石橋蓮司

石橋蓮司

■石橋蓮司(いしばし れんじ)

 

□肩書き

  俳優

 

□本名

 石橋蓮司

 

□生年

 1941(昭和16)08.09(獅子座/AB型)

 

□出身地

 東京都品川区中延

 

□出身校

 荏原第四中学校

 日大付属高校 

 日本大学芸術学部映画学科中退

 

□略歴(満年齢)

 64年(23歳)映画「越後つついし親不知」出演。

 90年(49歳)映画「浪人街」出演。

 10年(69歳)大河ドラマ「北条時宗」出演。

 ※他の主な出演:

  舞台 「ビニールの城」「真情あふるる軽薄さ」「ハーメルンの鼠」

  映画 「ふろたき大将」「竜馬暗殺」「アウトレイジ」

  ドラマ「勝海舟」「龍馬伝」「Dr.コトー診療所」

  テレビ「スタジオパークからこんにちは」

 

□趣味

 競馬

 

□サイズ

 178㎝

 

□特記事項

・妻は緑魔子


■石橋蓮司

 

□幼少時代〜

・父親は建具屋。

・毋親は戦争未亡人。

・兄(母親の連れ子)、姉、弟がいる。

・3歳から約1年間、父親の郷里(福島)に疎開。

・4歳の頃、家の近所を通るアメリカ人兵士に「ギブミーチョコレート」と言っていた。

・子供の頃、近所に芝居小屋に旅一座が来ると勝手に筵をめくって入って連日見た。

・小学校時代、成績優秀で「品川の神童」と呼ばれていた。

・小学校時代、級長を務めた。

・中学時代、子役の仕事が多忙で学校を休みがち、

 たまに出席して授業についていけなかった。

・中学時代、主演映画が巡回上映されて女子からチヤホヤされ、

 それをやっかんだ男子から強烈なイジメを受けた。

・中1の頃、父親の浮気で両親が離婚して母親と兄弟と一緒に旅館に引っ越した。

 父親が建てた旅館を母親が慰謝料として貰い、2階は連れ込み宿になった。

 客がいる部屋から聞こえてくる女性の悲鳴のような声の意味がわからなくて母親に訊いた。

・高校時代、肉体労働のアルバイトをした。

・高校時代、不良だった。酒、タバコ、女を覚えた。

 雀荘に入り浸っていた。留置場に泊まった。

 地元の大井町のショットバー(青線)で遊んだ。

 横浜に遠征してケンカして鼻を折られた。 

・高校時代、連れ込み宿に来る様々な客や事件を目撃した。

 セーラー服の少女とおじさんのカップル、男同士のカップル、自殺未遂、心中未遂など。

・大学時代、講議で習うのは児童劇団でやった事ばかりだった。

・大学時代、沖仲仕、化粧品のセールスマンなどのアルバイト。


■石橋蓮司

 

□私生活

・好物…魚。納豆。ちくわ。練り物。

・酒が好き。毎晩飲む。

・競馬に一番のめりこんでいた時は朝から場外馬券場に入り浸っていた。

・競馬は妻(緑魔子)も好き。一緒に中山競馬場に行く。

・もともと妻(緑魔子)のファンで親衛隊のようにくっついているうちにデキてしまった。

 一緒に劇団第七病棟を創立。

・妻と一緒にいると必ずケンカしてしまうので80年頃から別居中、

 正月など年に数回だけ帰る(=02.02現在)。


■石橋蓮司

 

□人間関係

・石倉三郎…友人。飲み友達。

・岡田英次、蜷川幸雄、蟹江敬三…現代人劇場の創立メンバー。

・竹脇夢我、渡辺篤史、和泉雅子、音無美紀子、柏木由起子、

 二木てるみ、桃井かおり…劇団若草出身。

・小林桂樹、志村喬…目標としている俳優。

・緑魔子…女優。?年結婚。

・子供:

 長女…阿礼(あれい)。アメリカに留学。


■石橋蓮司

 

□エピソードなど

・中1の時、劇団若草に入団。

・子役として映画「ふろたき大将」に主演(東映=54年)。

・子役としてラジオの連続ドラマに出演。

・高校時代、東映児童劇団に所属するが仕事はほとんど来なかった。

・映画「越後つついし親不知」で佐久間良子を強姦するドラ息子を演じた。

 このオーディションに落ちたら俳優をやめるつもりだった。

・若い頃、本を読んで理論武装しては新宿ゴールデン街で論争、論争に疲れるとケンカした。

 当時は左翼系の本から小説まで大量に本を読んだ。

・劇団青俳の養成所に入所(=65年)。

・劇団青俳が分裂、現代人劇場の創立に参加(=68年)。

・現代人劇場は70年安保のムーブメントの中、個人の才能を認めず、思想ありきの集団だった。

・劇団第七病棟を創立(=76年)。

・劇団第七病棟の名前の由来…

 仲間7人で設立した劇団でけいこ場が日赤広尾病院裏の壊れた病棟だったから。

・若い頃はとてもモテたらしい。

・にっかつロマンポルノに出演。

・悪役を多数演じている。

・時代劇、2時間ドラマに多数出演。

凡例:20.01現在=2020年1月現在