2016年

1月

01日

細川たかし

細川たかし

2016/11/21更新

■細川たかし(ほそかわ たかし)

 

□肩書き

 歌手

 

□本名

 細川貴志

 

□生年

 1950(昭和25)06.15(双子座/A型)

 

□出身地

 北海道虻田郡真狩村

 

□出身校

 真狩村立知来別小学校

 真狩村立真狩中学校

 真狩高校中退

 

□略歴

 75年(25歳)「心のこり」で歌手デビュー。NHK紅白歌合戦に初出場。

 82年(32歳)「北酒場」で日本レコード大賞を受賞。

 83年(33歳)「矢切りの渡し」で日本レコード大賞を受賞(史上初の連覇)。

 ※他の主なシングル:

  「浪花節だよ人生は」「応援歌いきます」「恋の酒」

 

□趣味

 カラオケ

 

□特技

 民謡(民謡三橋流の名取り) ゴルフ スキー

 

□資格・免許

 全日本スキー連盟アドバイザー

 

□特記事項

・レコード大賞2連覇

・紅白歌合戦39回出場

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■細川たかし


□幼少時代〜

・実家は2万坪のイモ畑と田園を持つ小さな農家。

・7人兄弟の末っ子。

・母親に甘える子供だった。

・家で食べる味噌、しょうゆは自家製だった。

・秋のイモの収穫期は学校が休みになり、家族総出で半月に渡って収穫作業をした。

 全て手作業であまりの大変さに「農家ほど割にあわない仕事はない」と思った。

・小学校時代、歌うのが大好きだった。クラスメイトの前で歌を披露した。

・中学時代、英語が苦手(成績は1)で社会が得意だった(成績は5)。

・中学時代、同級生の大西清子さんに便箋5枚のラブレターを出したが未開封のまま送り返されてきた。

・中学時代、エレキバンドを結成してドラムを担当。

 農閑期に納屋にこもって当時流行したベンチャーズの曲をコピーした。

・中学時代、井沢八郎「北海の満月」を聞いて演歌歌手を志した。

・中学時代、卒業式の寄せ書きに「北海の心 満月の姿 演歌!! 細川貴志」と書いた。

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■細川たかし

 

□私生活

・好物…ステーキ丼。ウニイクラ丼。ラーメン。ロース肉。フカヒレ。

 じゃがいも。福神漬け。醤油(大好物、何にでもかける)。

・嫌いな食べ物…バター。チーズ。牛乳。

・酒が好き。好きな酒は芋焼酎。

 話す事が好き。場をしきるのが大好き。

 酒に酔うとテーブルをおしぼりで拭く癖がある。六本木のクラブによく行く。

 カラオケでマイクを一度握るとなかなか離さない。自分の歌も人の歌も歌う。

・健康法…水(1日5ℓ飲む、朝起きると500㎖を一気に飲む)。

・夏の暑さが苦手。

・キティちゃんが好き。楽屋をキティちゃんグッズで埋め尽くす。

 ※「城崎恋歌」のコラボ企画で「細川たかしキティちゃん」を城崎限定で発売

・好きなブランドはヴェルサーチ。普段着も衣装もヴェルサーチ。約600万円の腕時計を愛用。

・お笑いが大好き。

・住んでいる所…北海道札幌市(=16.09現在)。

 以前から所有していたマンションに完全に拠点を移した(住民票も移した)。

 マンションの別のフロアに子供や妻のきょうだいが住んでいる。

・いきつけ…寿司屋「鮨金」(ススキノ)。ラーメン屋「芳蘭」(ススキノ)。

・特注のルイヴィトンの財布に常に200万円以上の現金を入れておく。

・ゴルフが大好き。シングルプレーヤー。

 朝5:00から打ちっぱなしに行く。年間100ラウンド以上。

 クラブを数百本所有。クラブに「たかし」と刻印。

・趣味のゴルフとスキーは歌う為の背筋を鍛えるのに役立っている。

・几帳面な性格。

・95歳を過ぎた父親が健在(=05.10現在)。

・妻とススキノのクラブで知り合った時、「年下の男は苦手」と言われたので

 本当は1歳年下だったが「25歳です」と年齢を上にサバ読みした。

 当時の妻は昼間は美容師、夜はクラブでアルバイトをしていた。

・上京当時、洗濯物がたまると札幌に残した妻に送って洗濯して送り返して貰っていた。

・上京1年後に妻子を東京に呼び寄せた。

・結婚35周年の珊瑚婚式をハワイで挙げた。

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■細川たかし

 

