水前寺清子

水前寺清子


■水前寺清子(すいぜんじ きよこ)

 

□肩書き

 歌手 女優

 

□本名

 林田民子

 

□愛称

 チータ

 

□生年

 1945(昭和20)10.09(天秤座/O型)

 

□出身地

 熊本県熊本市

 

□出身校

 熊本市立碩台小学校→新宿区立淀橋第七小学校

 洗足学園中学校

 洗足学園高校

 

□略歴(満年齢)

 64年(19歳)「涙を抱いた渡り鳥」でデビュー。

 65年(20歳)紅白歌合戦初出場(→86年まで22回連続出場)。

 68年(23歳)「三百六十五歩のマーチ」をリリース。

 ※他の主なシングル:

  「いっぽんどっこの歌」「浪花節だよ人生は」

 ※主な出演:

  舞台 「スター誕生」

  映画 「我が命の歌挽歌」

  ドラマ「ありがとう」「お義母さんといっしょ」「水戸黄門」

  テレビ「ごきげんよう」「ダウンタウンなう」

 

□趣味

 洋裁 押し花 園芸 写真

 

□資格・免許

 大型自動車免許 

■水前寺清子

 

□幼少時代〜

・父親は地元有数の実業家。

 化粧品店とデパートを経営。

・3人きょうだいの末っ子(10歳年上の兄、8歳年上の姉)。

・子供の頃、父親が庭にブランコやシーソーを作ってくれた。

・習いごと…習字。華道。歌。ピアノ。バイオリン。オルガン。踊り。

 歌以外は長続きしなかった。

・子供の頃から「チータ」と呼ばれていた(「小さい民子」の意)。

・子供の頃、将来女剣劇をやりたい、と思っていた。

・小学校時代、体が弱かった。

   よく自家中毒を起こした。

 毎週のように医者の世話になった。

・小学校時代、ラジオで歌謡曲を聞く事に熱中。

 特に江利チエミ「テネシー・ワルツ」が好きだった。

・小学校時代、のど自慢大会に出場して賞を貰った。

・小学校時代、商売が大繁盛で家はとても裕福だった。

・小学校時代、父親にスクーターに乗せられて女性(浮気相手?)の所に連れて行かれ、

 帰りにひとくちカツを食べさせて貰った。

・小6の時、級長選挙に2票差で負けたショックで2日間学校を休んだ。

・小6の時、父親が事業に失敗。

 一家全員で熊本から夜逃げ同然で上京して風呂なしの部屋に住んだ。

 借金返済の為に父親は精肉店、母親は掃除婦、兄と姉は町工場で働いた。

・中学時代、近所の印刷工場でアルバイト、夜は母の内職を手伝った。

・中学時代、将来保育士になりたいと漠然と思っていた。


■水前寺清子

 

□私生活①

・好物…玉子かけご飯。親子丼。バッテラ。

 骨付きカルビ。ラムしゃぶ。大学いも。

 カスタードクリームのシュークリーム。

 和菓子。日本茶(多い日はポット6本分)。

・嫌いな食べ物…イクラ。

・酒が飲めない。

・腰部脊柱管狭窄症の手術を受けた(=14年)。

 足の先の感覚がなくなってステージで何度か転倒して手術を受ける事を決意。

・持病…膝の腱脱臼(10代の頃から、発症すると声も出せないほどの激痛)。

・髪型は子供の頃からずっとショートカット。

・裁ちばさみでサイドの髪を自分で切る。

・整理整頓が苦手。

・サスペンスドラマが大好き。

・業務用のミシン3台を使って洋服を作る。

・テレビの通販が大好き。

 健康グッズをよく買う。

・何もせずにぼーっとするのが苦手。

・自宅の庭に来る雀に餌をあげる。

・普段着のままで外出する。

・ペット…

   犬(名前はブラック=10.05現在)。

   犬3匹(=06.01現在)。

・住んでいる所…東京都世田谷区桜新町(50年以上在住=13.06現在)。

・義母と実姉と同居中(=03.06現在)。



■水前寺清子

 

□私生活②

・いきつけ…

 炉端焼き「肴屋」(新宿)。

 焼肉「五大」(世田谷区駒沢)。

・地元・世田谷区桜新町のお祭り(さくらまつり)で毎年歌う。

・50歳で運転免許を取った。

   ケアハウスの送迎を自分でやる為に大型自動車免許も取った。

・パスネットを愛用。

・茨城県に3000坪の土地を借りて米を作っている。

 コンバインに乗って田植え、稲借りを自分でやる。

 収穫した米を世話になった人に配る(多い年は80俵穫れる)。

・世話焼きででしゃばりの性格(父親譲り)。

・好き嫌いがはっきりしている性格。

・自分の事を「オレ」と呼ぶ事がある。

・脳軟化症で16年間寝たきりの末に父親が他界(=83年11月)。

・認知症を患っていた母親が他界(=89年)。

・毎年年末に知人を招いて自宅でもちつき大会を開催。

・知り合った時の夫はバンドの指揮者だった。

・レクレーション感覚で些細な事で毎日のように夫婦喧嘩をする。

・不規則な食生活で結婚後に夫が20㎏体重が増えた。


■水前寺清子

 

