藤村俊二

藤村俊二

関連項目:芸能人目次 1934年誕生


■藤村俊二(ふじむら しゅんじ)

 

□肩書き

 タレント 俳優 

 

□本名

 藤村俊二

 

□愛称

 おヒョイさん

 

□生年

 1934(昭和09)12.08(射手座)

 

□没年

 2017(平成29)01.25(享年82)心不全

 

□出身地

 神奈川県鎌倉市→東京都

 

□出身校

 池上幼稚園中退

 私立暁星小学校

 私立暁星中学校

 私立暁星高校

 早稲田大文学部演劇学科中退 

 

□略歴

 69年(35歳)バラエティ「巨泉×前武ゲバゲバ90分」に出演。

 99年(65歳)ドラマ「笑ゥせぇるすまん」に出演。

 06年(72歳)NHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」に出演。 

 ※他の主な出演:

  舞台 「がしんたれ」「ブラック・コメディ」

  映画 「東京上空いらっしゃいませ」「ラヂヲの時間」「カルテット」

  ドラマ「警部補古畑任三郎」「コーチ」「「八日目の蝉」

  テレビ「サンデー志ん朝」「ぴったしカン・カン」「なるほどザ・ワールド」

  CM    「サッポロ一番」「ピップエレキバン」「セイコーエプソン - カラリオ」

 

□趣味

 料理 ゴルフ 

 

□特技

 デザイン

 

□特記事項

・妻は長尾美香代

■藤村俊二

 

□幼少時代〜

・父親はスバル興業社長。

・6人兄弟。

・裕福な家庭に育った。家は200坪の豪邸、庭には滝があった。

 兄弟にひとりづつお手伝いさんがついていた。

・子供の頃、欲しいモノがあると駄々をこねてひきつけをおこして買って貰った。

・子供の頃、ハチに刺されて木から落ちて足を骨折した。

・「登山ごっこ」で他の園児を何人も落下させて幼稚園を退園させられた。

 積みあげた机や椅子に登った他の園児を下からゆすって落下させた(怪我人がたくさん出た)。

・小学校時代、箱根の強羅の別荘地に集団疎開。

 やる事がないので友達の前で裸踊りをして遊んだ。

・修学旅行の入浴中にクラスメイトの下着を川に捨てた。

・母親は破天荒な人だった。春画を見せてくれた。ダンスホールに連れていってくれた。

 家で勉強すると「頭の悪い子を産んだみたいだから勉強するなら外でやって」と叱られた。

・中学時代、演劇部。

・中学時代、映画を見まくった。

・17歳の時、セックスを初体験(相手はガールフレンドの母親)。

 その直後にガールフレンドともセックスした。

・学生時代、靖国神社のサルにオナニーを教えて、女の子に見せて反応を隠れ見た。

 そのサルは2週間で死んでしまった。

・高校時代、ダンスホールに通い、連日芸者遊びをした。

   東京で遊ぶと父親にばれるので芸者遊びをする時は伊東まで行った。

・高校時代、父親の事業失敗で自宅が売却された。

 残っていた家財道具をこっそり売ってそのお金を遊びに使った。

 父親に「お前はモノを見る眼がある。高いモノから売ったな」とホメられた。

・学生時代、サッカー部。

・演出家を志して早稲田大文学部演劇学科に入学、理論ばかりでつまらないので1年で中退。

■藤村俊二

 

