柱谷哲二

柱谷哲二


■柱谷哲二(はしらたに てつじ)

 

□肩書き

 サッカー選手(98年引退)

 サッカー指導者

 

□所属

 日産自動車サッカー部(横浜Fマリノス)(87年〜92年)

   ヴェルディ川崎(東京ヴェルディ)(92年〜98年)

 

□生年

 1964(昭和39)07.15(蟹座/B型)

 

□出身地

 京都府

 

□出身校

 京都商業高校

 国士舘大学

 

□略歴(満年齢)

 87年(23歳)日産自動車サッカー部(横浜Fマリノス)に入団。

   92年(28歳)ヴェルディ川崎(東京ヴェルディ)に移籍。

 ※通算成績:

      97試合2得点(JSL) 

      183試合13得点(Jリーグ)

      72試合6得点(日本代表国際Aマッチ)

 ※主なタイトル:

  Jリーグベストイレブン3回

 ※主な出演:

  テレビ「FOOT×BRAIN」「スタジオパークからこんにちは」「ワンダフルライフ」

  CM    「ユニクロ」

 

□趣味

 映画観賞 ドライブ

 

□サイズ

 182㎝

 

□特記事項

・兄は柱谷幸一


■柱谷哲二

 

□幼少時代〜

・4歳年上の兄がいる。

・兄の影響で小学校時代にサッカーを始めた。

・小学校から大学までサッカー部でキャプテン。

・高校時代、監督に「お前は体力がない」と言われ、

 毎晩5㎞の山越えのランニングを半年間続けた。

 

□私生活

・ウィルス性の肝炎で1ヵ月入院(=93年)。

 病院の食事がおいしくなかったので妻に毎日昼食と夕食を持ってきて貰った。

・住んでいる所…神奈川県横浜市(一軒家=94.09現在)。

・負けず嫌い。

 トランプのような遊びでも負けるのは嫌い。


■柱谷哲二

 

□人間関係

・三浦知良、中山雅史、武田修宏、長谷川健太、高木琢也、

 福田正博、ラモス瑠偉、北沢豪、森保一、

 三浦泰年、柱谷哲二、井原正巳、堀池巧、松永成立

   …94年W杯アメリカ大会アジア最終予選日本代表の主要メンバー(ドーハの悲劇)。

   ラモスとオフト監督が対立しかけた時に柱谷が間に入って意見調整。

・ハンス・オフト…94年W杯アメリカ大会を目指した日本代表の監督。

・柱谷幸一…実兄。サッカー選手。高校、大学、日産と兄と同じ道を進んだ。

・中森明菜…交際を噂された。

・まさ子夫人…元銀行員。90年1月結婚。

 「レギュラーになったら結婚しよう」とプロポーズ。

・子供:

 長女…美樹。


■柱谷哲二

 

□エピソードなど

・日本リーグ、天皇杯、JSLカップの3冠(=89年)。

・90年W杯イタリア大会のアジア予選に出場(=89年)。

・日本代表のキャプテンとして激しいスピリッツでチームを統率、「闘将」と呼ばれた。

 先頭に立ってチームを引っ張っていくのはラモスやカズにまかせて、

 一歩下がって全体を見回すようにこころがけた。

 国際大会を戦う時は戦う姿勢を表に出して絶対に気持ちで負けない事を心がけていた。

・94年W杯アメリカ大会を目指す日本代表チームが立ち上がって間もない頃、

 文句があるなら言え、みんなの前で言えないならオフトの所へ言って個人的に言え、

 オフトに言えないなら清雲さん(コーチ)に言え、

 清雲さんにも言えないなら俺に言え、

 と皆に言って、文句を言わせる事でチームをまとめた。

・日本代表キャプテンとして94年W杯アメリカ大会アジア予選に出場。

 最終戦(イラク戦)ロスタイムの同点ゴールで予選突破ならず(ドーハの悲劇)。

・イラク戦ロスタイムの同点ゴールのシーンが夢に出てきてうなされた事が何度もある。

凡例:20.01現在=2020年1月現在