都並敏史

都並敏史


■都並敏史(つなみ さとし)

 

□肩書き

 サッカー選手(98年引退)

 

□所属クラブ

 読売クラブ・V川崎(80年〜96年)

 福岡(96年〜97年)

 平塚(97年〜98年)

 

□本名

 都並敏史

 

□生年

 1961(昭和36)08.14(獅子座/A型)

 

□出身地

 東京都世田谷区玉川

 

□出身校

 都立深沢高校

 

□略歴(満年齢)

 80年(19歳)読売クラブのトップチームに昇格。日本代表に初選出。

 93年(32歳)'94W杯アメリカ大会のアジア1次予選に出場。

 05年(44歳)ベガルタ仙台の監督に就任。

 ※通算成績:

      206試合5得点(JSL1部) 

  61試合0得点(J1)

  78試合2得点(日本代表国際Aマッチ)

 ※主な出演:

  テレビ「ズームイン!!サタデー 」「Going! Sports&News」「スッキリ!!」

  CM    「アサヒビール スーパードライ」「アコムマスターカード2002」

 

□趣味

 料理 カラオケ クルマ

 

□サイズ

 173㎝ 68㎏

 

□資格・免許

 大型自動車免許 古物商

■都並敏史

 

□幼少時代〜

・父親は自動車会社勤務→喫茶店(中目黒)経営。

・3歳年上の兄がいる。

・多摩川のそばで生まれ育った。

・小さな庭がある一軒家に住んでいた。

・父親は軍隊上がりで躾に厳しかった。

 おしおきで空気椅子や匍匐前進をさせられた。

 兄が悪い事をしても連帯責任で怒られた。

・祖母はが親戚を集めて1時間話し続ける陽気な人だった。

 祖母の影響で子供の頃からおしゃべりだった。

・子供の頃、柿の木から落ちて骨折した。

・小学校時代、最初は野球をやっていた。

・小学校時代、多摩川の練習場に読売ジャイアンツの練習を見に行った。

 長嶋茂雄、王貞治が好きだった。

・小4の時、学校の先生の影響でサッカーを始めた。

・野球のスライディングをサッカーに応用した。

・サッカークラブでの練習以外にもひたすらサッカーをやっていた。

 自宅の壁に向かってボールを蹴った(それたボールで近所の家の窓やトイレを何度か壊した)。

 夜中に近所の砧公園の芝生に忍び込んで裸足でボールを蹴った (昼間は管理人がいるので夜中に行った)。

・中学時代、お年玉をためて買った中華鍋で本格的にラーメンを作った。

・中2の時、初恋の女の子と交際するが「サッカーの邪魔になる」と思ってすぐに別れた。

・父親はサッカーをやる事には反対で大学進学を勧められてていたが、

   高2と高3の時に東京都代表として国体に出場してから理解を示してくれるようになった。

・高3の時、初めて自分の記事が載ったサッカーマガジンを近所の書店で買い占めた。


■都並敏史

 