□人間関係

・山本譲二、吉幾三…親友。「兄弟の契り」をかわしている。定期的に集まって飲む。

 出身地の頭文字をとって3人で北青山倶楽部を結成した。

・沢田研二…友人。沢田の結婚披露宴の2次会を仕切った。

 沢田のディナーショーにゲスト出演。

 沢田から「宴会部長」と呼ばれている(細川が部長、吉幾三が課長、山本譲二が課長代理)。

・森進一…友人。「たかし」「兄貴」と呼びあう。

 森の性格が明るくなったのは自分の影響だと思っている。

 森が主宰するチャリティーコンサート「じゃがいもの会」に参加した事がある。

・萩本欽一…友人。「たかし」「大将」と呼びあう。

 バラエティ「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に民謡の先生役でレギュラー出演、

 まだ題名も決まっていなかった曲(「北酒場」)を毎週歌った(=82年)。

・前川清…遊び仲間。

・角川博、香田晋、神田利則、鳥羽一郎、山川豊、山本譲二、吉幾三、城之内早苗

   …カラオケ仲間。

・杜このみ…歌手。プロデュースを担当。レコード大賞新人賞を受賞(=13年)。

・岩崎宏美、太田裕美、岡田奈々、片平なぎさ、ずうとるび…歌手デビュー同期生。

・三橋美智也…民謡の師匠。

   三橋がやっていた民謡三橋流の直弟子になって名取り・三橋美智貴になった。

・コロッケ、ツートン青木…細川のモノマネをする。

・山田太郎…所属事務所・新栄プロの社長。

・中村旭…デビュー前からの友人。ススキノでスナックを経営。

・中越典子、中山エミリ…細川のファン。

・ビートたけし…たけしの妻が細川の大ファンで追っかけしていた。

・和子…74.03.17結婚。1歳年上。

・子供:

 長男…譲(ゆずる)。74年誕生。作家。

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■細川たかし

 

□エピソードなど

・中学卒業後、集団就職で札幌に出た。

 昼は自動車整備工、夜はススキノのナイトクラブ・マーガレットでクラブ歌手のアルバイト。

 仕事中によく居眠りをして自動車整備工を半年でクビになった

・クラブ歌手を始めた当初の収入は毎月1万円。

 家賃3500円のアパート(薄いベニヤ板に囲まれた屋根裏部屋)に住み、

 食事は毎日インスタントラーメン。アパートから店まで歩いて通っていた。

・クラブをかけもちで歌って月に70万円を稼いで「ススキノの森進一」と呼ばれていた。

・東京の大手芸能プロダクションにスカウトされた時、妻が妊娠中で生活も安定していたので

 「衣装代・生活費・家族への仕送りは事務所持ち」という条件で契約した。

   1年で芽が出なかったら諦めて札幌に戻るつもりだった。

・事務所とコロムビアレコードが6組の作詞家&作曲家に計12曲を発注、

 その中から厳選された曲がデビュー曲に選ばれた。 

・デビュー曲「心のこり」の当初のタイトルは「私 バカよね」だった。

・デビュー曲「心のこり」の冒頭の歌詞「わたし馬鹿よね」は流行語になった。

 ・デビュー曲「心のこり」で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。

・デビュー曲以降約7年間ヒット曲にめぐまれなかった。

・「8時だヨ! 全員集合」の坂登りコーナーでアキレス腱を完全断裂(40日間入院=81年)。

・「矢切りの渡し」はちあきなおみが76年に歌った曲のカバー。

・映画「男はつらいよ 旅と女と寅次郎」にゲスト出演(=83年)。

・よく歌詞を間違える。

 紅白歌合戦で「浪花節だよ人生は」の歌詞を間違えて「すみません」と謝った(=84年)。

・男性演歌歌手初のレコード大賞三冠王(レコード大賞、最優秀歌謡賞、最優秀新人賞)。

・故郷・真狩村の村民栄誉賞を受賞した。真狩村村に記念館、銅像がある。

・「佐渡の恋唄」のヒットにより佐渡観光協会名誉会長に任命された(=92年)。

・チャリティーコンサートの収益を北京郊外の学校建設の為に寄付(=97年)。

・芸能生活25周年を記念して神宮球場で史上最大の盆踊りを開催(=99年)。

・福家書店の社長が細川の大ファン。

・日本スキー連盟のアドバイザーを務めた。

 ジュニア育成の為に細川たかしスキー大会を主催。

・長男・譲がシングル「城崎恋歌」を作詞(柚木由柚名義=05年)。

・NHK紅白歌合戦にデビュー以来32回連続出場(=75年〜06年)。

・紅白歌合戦の打ち上げの司会を毎年務めるた。

・L&Gが主催したコンサートに出演して紅白歌合戦出場を辞退(=07年)。

 ※L&G(健康商品会社)は出資法違反容疑で家宅捜索を受けた

・全国に歌碑が4つある(=08.06現在)。

・暴力団組長のゴルフコンペに参加した事を週刊誌に報じられて番組出演を自粛(=08年)。

・コンサートでは声が通りやすいように半音上げて歌う。

・紅白歌合戦に39回出場。

・紅白歌合戦卒業を表明(=16年)。

凡例:16.01現在=2016年1月現在