルスカに勝利(=74年)。

・得意技は卍固め、延髄斬り。

・全日本プロレスからブッチャー、ハンセン、シンを新日本プロレスに引き抜いた。

・モハメド・アリ戦は、契約ルールでプロレスの技がほとんど使えなかった。

・パキスタンのカラチで同国の英雄アクラム・ペールワンに勝利(=76年)。

 関節を決めても相手がギブアップしなかったので、腕を折って目を潰して戦闘不能にした。

・試合前に限界まで息を止めるという独自の呼吸法でコンディションを整える。

 空気の薄いメキシコの高地での試合前に息を止め過ぎて失神してしまった。

・応援されて気合が入ってロードワークで遠くまで走り過ぎてタクシーで帰ってきた事がある。

・入場曲「炎のファイター(イノキ・ボンバイエ)」の「ファイト」というかけ声は猪木の声。

 原曲はモハメド・アリからプレゼントされた曲。

 77年に発売されたシングルのB面は倍賞美津子が歌う歌詞バージョン。

・IWGP優勝戦でハルク・ホーガンに失神KO負け(=83年)。

・アンドレ・ザ・ジャイアントから世界初のギブアップを奪う(=86年)。

・マサ斉藤と厳流島で観客なしで決闘してTKO勝ち(試合時間は2時間以上=87年)。

・ビートたけしがビッグバンベイダーを伴って両国国技館のマットに登場(=87年)。

・長州力に負けて「一から出直し」を宣言して第1試合に登場(=89年)。

・観客と一緒に「1、2、3、ダーッ!」と拳をつきあげるパフォーマンスが一世を風靡。

 以前は試合後に勝利の雄叫びとしてひとりで勝手にやっていた。

 観客と一緒に初めてやったのは90年頃。

・「元気ですかーっ!」の第一声でマイクパフォーマンス。

・中国初のプロレス大会に出場(=90年)。

・国内ラストマッチに勝利(東京ドーム史上最多の7万人の観客動員=98年)。

・世界格闘技連盟(UFO)を旗揚げ(=98年)。

・世界格闘技連盟の本部はロサンゼルス、道場はミネアポリスにある。

・大晦日の格闘技イベント「INOKI BOM-BA-YE(猪木祭り)」をプロデュース。

 リング上でファン108人にビンタパフォーマンス(=00年)。

■アントニオ猪木

 

□その他のエピソードなど

・池上本門寺の仁王像のモデルになった(=77年)。

・映画「少年チャンピオン物語 チャンピオン太」に死神酋長アントニオ役で出演。

・映画「がんばれ!ベアーズ大旋風」にアントニオ猪木本人役で出演。

・ブラジルに設立した飼料会社(アントンハイセル)で莫大な借金を抱えた。

 自殺を考えた時期があった。

 他に、タバスコ輸入代理業、ステーキハウスなどを手掛けた。

・写真週刊誌「フライデー」に浮気を報道されて男のけじめとして坊主頭になった(=86年)。

・スポーツ平和党を結成(=89年)。

 党のモットーは「スポーツを通じ国際平和を訴えていく」。

・会津若松市での講演中に刃物を持った男に切りつけられた(頭部に2週間の怪我=89年)。

   マイクで防御していなかったら頸動脈をやられて死んでいた可能性があった。・イラクで「平和の祭典」をプロデュース(=90年)。

・半生記「闘魂記」を出版(=90年)。

・湾岸戦争の停戦を求めてバグダットを訪問してフセイン大統領に直談判(=91年)。

 留置場に宿泊した。日本人の帰国を実現させた。

・都知事選出馬を断念(=91年)。

 理由に関して「確かに政治的圧力はあったが金品の授受は一切ない」とコメント。

・シルクロードをバイクで横断して現地住民と交流(=91年)。  

・北朝鮮で「平和のための平譲国際スポーツ文化祝典」を開催して38万人を動員(=95年)。

・ビンタパフォーマンス(闘魂注入)は予備校生に頼まれた事から始まった。

 「受験に合格するように気合いを入れて下さい」と頼まれた。

 女性にやる時も若干ポイントをかえるだけで手加減はしない。

 時間がある時に街で頼まれるとその場でやってあげる。

・詩集「猪木詩集 馬鹿になれ」を出版(=00年)。

 「この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 

  踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けば分かるさ」

 という一節を多数の有名人が座右の銘にしている。

・猪木事務所に泥棒が入って現金280万円を盗まれた(=01年)。

・人生の悩みごとを抱えた人を励ますイベント「闘魂猪木塾」を主催(参加者全員にビンタ)。

・パラオ親善大使(=02年)。

・著書「非常識」を出版(=02年)。

 サイン会で「ここだけの話、オレもまだ、この本を読んでないんだよ」と発言。

・テレビ「プラチナチケット」で案内役に初挑戦(=03年)。

・山本寛斎が監督・総指揮するショー「太陽の船」に出演(=07年)。

・ラップユニットを結成してシングル「道」をリリース(=07年)。

・日本維新の会比例区から参院選に出馬して当選(=13年)。

・国会の質問で「元気ですかー!!」と大声を出して

 「心臓が悪い人もいるので控えるように」と注意された(=14年?)。

・副業…居酒屋「アントニオ猪木酒場」(新宿=17.12現在)。

凡例:17.01現在=2017年1月現在