2016年

1月

01日

小山明子

2016/01/07更新

■小山明子 (こやま あきこ)


□肩書き

 女優


□本名(旧姓)

 臼井明子


□生年

 1935(昭和10)01.27(水瓶座/AB型)


□出身地

 神奈川県横浜市鶴見区


□出身校

 誠之国民小学校→呉服国民小学校→鶴瀬国民小学校 鶴見中学校

 神奈川県立鶴見高校 大谷学園横浜ドレスメーカー女学院


□略歴(満年齢)

 55年(20歳)松竹に入社。映画「ママ横をむいてて」に出演。

 69年(34歳)映画「少年」に出演。

 76年(41歳)ドラマ「あかんたれ」に出演。

 ※他の主な出演:

  舞台 「深川さくら茶屋」「夜の河」女のほむら」

  映画 「日本の夜と霧」「日本春歌考」「インターミッション」

  ドラマ「道頓堀」「新・平家物語」「真田太平記」

  テレビ「スタジオパークからこんにちは」「嵐を呼ぶ! あぶない熟女」「徹子の部屋」


□サイズ

 160㎝


□特記事項

・夫は大島渚

有名人データベース PASONICA JPN

■小山明子

 

□幼少時代〜

・父親は旭化成のサラリーマン→南米拓殖会社(半官半民)→貿易会社経営。

・5人きょうだいの末っ子。兄が4人いる。

 長女は生後3日で他界。次男は父親の実家に養子に出された。

・父親は頑固で亭主関白だった。

・母親は敬虔なクリスチャンだった。

・2歳の時から約1年間、貿易会社に転職した父親の仕事の関係で朝鮮に住んでいた。

 ※日本に帰国する船に乗った記憶がかすかにある

・祖父母が同居していた。

・子供の頃、よく病気になった。

 疫痢、ジフテリアを患った。ツベルクリン反応は高校卒業まで毎年陽性だった。

・兄の後ろを追いかけて遊ぶおんてばだった。

・小2の時、友人と飛び降りる階段の段数を競って高い段から跳んで足を骨折した。

・小学校時代、母親の実家(大阪府池田市)に約1年間縁故疎開。

 転校先の小学校でいじめられ、仲間に入れて貰う為に大阪弁を覚えた。

・小学校時代、東京の自宅が空襲で焼けた。

・10歳の時、母親が胃がんで他界(享年42)。

・母親他界後、父親はブラジルに行っていて不在だったのできょうだいで家事を分担した。

・男女共学になった高校に1期生として入学。

・高校時代、通学路でラブレターを貰って東大生と約1年間交際。

・ドレスメーカー女学院時代、将来デザイナーになりたいと思っていた。

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■小山明子

 