□人間関係

・小柳ルミ子…親友。

・野村真美…友人。別荘に遊びに来た事がある。

・北島三郎、美川憲一…友人。デビュー当時からの仲。

・山本文郎…友人。デビュー前からの仲。

・柱谷哲二…友人。一緒にゴルフに行く。

・井手らっきょ、渡嘉敷勝男…友人。

・せんだみつお…同じ町内会(=06.02現在)。

・杉本彩…近所に住んでいる。

 水前寺のピンチヒッターとして地元のお祭り(さくらまつり)でタンゴを踊った。

・水野美紀…ドラマ「お義母さんといっしょ」で嫁姑役で共演。

・星野哲郎…作詞家。師匠。デビュー前に4年間星野に師事。

・山岡久乃…ドラマ「ありがとう」で親子役で共演。

・石坂浩二…ドラマ「ありがとう」で恋人役で共演。

 誘われてデートをした時に石坂のポルシェが踏切りでエンストした。

・野村将希…交際を噂された。

・小松明…元所属事務所社長。89.02.28熊本で挙式、20年離婚。6歳年下。


■水前寺清子

 

□エピソードなど①

・中学時代、劇団ひまわりに入団。

・中学時代、ビクター音楽学院に通った。

・コロムビア全国歌謡コンクール2位(=61年)。

・デビュー前、アルバイトでDJをやっていた。

・コロムビアの研究生として4年間でデビュー候補曲を約10曲レコーディング、

 タイミングなどの問題で全てお蔵入りになった。

・ポップス歌手としてデビューするつもりだった。

 「東京マリ」という芸名を考えてサインの練習をしていた。

・「涙を抱いた渡り鳥」の衣装は好きだった大川橋蔵をイメージした着流し。

・デビューから長期間、自分の収入額を知らなかった(母親からお小遣いを貰っていた)。

・石井ふく子から直接何度も熱心に口説かれてドラマ「ありがとう」出演。

 初対面の時は石井が誰かも判らず「歌以外の仕事はしません」と即答した。

 スケジュールがなかったのでリハーサルには出ず本番だけ参加。

 ※ドラマ「ありがとう」の最高視聴率は56.3%

・若い頃に「お嫁さんにしたいタレントNo.1」に選ばれた。

・65年の初出場から22回連続で紅白歌合戦に出場。

・紅白歌合戦の司会を4回務めた(=68年、71年、73年、79年)。

・稼いだ分以上をスタッフが浪費していて杜撰だった事務所の経理を夫が立て直した。

・紅白歌合戦で初のトリ(=83年)。

・横浜アリーナで女性演歌歌手として初コンサート(=91年)。

・ユニット・チータ with Blind Lemon Brothersを結成して

 ラップ調のCMソング「C.C.レモン」をリリース(=95年)。

・テレビ「ワイド! スクランブル」司会(=96年)。

・ミャンマーで日本人初のコンサートを行い収益金を寄贈(=99年)。


■水前寺清子

 

□エピソードなど②

・ベトナムの日本語学校に寄付。

・デビュー以来毎年新譜をリリース。

 演歌歌手にありがちな「この歌を◯十年歌い続けています」が好きではない。

・よくモノマネされる「ウンニャ」は自分では言っているつもりはなかったが、

 世間に浸透してからはあえて使っている。

・押し花作品「熊本」でパンシルバニア演芸家協会賞を受賞。

・経営に不審な点があったので熊本県熊本市の老人養護施から手をひいた。

・水前寺清子一座を旗揚げして全国を旅公演(=00年)。

・ドラマ「教習所物語」で25年ぶりにドラマ主演(=00年)。

・所属事務所のスタッフの給料を現金で手渡しする(=02.05現在)。

・日本歌手協会理事長に就任(=03年)。※初の女性理事長

・「きっかけはフジテレビ」キャンペーンの応援リーダーを務めた(=03年)。

・Jリーグ・ロアッソ熊本の応援イメージソング 「HIKARI 輝く未来へ」を歌った。

・地元・桜新町のさくら祭りで毎年ボランティアで歌謡ショーを開催。

・歌手生活初のライブハウス公演を行った(=10年)。

・エッセイ集「ありがとう、お父ちゃん」出版。

凡例:20.01現在=2020年1月現在