伊藤みどり

伊藤みどり


■伊藤みどり(いとう みどり)

 

□肩書き

 フィギュアスケート選手(96年アマチュア引退)

 

□本名

 伊藤みどり

 

□生年

 1969(昭和44)08.13(獅子座/B型)

 

□出身地

  愛知県名古屋市

 

□出身校

 名古屋市立前津中学校

 東海女子高校

 東海学園女子短期大学卒業

 

□略歴(満年齢)

 88年(19歳)カルガリー五輪5位。

 89年(20歳)世界選手権優勝。

 92年(23歳)アルベール五輪銀メダル。

 ※主な出演:

  テレビ「徹子の部屋」

  CM「カルビー グリンピース」「第一製薬 パテックスA」

 

□サイズ

  145㎝

 

□特記事項

・アルベール五輪銀メダル

・全日本選手権8連覇

・女子選手初のトリプルアクセル


■伊藤みどり

 

□幼少時代〜

・4歳の時、スケートをはじめた。

 母親に連れられて実家の近所のリンクに毎週遊びに行って興味を持った。

・日曜日は食事をする間も惜しんで1日中滑った。

・小学校時代、体育が大好きだった。短距離走は常に1位。

・8歳の時、3回転ジャンプをマスター。

・小5の時、日本選手権3位。4種類の3回転ジャンプを成功。

・小5の時、世界ジュニア選手権8位。

・小6の時、アクセル以外の5種類の3回転ジャンプをマスター。

 ※当時は世界のトップで1〜2種類しか跳べなかった

・中学時代、思春期の身体の変化で太ってしまった。

 

□私生活

・好物…みそ煮込みうどん。甘いもの。そば(大好物)。

・酒が好き。

・低タンパク血症を患った(=96年)。

・冷え性。

・太りやすい体質。

・好きなタイプ…真面目で優しい男性。


■伊藤みどり

 

□人間関係

・山田満知子…担当コーチ。

 小5の頃から山田の自宅に居候して指導を受けた。

   リンクでは鬼コーチだったが家ではもうひとりの母親のような存在だった。

   プロ転向後も山田の指導を受けている。

・山田美樹…山田コーチの娘。本当の姉妹のように育った。同い年。

・恩田美栄…フィギュアスケート選手。山田満知子の教え子。

 伊藤式ジャンプの方法論を引き継いでいる。

 ※伊藤式ジャンプ…走り高跳びのように鋭い手足のふり上げをきっかけに垂直にジャンプする

 (通常は助走でタメを作ってジャンプする)

・中野友加里…フィギュアスケート選手。山田満知子の教え子。

 伊藤以来10年ぶりに公式戦でトリプルアクセルを成功。

・浅田真央…山田満知子の教え子。浅田にフィギュアスケートの衣装をあげた。


■伊藤みどり

 

□エピソードなど

・「天才スケーター」と呼ばれた。

・ジャンプの高さは約60㎝(男子並み、女子選手の平均より10㎝以上高い)。

・全日本選手権フリーで5連覇(=81年〜)。

・プラハ国際で優勝(=83年)。

・サラエボ五輪には年齢制限で出場できなかった。

・全日本選手権8連覇(=85年〜92年)。

・15歳の時、シーズン最後の世界選手権の直前に足を骨折。

・優勝した世界選手権で女子史上初の公式戦でのトリプルアクセルに成功(=89年)。

 日本人として世界選手権初優勝。

・短大卒業後、プリンスホテルに入社。

・アルベールビル五輪で銀メダルを獲得。

 フィギュアスケート種目の日本人初メダル。

 フリーで女子史上初の五輪のトリプルアクセル成功

 (序盤で一度失敗して再挑戦して成功、思わずガッツポーズをしてコーチに怒られた)。

 インタビューで「銀メダルですいません」と発言(前評判で金メダル確実と言われていた)。

・練習が嫌いだった。

・毎年シーズンが終わる時期に競技を続けるかどうか悩んだ。

・海外の大会の方が日本の大会よりも気楽に滑る事ができた。

・アルベールビル五輪後にプロに転向。

・世界プロ選手権で優勝(=93年)。

・長野五輪出場を目指してアマチュアに復帰して全日本選手権で優勝(=95年)。

 96年世界選手権で好成績を残せずに再び引退。

・長野五輪開会式で古代日本をイメージさせる創作衣装で聖火の最終点火者を務めた。

・プロ転向後もアマチュア時代と同じ環境で練習。

・プロスケーターとして国内唯一のプロチーム(プリンスアイスワールド)で活躍。

 多い時は年間90公演。1日2公演が1週間続いた事もあった。

・ソルトレイク五輪でリポーターを務めた。

・フィギュアスケート世界殿堂入り(=04年)。

・スケート教室で子供を教える。

※凡例 20.01現在=2020年1月現在