赤星憲広

赤星憲広


■赤星憲広(あかほし のりひろ)

 

□肩書き

 野球選手(09年引退)

 野球解説者

 

□本名

 赤星憲広

 

□生年

 1976(昭和51)04.10(牡羊座/A型)

 

□出身地

 愛知県刈谷市

 

□出身校

 愛知県立大府高校

 

□略歴(満年齢)

 01年(25歳)ドラフト4巡目で阪神タイガースに入団。

 05年(29歳)5年連続盗塁王。

 09年(33歳)現役引退。

   ※入団、引退は野球シーズン年度

 ※通算成績:

  1127試合、1276安打、 .295、3本、215打点、381盗塁

 ※主なタイトル・表彰: 

  盗塁王5回、ゴールデングラブ賞3回

 ※主な出演:

  テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」

 

□趣味

 音楽観賞

 

□資格・免許

 JR車掌免許 教員免許(社会科)

 

□サイズ

 170㎝ 66㎏

 

□特記事項

・妻は徳原恵梨

・5年連続盗塁王


■赤星憲広

 

□幼少時代〜

・父親が少年野球のコーチをしていた。

・幼稚園時の頃から走るのが速かった。誰かに走り負けた記憶がない。

・少年野球チーム・住吉ベースボールのメンバーだった。

・小学校時代、サッカーもやっていた。

 小6の時にFWとして愛知県選抜に選ばれた。

・小学校時代、全てのスポーツで誰にも負けなかった。

・中2の頃、女の子と初交際。

・中学〜高校時代、日本史が得意だった。

・私立の強豪校からの誘いを断って学業推薦で県立校に進学。

・高校時代、1年からレギュラーとして活躍。

 高2の時、2番セカンドで選抜甲子園に出場。自らのタイムリーエラーで1回戦敗退。

   高3の時、1番ショートで選抜甲子園に出場。タイムリーエラーを含む2失策で1回戦敗退。

   赤星が出塁して2盗3盗後にスクイズをするのがチームの得点パターンだった。

・高校時代、学業成績が悪いと部活動に参加できなかったので、授業中は真面目に勉強した。

・大学時代、野球部の練習と上下関係がとても厳しかった。

 朝の9時から夜8時まで練習、休日は2ヵ月に1回。

   寮は1年から4年までひとりづつの4人部屋で下級生は24時間気が抜けない生活だった。

・大学時代、通算45盗塁(東都大学リーグ通算2位)。

・大学時代、3試合連続ホームラン。


■赤星憲広

 

□私生活

・好物…納豆。ねぎ(大好物)。にんにく。午後の紅茶のミルクティー。

・嫌いな食べ物…セロリ。グリーンピース。

・試合中にダイビングキャッチを試みて中心性脊髄損傷を負った(=09年)。

 負傷直後は手足が動かず事ができなかった(トレーナーに背負われてグラウンドから退場)。

 医師に「今度やったら半身不随の可能性がある。最悪命の危険もある」と言われ、

 「全力プレーができない状況で野球を続けるのは無理」を考えて引退を決意。

 引退後も後遺症で首に衝撃を与える可能性があるスポーツは医者に禁じられている。

・プロ入団前に腰部ヘルニアを患った。

・花粉症。

・入浴が大好き。

・好きな音楽…ニューミュージック。

・好きなミュージシャン…バックストリートボーイズ。

・Tシャツが好き。

・愛車はポルシェ911ターボ(=03年現在)。

・占い師に「霊感能力がすぐれている」と言われた事がある。

・墓場で火の玉を見た事がある。

・飛行機が怖い。

・喜怒哀楽が激しい。

・短気な性格。

・いろいろな事を考えてよく悩む。考え込むと不眠症になる。

 3日間殆ど寝ないで試合に出た事があった。

・ひとりで買物に行くのが好き。

・好きなタイプ…料理が上手な女性。

・乗っていた電車で女性のチカンに遭遇した事がある(JR東日本時代)。


■赤星憲広

 