□私生活

・好物…ラーメン。そば。焼そば。焼肉。

・料理が好き。

 朝食を自分で作る(ほぼ毎日麺類)。

・星座や血液型に興味関心がある。

・いきつけ…「タコス・デル・アミーゴ」(原宿、閉店)。

・クルマが大好き。

 自宅にクルマを5台駐車できるスペースがある。

 フォルクスワーゲン・ゴルフが好き。

 クルマ売買の為に古物商の免許を取得。

・読売ジャイアンツのファン。

・オーストラリアの海で3匹のサメに囲まれた事がある。

・家族で焼肉を食べてカラオケに行くのが大好き。

・妻と一緒に晩酌でビールを飲む。

・浮気をした事があるが本気になった事はない。


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□人間関係

・ラモス瑠偉…友人。読売クラブ(現・東京ヴェルディ)のチームメイト。

 サッカーの師と仰いでいた。

 新人時代にラモスに怒られる事にプレッシャーを感じて試合でミスを連発。

 ラモスが東京ヴェルディの監督を務めた時にコーチを務めた。

・松木安太郎…友人。読売クラブ(現・東京ヴェルディ)のチームメイト。

 遠征先のマカオで松木に面倒を見て貰って初体験を済ました。

・三浦知良、中山雅史、武田修宏、長谷川健太、高木琢也、

 福田正博、ラモス瑠偉、北沢豪、森保一、三浦泰年、柱谷哲二、

 井原正巳、堀池巧、松永成立、ハンス・オフト

   …94年W杯アメリカ大会アジア最終予選日本代表(ドーハの悲劇)。

 ※ハンス・オフトは監督

・岡田武史、都並敏史、松木安太郎、金田喜稔、木村和司、加藤久

 …'86W杯メキシコ大会を目指した日本代表のチームメイト。

 年に1回一緒に食事。

・岡田武史…初めて日本代表に入った時に岡田と同室だった(都並19歳、岡田25歳)。

・中田英寿…ベルマーレ平塚のチームメイト。

 練習でのパス交換で「オッチャン、大丈夫?」と言いながらとても早いパスを蹴って来た。

・戸塚哲也…小学校の同級生。一緒に読売クラブに入った。

・斎藤芳行…親友。20歳まで読売クラブに在籍。

・風間八宏、西山喜久恵…フジテレビ「サッカー小僧3」で共演。

・川平滋英…読売クラブの後輩。1歳年下。ユース時代に全国優勝。

・松田聖子…憧れている芸能人。

・都並清史…兄。トランペット奏者。音楽評論家。

・ゆかり…高校時代の同級生。日体大のバスケットボール選手だった。

   高校時代から12年間交際して結婚。

   12年間の交際中に「他にいい女がいたら絶対そっちにしよう」と思っていたが 

   結局妻をしのぐ相手は現われなかった。

・子供:

 長男…11歳(=00.09現在)。

 次男…8歳(=00.09現在)。

 長女…5歳(=00.09現在)。


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□エピソードなど

・小6の時、読売クラブに入る。

   当時は読売クラブに入るとスパイクが半額で買えるという特典があった。

・小学校時代からサッカー日本代表の大ファンだった。

 よくスタジアムでサッカー日本代表を応援。

 日の丸を描いたTシャツ、日の丸の鉢巻き、日の丸の旗、ホーンで応援。

 中学時代には応援のリーダー的存在だった。

 何度か国立競技場のフィールドに降りて日の丸の旗を振り回して職員に追いかけられた。

 日韓戦で韓国をバカにする野次をとばして周囲の大人にたしなめられた。

 上履き、通学カバン、自転車などあらゆる持ち物に日の丸を描き、

 アメ横で買った日の丸のワッペンを体操服やジャンパーに着けていた。

・ユース代表に選ばれた後も日本代表を応援していた。

 他の観客から「あれユース代表の都並じゃないか」と気付かれていた。

・高校卒業後、読売クラブのトップチームと契約。

   最初の給料は6万円。

 生活の為に実家の喫茶店を手伝っていた。

・読売クラブの試合がある日は両親が喫茶店を閉めて応援に来てくれた。

・最初のポジションはリベロだった。

・ファールを辞さない激しいプレースタイルで「炎の左左サイドバック」と呼ばれた。

 カニバサミのような強烈なスライディングタックルが得意だった。

・17歳から練習や試合の内容や反省などをサッカーノートに細かく記していた。

・GKが抜かれてゴールマウスに飛んで来たシュートをパンチングで防いだ事がある。

 当時は一発退場がなかったのでイエローカードとPKだけだった。

・日本代表に選ばれながら怪我で試合に出場できない時は、

 ロッカールームの片付けなどの雑用を進んでやった。

・80年代の日本代表は合宿中に夜中に宿舎を抜け出して居酒屋で飲酒が日常茶飯事。

 よく言えば牧歌的、悪く言えばアマチュア集団だった。

・W杯スペイン大会の予選に出場。

・明るいキャラクターで盛り上げるムードメーカーだった。

 W杯メキシコ大会を目指したチームは試合の数日前に毎回都並の音頭で焼肉を食べた。 

・88年の日本代表のユニフォームのジャージのデザインを担当。

・W杯イタリア大会を目指す日本代表に招集されるが肝炎で辞退。

・左足首の骨折でW杯アメリカ大会の最終予選はメンバーに入るが出場機会なし。

 イラク戦のロスタイムの同点ゴールで出場を逃す(ドーハの悲劇)。

・日本代表として国際Aマッチに78試合出場。

・読売クラブのユニフォームのデザインを担当。

・アビスパ福岡に移籍(=96年)。

・ベルマーレ平塚に移籍(=97年)。

・子供のチームの監督を務めた時にマイクロバスを運転できるように大型自動車免許を取得。

・アルゼンチンに4ヵ月コーチ留学。

・東京ヴェルディユース、ベガルタ仙台、セレッソ大阪、横浜FCの監督を歴任。

・日本サッカー名蹴会副会長に就任(=10年)。

・主な著書:

 「日本代表に捧ぐ」(ザ・マサダ=98年)

 「都並流勝つためのサッカー」(講談社)

凡例:20.01現在=2020年1月現在