□私生活

・好物…カニとレタスのチャーハン。天ざる。かた焼きそば。コーンフレーク(毎朝食べる)。

 サーロインステーキ。牛タンしゃぶしゃぶ。うなぎの稚魚のスペイン料理。

 玉ねぎの味噌汁。小柱のかき揚げ。カステラ。ヨーグルト(毎朝食べる)。

 バナナ(毎朝食べる)。オレンジジュース。コーヒー。アイスロイヤルミルクティー。

・嫌いな食べ物…ナスの漬物。甘辛いもの(酢豚、エビチリなど)。

・得意料理…カレーライス(3日かけて作る)。チャーハン。

・ワインが大好き。毎日1本以上飲む。

・医者にタバコをとめられたので葉巻を愛飲。

・健康法…散歩(妻か子供と一緒に行く、青山霊園を歩く)。

・胃がんの手術を受けた(=88年頃?)。

 周囲に海外旅行に行くと嘘をついてこっそり産婦人科病棟に入院。

 胃を2/3削除した手術の3週間後に看護婦を7人連れて鰻を食べた。

・レーシック手術を受けた。

・身体がやわらかい。

・電気製品が苦手。ビデオの録画ができない。携帯電話が使えない。

・料理、洗濯、料理、掃除が好き。

 洗面台に水滴があると掃除しないと気がすまない。

 クリーニングから戻ってきたシャツに自分でアイロンをかけなおす。

 ホテルの部屋を掃除する。

・身の回りには自分が気にいったものしか置かない。

・サルバトーレ・フィーメ(イタリア)に描いて貰った似顔絵風の絵を自宅トイレに飾ってある。

・宝物…黒沢明監督が描いてくれた似顔絵。

・猫が苦手。

・ファッションにこだわりがある。売っていないモノは自分でデザインする。

・自分の店が入っているビルに部屋を借りて住んでいる(=02.10現在)。

・いきつけ…

 中華「登龍」(麻布十番)。

 中華「翠香園」(横浜中華街)。

 そば「砂場」(赤坂、そばはここでしか食べない)。

 牛タンしゃぶしゃぶ「今半」(代々木)。

・移動にダイムラー・リムジンを利用(事務所のクルマ?=01.01現在)。

・毎年ひとり旅で海外旅行に行って何かバカバカしい事に挑戦する。

・アフリカで乗った飛行機が滑走路を走り出しても離陸せず、

 飛行場を出て草原を走行して止まった事がある。

・ヨーロッパのがらくた市で買物するのが好き。

・父親に「40歳までは貯金しないで遊べ。60歳になったら戻ってくるから」

 と言われたのを実践した。

■藤村俊二

 

□人間関係

・小松政夫…友人。若い頃からの飲み友達。

・寺尾聰…友人。寺尾が17歳の時からの仲。当時の事務所の後輩。

 「あっくん」「俊ちゃん」と呼びあう。

・土居甫(振付師)、カルーセル麻紀…友人。

・愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、坂上二郎、玉置宏、筒井康隆、長門裕之、

 牧伸二、森山周一郎、山本文郎、中村メイコ…昭和9年会。

 藤村がプロデュースしてファッションショーを開催。「9」にちなんで救急車を寄付。

・川上麻衣子…ワインバー「オヒョイズ」の常連。

・田中美里…ドラマで共演。ワインバー「オヒョイズ」に時々来る。

・山下真司…遠い親戚。ワインバー「オヒョイズ」の常連。

・酒井若菜…藤村のファン。

・マルセル・マルソー…パントマイムの師匠(ヨーロッパで約1年間師事=60年頃)。

・夏目安彦…レストラン「オヒョイズ」のシェフ。30年以上のつきあい。

・慶子…?年結婚、95年離婚。

・長尾美香代…「ニュースプラス1」リポーター。96年春入籍、13年12月離婚。28歳年下。

・子供:

 長男…藤村亜美。所属事務所代表、50歳(=17.01現在)。

 長女。

■藤村俊二

 

□エピソードなど

・東宝芸能学校の1期生。

・日劇ダンシングチーム12期生(=57年入団)。

・日劇ダンシングチーム時代、お笑いユニット「ジェット・コミック」を結成。

・ヨーロッパ公演の途中で仕事を放り出してパリでパントマイム修業(=60年)。

 アルバイトで色紙にインチキな日本語を書いていた。

 お金がなかったので公園の噴水で頭を洗っていた。

 当時の日記が残っている(=03.02現在)。

・帰国後ダンサー兼振付師兼タレントとして活躍。

 日本初のゴーゴー振付師として「8時だヨ全員集合」のオープニング、

 CM「レナウン イエイエ」などを手がけた。

・「日本初のバラエティタレント」と呼ばれた。

・主演映画の仕事は毎日出番があるので嫌い。

・現場からいつの間にか「ヒョイ」といなくなるので「おヒョイさん」と呼ばれた。

・30代の頃、クルマをぶつけて相手のクルマのバンパーがほんの少しへこんだ時、

 きちんと謝って修理費も出すと言ったのに相手がぶつぶつ文句を言うので、

 もう一度思いっきりぶつけて「本当の衝突ってのはこういうものです」と言ってやった。

・60歳になったのを機に身辺整理して事務所を独立。

・東京・青山にワインバー「オヒョイズ」を開店(=96年)。

 オープン記念の時計を自らデザインした。暇な時は自ら店に出る。

 建物は一度イギリスで作ったものを解体して船で輸入、

 現地から大工を呼び寄せて建てて貰った(600年保証)。

・キーホルダー、ネクタイ、ワイシャツ、ワイングラス、ライターなどをデザイン。

・国民年金を自分が死んだ時の葬式パーティー代用に「死んだら貯金」として貯金。

・台詞覚えが悪くなったので3行以上の台詞がある仕事はなるべく断る。

 長い台詞はカンペを作って貰う(フレームインしたカンペをCGで消して貰った事がある)。

 ※著書にエッセイ「キャビアのお茶漬」がある。

・「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを担当。

・将来の夢…ヨーロッパ風のプチホテル経営。

凡例:17.01現在=2017年1月現在

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