□私生活

・好物…白米。ふぐ(大好物)。チョコレート(スワンの生チョコ)。コーヒー。

・得意料理…昆布巻き。

・酒は全く飲まない。

・夫が倒れるまでは一切料理をした事がなかった。

・健康法…自家製ヨーグルト。エステ。リンパマッサージ。

 水泳(週1回教室に通っている、マスターズ出場を目指している=16.01現在)。

・1年に2回定期検査を受ける。

・自分で髪の毛を洗った事がない(常に美容院を利用する=15.05現在)。

・虫に平気で触れる。

・住んでいる所…神奈川県藤沢市(=61年現在)。

・週1回のボイストレーニングを長年続けている。

・75歳頃に「終活」を始めた(夫の病状が悪化して夫の遺影用の写真を選んだ事がきっかけ)。

 「認知症になったら施設に入れて」「延命措置はしなくていい」と子供に言ってある。

 葬儀の段取りを決めてある(遺影として使う写真、流す音楽、飾る花の種類など)。

 着物、洋服、アクセサリー類を親戚にあげて整理。

 80歳のお祝いに息子に買って貰ったロレックスの腕時計は長男の嫁に形見分けするつもり。

 米寿のお祝いにもうひとつ買って貰って次男の嫁に形見分けしたいと思っている。

・父親は97歳で他界。

・義母と22年同居していた。

 預金通帳を預けてふたりの子育てなど家事全般を義母にまかせていた。

 義母の最期を自宅介護で看取った。

・20歳の時に夫と知り合って5年間交際して結婚した。 

 2本目に出演した映画「新婚白書」の助監督が夫だった。

 5年間に手紙を360通やりとりした(全部とっておいてある)。

 夫から貰った手紙に「世界で通用する監督になって君をカンヌに連れて行く」と書いてあった。

 結婚した頃の夫の月収は1万4000円、自分の映画1本の出演料は50万円だった。

・結婚と同時期に夫とともに松竹を退社した。

 夫が監督した映画「日本の夜と霧」の上映中止問題で夫が松竹と対立して退社に至った。

 結婚式のスピーチは途中から松竹弾劾になり、夫も「最後まで闘うぞ」と叫んでいた。

・松竹退社後約3年間、夫はほとんど仕事がなかったので、自分が働いて家族の生活を支えた。

 夫が毎日家にいたので帰宅後に夫と1時間話をするのが何よりのストレス解消法だった。

・夫は結婚前は「共働きだから協力してやっていこう。僕に出来ることはなんでもする」

   と言っていたが、結婚後に実際にしたのはふとんのあげおろしだけだった。

・夫が監督した映画に多数出演。

・夫と一緒にカンヌ映画祭に5回行った。

・結婚10周年に夫から貰ったロレックスの腕時計を新幹線のトイレに置き忘れてしまった。

・銀婚式をパリのレストランで祝った(夫はフランスで映画を撮影していた)。

・夫と自分だけが入るお墓を1000万円で購入した。

・来世でも夫と一緒になりたいと思っている。

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■小山明子

 

□人間関係

・山本富士子…親友。家族ぐるみのつきあい。よく一緒に食事する。一緒に一筆画を習った。

・大島渚…映画監督。60.10.30学士会館で会費1000円の人前結婚式。※13年他界(享年80)

・子供:

 長男…大島武。63年誕生。東京工芸大学准教授。

 次男…大島新。69年誕生。フジテレビディレクター→フリーディレクター。

※孫が4人いる(=10.11現在)

 

□介護のエピソードなど

・夫を約17年間自宅介護した。

 96年に脳出血で右半身不随、01年に十二指腸潰瘍穿孔で寝たきり、13年他界。

・脳出血後のリハビリで映画「御法度」を監督するまでに回復したが、

 十二指腸潰瘍穿孔で生死の境をさまよった後は完全な寝たきり(要介護5)になった。

・01年から約4年間、介護による重いうつ病を患って入退院を繰り返した。

 自殺願望が強まると入院した。

・「嫌々やっても介護、楽しくやっても介護」という境地に至るまでに数年を要した。

・食事内容、血圧、血糖値などを毎日ノートに記した。

・月に1回は外食した。

・水を口移しで飲ませてあげて「ひとくち500円よ」とジョークを言った。

・体力をつける為に水泳教室に通った。

 最初は10mしか泳げなかったのが800m泳げるようになった。

・女優業を休業して主婦として地域活動に参加、一般の友人が増えた事で人間の幅がが広がった。

・介護に関する講演をたくさんやった。

 

□その他のエピソードなど

・ドレスメーカー女学院に在学したまま松竹に入社した。

・「小山」は母親の旧姓。

・映画「少年」で毎日映画コンクール助演女優賞を受賞(=69年)。

・瀬戸内寂聴「源氏物語」の朗読公演で10年ぶりに舞台に立った。

・エッセイ集「パパはマイナス50点」で第25回日本文芸大賞エッセイ賞を受賞(=08年)。

・著書「小山明子のしあわせ日和」を出版(=10年)。

・映画「インターミッション」で25年ぶりに映画出演(=13年)。

・映画「生き抜く」の上映実行委員会代表を務めた。

 ※東日本大震災で被災した人々を追ったドキュメンタリー

・ボランティア活動に力を注いでいる。

・仕事の時に着物を着る事が多い。

*凡例:15.01現在=2015年1月現在