なかにし礼

なかにし礼

■なかにし礼(なかにし れい)

 

□肩書き

 作詞家 訳詞家 作家 オペラ作家

 

□本名

 中西礼三

 

□生年

 1938(昭和13)09.02(乙女座)

 

□没年

 2020(令和02)12.24(享年82)心筋梗塞

 

□出身地

 旧満州 牡丹江

 

□出身校

 牡丹江市立円明小学校→青森市立古川小学校

 青森市立古川中学校→品川区立荏原第三中学校

 東京都立九段高校

 立教大学文学部仏文科卒業

 

□略歴(満年齢)

 68年(30歳)日本レコード大賞受賞曲「天使の誘惑」作詞。

 00年(62歳)「長崎ぶらぶら節」で直木賞。

 ※他の主な仕事:

  作詞「時には娼婦のように」「北酒場」「まつり」

  小説「兄弟」「赤い月」「てるてる坊主の照子さん」

  テレビ「ワイドスクランブル」「ごごナマ」

 

□趣味

 読書 映画観賞 落語 絵画鑑賞 観劇(歌舞伎) ゴルフ 


■なかにし礼

 

□幼少時代〜

・14歳年上の兄がいる。

・満州で生まれて8歳まで住んでいた。

・難民収容所を脱出して命がけで帰国。

 引き揚げ船に乗るまで1年3ヵ月かかった。

 その間に父親が他界(享年47)。

・小学校時代、何度も転校した。

・立教大学を一度中退して再入学、英文科から仏文科に転部して卒業。

・大学時代、お茶の水のシャンソン喫茶「ジロー」でアルバイト。

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□私生活

・好物…パン。チョコレート(ウイスキーのつまみにする)。和菓子。

・小説の構想が盛り上がっている時は食事をするのを面倒に感じる。

・好きな酒…ウイスキー。

・心筋梗塞の手術を受けた(=92年)。

・4ヵ月で30回の陽子線治療で食道がんが完治した(=12年)。

・がんが再発して余命1週間の宣告を受けたが抗がん剤と陽子線で完全消失(=15年)。

 24時間5日間連続の抗がん剤治療を受けた。

 治療中に点滴を受けながら小説を書いた。

・致死性不整脈に備えて植え込み型除細動器を体内に埋め込む手術を受けた(=16年)。

・水に触るのが嫌い。

・泳げない(=02.09現在)。

・自宅の寝室にゴーギャンの原寸大の大きな絵を飾っている。

・ペット…犬(ミニチュアシュナウザー、名前はラブ、牝=10.01現在)。

・住んでいる所…神奈川県逗子市(自宅の書斎は約35畳=98.07現在)。

・いきつけ:

 イタリアン「ジョージ&レイ」(神奈川県鎌倉市、ティラミス)。 

 レストラン「ラ・マーレ・ド・チャヤ」(神奈川県葉山町)。

 「ミクニズカフェ マルノウチ」(丸の内。週に2〜3回行く)。

・夕焼けを見るのが好き。

・方向音痴。

・クルマの運転が苦手。

・物心つくまで満州で育ったので日本のどこへ行ってもどこかなじめない。

・ギャンブルや勝負事を一切しない。ジャンケンもしない。

・兄は特攻隊の生き残り。

・兄が放蕩して作った借金を長年尻拭い。

 家と青山のビルを2軒売っても72年当時で3億円以上の借金が残った。

   借金を払い終えた2年後に兄が他界(=96年)。

・長男は演劇関係の仕事。

・独身時代に同時に8人の女性とつきあった。

・妻と一緒に年に数回海外旅行に行く。


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□人間関係

・長嶋茂雄…親友。

・大和田獏…友人。ゴルフ仲間。

・芦野宏、金子由香利、岸洋子…シャンソンの訳詞をした歌手。

・石原裕次郎…恩人。石原の勧めで歌謡曲の作詞を始めた。

 初めて作詞した作品を石原プロを預けた。

・いしだあゆみ…義理の姉(妻の姉)。古いつきあい。

 いしだの曲を作詞。

・美空ひばり…デビュー当時から大ファン。詩を提供。

 青森から美空のステージを観に行って出待ちをした。

・元妻…63年結婚(学生結婚)、68年離婚。

・由利子(石田ゆり)…元歌手。71年結婚。13歳年下。

・子供:

 長男。

 長女…21歳(=02.07現在)。


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□エピソードなど

・20歳の頃からシャンソンを約1000曲訳詞、ギャラで大学の学費を払った。

・大学卒業後、作詞家としてデビュー。

 訳詞家として評判が良かったので一気に何百ものオーダーが来た。

・60年代から70年代にかけて相当数の曲を作詞。

・超売れっ子作詞家として活躍。

 生涯で約4000曲を作詞、300曲がヒット、30曲がビッグヒット。

 1970年のヒット曲年間ベスト100のうち28曲を作詞。

・ヒットする曲が閃いた時はその瞬間にわかる。

・細川たかしの「北酒場」を書いた時、

 お告げのように耳元で「北酒場」と囁く声が聞こえ、

 世の中でみんなが「北酒場」を歌っている光景が見えた。

 自分の中のベスト3は「知りたくないの」「時には娼婦のように」「石狩挽歌」。

・作詞した曲が日本レコード大賞を3回受賞。

 黛ジュン「天使の誘惑」68年

 菅原洋一「今日でお別れ」69年

 細川たかし「北酒場」82年

・黛ジュン「天使のハレルヤ」の歌詞に戦争体験が隠されている。

・「時には娼婦のように」は歌詞が猥褻とされて放送禁止。

・昭和が終わった頃から一時期歌謡曲の作詞から離れて、

 小説・オペラ・ミュージカルに注力。

・テレビ「ワイドスクランブル」コメンテーター。

・オペラを書いていると作曲家が作る音をめぐってよくケンカになる。

 東京が舞台なのに北海道や沖縄の音、平安時代の話なのに江戸時代の音、など。

 作曲家とのケンカに勝つために日本全国の民謡を研究して理論武装した。

・小説は初恋の人、シャンソンは若い頃の同棲相手、

 歌謡曲は本妻、オペラは愛人のようなもの。

・小説は〆きりにあわせて決まった量(1日に4〜5枚)をこつこつと書く。

・腱鞘炎を患って以降ワープロを愛用。

 パソコンは故障が多いのでワープロ専用機を使う。

 愛機が生産中止になったので誌上で呼び掛けて読者から譲って貰い、

 自宅と別荘に同じ機種を2台づつ置いてある(=02.09現在)。

凡例:20.01現在=2020年1月現在