□人間関係

・陣内智則…友人。よく一緒に食事する。「レッド」と呼ばれる。

・藤本敦士…阪神のチームメイトで一番仲が良かった。

・槙原寛己…高校の先輩。一緒に飲んだ事がある。

・立浪和義…中学・高校時代に目標にしていた。

・野村克也…入団当初の阪神の監督。

 野村に熱烈に口説かれてプロ入りを決意した。

 野村のアドバイスで重いバットを短く持って打つ打法を体得した。

 試合中にベンチで野村の近くに座って野村の言葉を聞いて「プロ野球のイロハ」を勉強した。

・星野仙一…02年〜03年の阪神の監督。

・中野真一…JR東日本野球部監督。

・馬場茂…大府高校野球部監督。馬場に勧められて左打ちに変えた。

・鬼頭健介…中学の野球部の先輩。当時は赤星より足が速かった。

・鈴木あみ…憧れている芸能人。

 「ASAYAN」で鈴木が合格するように後輩を動員して電話投票。

・徳原恵梨…タレント。22.04.04結婚発表。


■赤星憲広

 

□エピソードなど

・大学卒業後、ノンプロのJR東日本に入る。

・JR東日本に入った頃はプロをあきらめていて、

   ノンプロで10年やった後は教員になって高校野球の監督になろうと思っていた。

・JR東日本時代、練習場が千葉マリンスタジアムのすぐそばにあり、

 練習後によく球場でロッテの試合を観た。

・シドニー五輪に出場(=00年)。

・社会人2年目に全日本強化選手として阪神のキャンプに参加して野村監督の目に留まった。

・入団会見で「新庄さんの穴はボクが埋めます」と宣言。

・プロ入りに際して「体が小さくてもプロでやれる」という事を証明したいと思っていた。

・プロ入り当初、打球がなかなか外野まで飛ばなかった。

・プロ初安打はセーフティーバント。

・1年目の39盗塁は新人歴代4位。

・新人王と盗塁王の同時受賞は史上初。

・人工芝の球場では3本歯、広島市民球場では5本歯、甲子園球場では8本歯のスパイクを使用。

・パソコンを使って相手投手のクセ・特徴・カウント別の傾向などのデータを管理していた。

・背番号53を盗塁数の目標にしていた。

・「レッドスター」「赤い彗星」と呼ばれた。

・自打球で足を粉砕骨折して3ヵ月欠場(=02年)。

・18年ぶりのリーグ優勝を決めた広島戦でサヨナラヒット(=03.09.15)。

・守備率10割(失策0)をマーク(=03年)。

・広島戦で顔面に死球を受けた(=04年)。

・4年目で年棒1億円(球団史上最速)。

・3年連続60盗塁をマーク(史上3人目=04年)。

・中学生中心の少年野球チーム・レッドスターベースボールクラブを設立(=05年)。

・セリーグ優勝のビールかけをレイザーラモンHGファッションでやった(=05年)。

・選手会長を務めた(=06年)。

・7年目で通算1000本安打(球団史上最速=07年)。

・5年連続盗塁王(セリーグ記録=01年〜05年)。※日本記録は福本豊の13年連続

・盗塁で最も重要なのは「アウトを恐れずにスタートを切る勇気」だと思っていた。

 メンタル面のスランプに陥って盗塁が減った時期があった。

 投手のちょっとした癖を見抜くのが大の得意だった。

・テレビのヒーローインタビュー中に観客の野次にキレた事がある。

・試合中に延々選手を野次っていた観客を試合後にシメに行こうとした事がある。

 警備員が留めておいてくれなくて逃げられたので警備員に対してもキレた。

・ダイビングキャッチを試みて中心性脊髄損傷を負った(=09年)。

 負傷直後は手足が動かず事ができなかった(トレーナーに背負われてグラウンドから退場)。

 医師に「今度やったら半身不随の可能性がある。最悪命の危険もある」と言われ、

 「全力プレーができない状況で野球を続けるのは無理」を考えて引退を決意した。

・その年に記録した盗塁の数の車椅子を養護施設や病院に寄贈。

凡例:19.01現在=2019年1月現在